夕学レポート
2010年05月11日
渡辺 靖「世界を写す鏡 アメリカ」
渡辺 靖 慶應義塾大学環境情報学部 教授 >>講師紹介
講演日時:2010年1月19日(火) PM6:30-PM8:30
渡辺氏は、まず、米国の民主主義を学ぶための必読書として2冊の古典を紹介してくれました。1冊目は、フランス人の政治思想家、アレクシス・ド・トクヴィルが書いた『アメリカのデモクラシー』という本。本書は、1831年、トクヴィルが25歳の時に、建国50年を過ぎたばかりの米国を訪問し、各地を見聞した記録が元になっています。
この本の中で、トクヴィルは、米国人が「1年中忙しくしている」という印象を持ったことを書いています。また、ボストンでは、コミュニティ(地域)の様々なものごとについて、住民たちがとことん議論を尽くし、
自分たちで決めていくやり方を間近で見て驚いています。
トクヴィルの母国フランスでは、中央政府の力が強く、地域住民たちも、何事につけ中央に依存しがちでした。ですから、コミュニティに関わることは自分たちで決めていくという、米国人のスタイルが新鮮だったようです。
2冊目の本は、アレクサンダー・ハミルトンらが書いた「フェデラリスト」です。米国建国まもない1787年に出版されています。ハミルトンらは、英国の圧政から逃れるため米国に新天地を求め、ついに独立を勝ち取った‘ファウンディング・ファーザーズ(建国の父たち)-Founding Fathers-’でした。彼らは、フェデラリストの中で、米国というまだできたばかりの若い国を「一つの国家」としてどのようにまとめあげていくかについての「ビジョン」(設計図)を描きました。
渡辺氏によれば、彼ら建国の父たちは、祖国である英国の国王のような強大な権力を嫌い、君主のいない「共和国」を目指したのだそうです。共和制国家は、過去にはヨーロッパにも存在しました。しかし、古代ローマの共和制は、君主の権力が元老院に移っただけにすぎず、またヴェネツィア共和国は小国だったおかげでうまくいったと言われています。
モンテスキューやルソーは、広大な土地を持つ米国で、共和制がうまくいくわけはないと言ったそうです。しかし、米国はこの壮大な実験に取り組みました。建国の父たちが考えた、米国を共和国として成立させるための基本的な方向は、「連邦制」を採用することでした。すなわち、当時13州それぞれに「準国家」と呼べるほどの自治権を与えつつ、米国全体としてはゆるやかな統合体を形成するというものです。
米国の正式名称は‘United States of America’であり、米国の各州はヨーロッパの「EU(欧州連合)」における独立国家に近い自治権を持っています。そのため、現在でも、州によって異なる法律があり、例えばある州では、同性愛者同士の結婚が認められていても、別の州では認められていないということが起きています。
ただ、各州が相応の自治権を持っていると、米国全体のテーマについては当然ながら利害対立が発生します。しかし、だからこそ、特定の州が極端な方向に走ったとしても、全体としては抑止力が働き、国家としてひとつにまとまることが可能だろうと、建国の父たちは考えたのです。
こうして君主を持たない米国は、ボトムアップで国家が形成されていきました。まず地域の小規模なコミュニティがあり、コミュニティが複数集まった郡、郡が集まって州となり、最後は連邦国家としての米国がある。決してトップダウンで作られた国ではないことが、米国の本質を理解する上で重要です。
草の根で形成された米国では、トクヴィルが目撃したように、何事も自分たちで決めるというマインドセット(=心の習慣)が米国人に根づいています。「陪審員制度」もまた、裁判のプロセスに市民が参加するという体験を通じて、こうしたマインドセットを培うことに役立っていると考えられているそうです。
また、フランスを始め、欧州諸国では、王を頂点とするピラミッドのような確固たる秩序がありますが、米国にはこのような秩序がなく、人々の関係はフラット、すなわち平等であり、個人主義の色合いが強くなりがちです。ただ、個人主義が行き過ぎると、一人ひとりが孤立してしまうため、逆に強大な権力を歓迎する心理が出てきます。多数派に同調しがちな傾向も強まるのだそうです。
