夕学レポート
2015年11月10日
白井 聡「その後の『永続敗戦論』」
戦後70年、いまだ日本は敗け続けている――大義も勝利の可能性もなかった戦争を始めたことの責任を誰も取らず、反省もしない、つまり敗けたことを認めていないがために、延々と敗け続けているのだ――。この「敗戦の否認」のロジックから戦後日本社会を紐解いた白井聡氏の『永続敗戦論』は、2013年3月に出版されるや、政治哲学や社会思想の枠を超えたエポックな一冊として大きな話題を呼び、版を重ねている。
「その後の『永続敗戦論』」と銘打って登壇した白井氏の開口一番が、新安保法制を巡る昨今の騒動であったことは、まず必定であろう。いかに憲法学者が違憲と判断しようとも、世論が反対的であろうとも、アメリカとの約束がともかくもゼッタイであり、憲法さえも凌駕する。この安倍晋三首相の信念(妄執ともいう)こそが、「永続敗戦」国日本政府のひとつの到達といえるだからだ。
そもそも、この対米従属を第一義とする「永続敗戦レジーム」の立役者となったのは、安倍首相が敬愛してやまない偉大な祖父であった。岸信介。東京裁判でのA級戦犯被疑者にして内閣総理大臣を2期にわたって務め、日米安保改定に尽力した昭和の怪物。その複雑怪奇な人格は謎めいており、CIAとの機密文書が数多く解除されるようになった昨今もなお、岸や正力松太郎などが関連したファイルは例外的に閲覧不能なままであるという。開示されれば現代の日米関係の根底を揺るがす危機が出来するのを恐れているからに違いない、と氏は推察する。
曰く、「歴史は繰り返す」。
ナポレオン・ボナパルトとその甥のナポレオン3世の治世を「1度目は悲劇、2度目は茶番」と評したマルクスの顰にならい、白井氏は「1度目は茶番、2度目は悲劇」と表現した。茶番を仕掛けた岸信介の遺志を、孫の晋三がアクチュアルな悲劇へと完成させる。アベノミクス(=原発推進路線への回帰)に、新安保法制(対米従属の一層強化)に。これが三文芝居なら、クライマックスは当然リアルな戦争だろう。
日本が戦後処理を行わず、「無責任体系」(丸山眞男)を温存できたのには、いくつかの要因があげられる。本土決戦がなかったため国体が一応の護持をみたこと、日本にはさっさと豊かになってもらいたいというアメリカの戦略通り70年代以降目覚ましい経済発展を遂げてしまったこと、冷戦下において重要視されていなかったため議会制民主主義「ごっこ」の外観を整えさせてもらえたこと、そして沖縄の要塞化、である。「本土では、アメリカの暴力を見ないで済んだ。外(沖縄)で暴れている分には問題ないとばかりに無視を決め込むことができた」。自戒を込めて首肯するほかない。 “基地の地主は六本木ヒルズに住んでいる”といった妄言が、今もって本土から生まれてくる所以だ。
3.11後は、さらに無責任体系が社会のど真ん中に鎮座していることが明白になった。氏の嘆きはとどまることを知らないが、しかしそうとは言って対米従属そのものを批判しているのではない。その特殊性にこそ問題がある、という指摘が本講演の白眉だ。
つまり、アメリカが日本を愛してくれているという「恩情のストーリー」がそこに流れていることが問題なのだと。例えば、日本のマスコミは外国の要人、とりわけアメリカの政治家をとかく「親日」と言いたがるが、「知日家」はいても親日家は存在し得ない。象徴的なのが、元米国国務省副長官のリチャード・アーミテージの科白だ。
「私は米国を愛するがゆえに日米同盟の仕事を喜んでやってきた。多くの日本の友人がいるが、日本を愛するがゆえに私が何かをすることはない。何が米国の国益かを私は知っている」とスーパードライに語り、日本の親米家を凍りつかせたことは記憶に新しい。
思えばいつも片想いだった。
しかし、外交とは、本来「恩情」ではなく「ビジネスライク」なものであるということを我々は今更ながら思い出す必要がある。目下衰退が深まるいっぽうのアメリカにとって、もはや日本はナンバーワンパートナーではないのだから。それどころか、自身のツケを全部日本にまわしてくるだろうという見立てが大勢で、実際TPP交渉などではえげつない要求をつきつけている。そんな今こそドライな対米外交が必要だが、現政権がやっていることは相も変わらず「永続敗戦レジーム」の死守、それより他に戦略がない。
恩情を下敷きとした対米従属の物語をせっせとかたちづくってきたマスコミの責任も重い。マッカーサーに相対する天皇のキャラクター設定などもその好例であるという指摘には蒙が啓かれた。例えば、戦争直後に撮られた有名なワンカットに、体格の違いを見せつけるように立つマッカーサーの横に直立不動の昭和天皇が居並ぶ写真がある。全責任は自分にあり連合国に委ねると申し出た天皇にマッカーサーが感激、その後天皇の戦争責任は追及せず「象徴天皇制」が誕生した、というなんとなくイイ話が付与され語り継がれてきたアレである。アメリカへのコンプレックスと憧憬、終わることのない追随。あの決定的瞬間から、思えば全く進化のない我々なのかもしれない。
ともかく今の勢力を一掃しなければいけないといっても、いったいどこから始めればよいのでしょう?という会場からの問いに、沖縄の翁長知事の動きがひとつの希望である、と白井氏は応じた。「真に政治的、と呼べる闘いが起きている。”戦後レジームの死守””イデオロギーではなくアイデンティティを””政治家がようやく市民に追いついた”といった知事の力強い言葉がそれを物語っている」と。また、閉塞の中にも、若者たちのデモ参加といった光明もある。歴史が繰り返すとすれば、岸が疎んじた学生運動が、再び形を変えて安倍政権へのノイズになっているともいえる。
まずは無意識からトラウマをえぐり出すことから始めよ。メディアリテラシーを高め、能動性を持てよ。氏が最後控えめに発した「勇気を持ってください」という言葉を、私は斯様に解釈した。何より日本経済のザ・中枢ともいえる丸の内で当講演のような話が聴けるうちは、まだ日本にも希望があるのかもしれない。
(茅野塩子)
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