今月の1冊
2006年02月21日
『経営学』
著者:小倉昌男
出版社:日経BP社; ISBN: 4822241564
本体価格:1,400(税込1,470)円; ページ数:294
→書籍詳細
クロネコヤマトの宅急便サービスが始まったのは、昭和51年。宅急便は、私が生まれたとき既にサービスとしてこの世にあった。
水道や郵便や電話と同じようなものだと思っていたが、なんと宅急便を始めたのも、宅急便という言葉を作ったのも、ヤマト運輸という会社らしいと知ったのはいつの頃だったか。
1999年に出版された本書は、既に手にとっておられる方も多いと思う。
恥ずかしながら私がこの本に出会ったのは、既に著者であるヤマト運輸元会長の小倉昌男氏が逝去された後であった。ご存命のうちに読みたかった、と悔やんでも後の祭りである。少なくとも著書との出会いを果たせたことは幸運だったと思いなおし、もし万が一、まだお読みになっていない方がいれば是非お勧めしたいと強く思ったことから、今回ご紹介させて頂くことにした。
小口荷物の翌日配送という画期的なサービスが生み出され定着するまでの紆余曲折の物語は、実におもしろい。小説よりもおもしろい。大口顧客との訣別、新規ビジネスへの一世一代の大勝負、どん底からの脱出、行政との闘い…、まさにドラマと呼ぶべきおもしろさのうちに読み進めていける。
ただし本書は、その一連の出来事をドラマティックに描き、ヤマト運輸の成功と自らの経営手腕を礼賛することが目的ではない。
その意図は、タイトルに明らかである。
経営学
本書は、後進に、あるいは灯火を求めるすべての経営者に、氏の経営者としての経験を教え伝えることを目指して書かれたものなのである。だから全頁を通じてメッセージは明確でするどく、総じて重い。ヤマト運輸の経営について語る最初で最後の一冊である意気込みを感じずにはおれない。
300ページに満たないどちらかと言えば小ぶりの本であるにも関わらず、ぎっしりと密度の高い読み応えを得るのと、しかし最後まで一気に読んでしまうのは、氏が取り入れたアイディアが何をヒントにどこから学んできたものか、あるいは、社長として下した数々の決断の根拠となった事柄、調査、仮説構築までの経緯、またその時々の感情までが非常に詳細に渡って描かれているからだろう。そして内容は整理され、テーマにそって語られており、まるで、ケースメソッドに用いられるケースを読んでいるような感覚をおぼえる。
緻密な計算と大胆な意思決定を支える氏の哲学が、何よりも社会性を重んじているということ。一冊を貫いて感じる経営者としての偉大さは、この点につきるように思う。
本書の終章である「経営リーダー10の条件」、その10個目の項目は「高い倫理観」であった。営利追求は企業が存在する目的ではなく手段であるとする内容は、様々な不祥事が続く昨今、特に心に響く。一部をご紹介したい。
「企業の目的は、永続することだと思うのである。永続するには、利益が出ていなければならない。つまり利益は、手段であり、また企業活動の結果である。企業は社会的な存在である。土地や機械といった資本を有効に稼動させ、財やサービスを地域社会に提供して、国民の生活を保持する役目を担っている。」
だからこそ「サービスが先、利益は後」というモットーが生まれた。「安全第一、営業第二」を現場に浸透させることができた。不在時の再配達時間指定、クール宅急便やゴルフ宅急便を始めとする新サービスもこの精神から生み出された。しかもなんと、年中無休の営業体制は労働組合からの提案でスタートしたのだという。氏の哲学は社員にも浸透し、単なる理想論ではなく意思決定の根拠として、本当の意味で機能していたのだ。
小倉氏は、1995年の会長職辞任をもってヤマト運輸における一切の役職から身を引いた。
本書では詳しく書かれていないことではあるが、引退後の活動もまた、社会性を重んじる哲学に根ざしたすばらしいものであったことに、最後に少しだけ触れておきたい。
財団法人ヤマト福祉財団という、障害者支援団体がある。あるきっかけから障害者の報酬が月1万に満たない事実を知り、怒り心頭し(怒る、というこのあたりが小倉氏らしい)、1993年、小倉氏が障害者自立のために私財を投じて設立した団体である。
財団ではまず、福祉事業者向けの経営セミナーを無料で行うことから始め、そして、タカキベーカリー社長との出会いを通じてある事業を起こした。「スワンベーカリー」というパン屋さんの経営である。「アンデルセン」「リトルマーメイド」などで有名なタカキベーカリーのノウハウを活かし、障害者の月給10万円を目指そうという取り組みのもと、ヤマト運輸の特例子会社としてスタートした。
設立から7年経つ今では各地の福祉団体が母体となって、直営3店、チェーン11店の14店舗まで拡がっている。
スワンベーカリーの店内は明るく、焼きたてのパンの匂いとともに温かい雰囲気がただよう。そこで働く機会を得た障害者はもちろんのこと、母体となった団体もこの事業に手応えを感じ、意欲を増し、地域によっては宅配をメインにして売上げを伸ばすなど、独自の工夫も多くみられるのだという。小倉氏の取り組みは確かに福祉の世界に風穴を開け、具体的な道を示して見せたのである。
ヤマト運輸での経験をいかにして伝え、後の世に役立てていくか。氏が福祉に注いだ力と思いは、本書に込めたものとひとつであった。
「経営学」は、読み終えれば清々しく、心洗われるような思いがする本である。偉大な経営者の自叙伝として本棚に飾ってしまうことはしたくない。手の届く場所において、ふとしたときにページを繰って言葉を拾い、心意気に触れて背筋をのばす。そうして日々、心に留めておく本にしたいと思う。
(松江妙子)
『経営学』 新潮社; ISBN: 4822241564; 1,400(税込1,470)円; 294P
小倉氏のヤマト運輸引退後の活動にふれた著書
『福祉を変える経営 障害者の月給一万円からの脱出』 新潮社; ISBN: 4822243648; 1,300(税込1,365)円; 223P
『経営はロマンだ! 私の履歴書』 日経ビジネス人文庫; ISBN: 4532191629; 600(税込630)円; 220P
スワンベーカリー
小倉氏が設立に寄与し、命名したベーカリー。店舗によってカフェを併設している。設立の詳しい経緯がWEBサイトで紹介されている。
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