渡辺氏によれば、米国の場合、政治、宗教、芸術、地域などさまざまな分野で、「アソシエーション」(日本語では「結社」と訳される事が多い)と呼ばれるグループが多数形成されており、こうしたアソシエーションが、行き過ぎた個人主義のもたらす権威志向や多数派志向を防ぐ防波堤の役割を果たしているとのことでした。
さて、渡辺氏は、米国の歴史を振り返りながら、リベラルと保守の対立の構図について解説してくれました。建国後、初めての内戦となった南北戦争では、後に大統領となったリンカーンが指揮した北軍が勝利し、奴隷解放を成し遂げます。
その後、米国はさらに発展を続けますが、1929年から始まった世界恐慌に対処するため、ニューディール政策を推進したルーズベルト大統領以降、市場に積極的に介入し、思い通りにコントロールしようとする「設計主義」「合理主義」が強まり、第二次世界大戦や、ベトナム戦争での失敗をはさみつつも70年代までリベラルの時代が続きました。
しかし、80年代にレーガン大統領が登場。「Back to Basics」という言葉を掲げて保守革命が起きます。レーガン政権では、米国人が建国期に持っていたセルフガバナンスに立ち戻ることを標榜したのです。外交については、リベラリズムは「弱腰外交」だと糾弾し、強い米国の復権を目指しました。
以来、昨年の民主党オバマ大統領の就任まで、米国は保守の時代が続いてきました。もちろん、民主党のクリントン政権が途中誕生しましたが、彼は中道路線を取り、その政策は保守の潮流に乗ったものでした。そして、その後に就任したブッシュ大統領時代は、ネオコンサバティズム=新保守主義派が幅を利かせました。
では、民主党オバマ政権はどちらなのでしょうか。オバマ大統領は、ケニア人を父に持つマイノリティの黒人として生まれ、ハワイやインドネシアで幼年期から青年期までを過ごした、いわゆる東部出身のエリートではありませんが、その生い立ちゆえに優れたバランス感覚を持っています。予備選挙戦の頃から、民主党、共和党、無所属といった立場の違いや人種の違いを乗り越え、同じ米国人として団結することを主張してきました。彼は、尊敬する人物として南北の対立を解消したリンカーン大統領を挙げています。
渡辺氏によれば、オバマ氏は、従来の保守、リベラルといった二項対立的な考えを取らず、むしろ様々な違いを内包した国家を目指しているそうです。とはいえ、大統領就任1年が経過した今、理想と現実の融合に苦労していることは私たちにもわかります。いまだ保守の潮流は根強いものがあり、オバマ大統領の先行きは決して楽なものではないようです。
折しも、米国時間の19日に投開票されたマサチューセッツ州上院議員補欠選挙では、共和党が勝利し、保守回帰の兆候が見られる結果となりました。良くも悪くも、米国の動き次第で世界も大きく動くという世界の構図が今でも変わっていない以上、オバマ政権の今後には目が離せません。渡辺氏のわかりやすい解説のおかげで、米国がどこに進もうとしているのかを以前よりもはるかに理解しやすくなったように思います。
主要著書
『オバマ大統領 ブラック・ケネディになれるのか』村田晃嗣/渡辺靖(共著)、文藝春秋(文春新書)、2009年
『アメリカン・センター~アメリカの国際文化戦略』岩波書店、2008年
『アメリカン・コミュニティ~国家と個人が交差する場所』新潮社、2007年
『The American Family:Across the Class Divide』Pluto Press&University of Michigan Press、2005年
『アフター・アメリカ~ボストニアンの軌跡と<文化の政治学>』慶應義塾大学出版会、2004年(※2004年サントリー学芸賞、アメリカ学会清水博賞受賞)
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