今月の1冊
2015年04月14日
騏驎は老いても駑馬に劣らず
能楽堂で「夜討曽我(ようちそが)十番斬(じゅうばんぎり)」を観た。
話はこうだ。
源頼朝が関八州の侍を集めて富士の裾野で狩りを催し、曽我十郎と五郎の兄弟も参加する。
父の仇である工藤祐経も参加しており、兄弟はこの好機に仇を討つことにした。
そこで従者の団三郎と鬼王に形見の品を持たせ、故郷の母に渡すように頼む。
団三郎と鬼王は主君と最後を共にしたい、許されないならば従者同士で差し違えると訴えるが、十郎の説得により形見の文と守を持って故郷へ下った。
夜討に成功し、祐経を討ちとった兄弟は、武名を後代に残そうと宿直の兵と斬り合うが、十郎は奮戦の後、討たれる。残された五郎も一人善戦するも空しく生け捕られ、遂に縄をかけられて引き立てられる。
“十番斬”の文字から想像される通り、十人の侍と曽我兄弟との斬組(きりくみ。斬り合い)が演じられた。演者総勢35名がひとつの舞台へ出演する能は大変めずらしい。
能楽堂は仄暗い。
見所(けんしょ。客席)へ一歩踏み入れた時、「まずい。寝てしまう」と思った。能楽堂での観能は初だというのに、睡眠不足の半眼状態でのぞむことを後悔した。
が、杞憂であった。
始まるなり曽我兄弟の母を慕う気持ちや仇討ちへの決意、従者の主君への想いに胸を掴まれた。仇討ちの場にいた者が、滑稽なほどに慌てふためき目撃談を語る間狂言(あいきょうげん)に笑わされた。後半は曽我兄弟vs追手による派手でキレのよい斬り合いから目が離せず、先に討たれた兄を弟が探して呼ぶ声に目頭が熱くなった。
そして何といっても美しい。
直線と円で構成された動き、鋭く澄んだ囃子(はやし)、張り詰めた空間。
いずれも無駄なく美しく、観る者の腹の底に響いて揺り動かし情動を引き起こす。
能とはこんなに魅力的なものであったかと、観終えて暫し呆然とした。
誠にもって申し訳ない話だが、能とは「雅びやかだけれど難解」と思っていた。
学校や寺社で目にする機会があり、薄らとした興味を持って観るのだが、何せ言葉が聞き取れず動きの意味がわからない。だから「???」で終わっていた。
ところが今回は違った。なぜか。
昨年、近くの寺で能のワークショップが行われると聞いて参加してみた。
そこで、観世流シテ方(神や亡霊、女性などを演じる専門)の能楽師 武田宗典氏と小早川泰輝氏から、感情を表す型──喜び、怒り、楽しい、泣く、祈る──を教わった。
さらに、チャンバラが能ではどう表現されるかを拝見し、謡(うたい。台詞や歌)を指導いただいた。
短時間ではあったが、感情の型を知り、独特の体の動かし方や緩急、言葉と抑揚に触れたことは大きい。
おかげで場面のキーとなる感情や、動きの意味がわずかながら掴めるようになった。
それが演能前に紹介されるストーリーや登場人物と結びつき、少しずつ物語や会話として楽しめるようになったのだ。
『100分 de 名著 世阿弥『風姿花伝』』を読んだことも助けとなった。
世阿弥が記した日本最古の演劇論といわれる『風姿花伝』。
これを土屋恵一郎先生が、イノベーション、自己更新しつづける戦略的人生論という切り口で紐解いてみせたTV番組を書籍化した一冊だ。これがとにかく面白い。
能はもともと寺社の行事で上演されていた。しかし、室町時代に入りパトロンが寺社から足利将軍家へとかわった。
そこで世阿弥は貴族の美意識に受け入れられるよう、内容を宗教的なものから貴族が好んだ和歌や物語の世界へ移した。
そして優雅さを追求して「幽玄」という言葉に結晶化し、能は幽玄、格調高く美しいものであるというブランドを確立した。
また、日本の身体芸術独特の「老いの美学」を確立したのも世阿弥だという。
騏驎も老いては駑馬に劣るというが、そうではない。老いたからこそできることがある。
鬼能のように荒々しくおどろおどろしい能は、若い人が力任せに舞ってもだめで、年を取ったからこそ自由な境地で幽玄に舞えるのだ。
容姿や肉体が衰えても「老いてのちの何かがある」と考える日本の身体芸術の美学は、世阿弥が創り上げた。
このような能の成り立ちや美学といった背景、核心を知ると、今まで気づけなかった見どころを観、味わいをより噛みしめることができる。
例えば、高貴な身分の成人男性を子方(こかた。子役)が、若い女を老境のシテ方が舞う倒錯に意味を感じるようになる。一層の神聖さ、儚さや哀しみがひたひたと押し寄せるようになるのだ。
この本ではさらに、能楽の物語構成や、シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方という演者の説明、舞台の形や使われ方など、基本の事柄を平易に解説している。
そのほか、知っているようで知らない世阿弥の言葉「秘すれば花」、「初心」等も解説しており、入門書としておすすめだ。
冒頭で紹介した「夜討曽我十番斬」は七拾七年会の公演である。
1977年生まれの気鋭の能楽師たちが、「初めて能を観る人にも楽しんでもらえるように」という観点で演目や演者を選んでいる。演能前に行われる解説や配付される内容紹介の資料も丁寧で有り難い。
その七拾七年会のメンバーやほかの多くの能楽師が、能に触れたことのない人向けのワークショップを開催している。まずは参加してみては如何だろう。「能」「ワークショップ」でWeb検索するといくつも情報が表示される。
間近に能や能楽師の息遣いを感じれば、一層の興味や疑問をもつかもしれない。その時には前述の本を手に取ってみていただきたい。
そして、その勢いで是非一度、能楽堂という独特の空間に足を運び、身を浸していただければと思う。
「白鳥 花を啣(ふく)む」
白鳥が花をくわえて佇んでいる姿こそ幽玄。
幽玄の世界が貴方を待っている。
(柳 美里)
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