ピックアップレポート
2016年01月12日
慶應MCC「クロシング」が生まれるまで
慶應MCCは、4月からWEB上の新たな学習サービス「クロシング」を開始いたします。
これまで慶應MCCが提供してきたメニューは、東京丸の内で開催するリアルな場での学習サービスだけでしたので、バーチャルな場での学習システムは初めての試みになります。
そこで、1月、2月と二回に分けて、クロシング開発の裏側を紹介させていただきたいと思います。
プロトタイプつくりプロジェクト「MCC+(プラス)」
慶應MCCは2001年のオープンから15年が経ちます。お陰様で、現在は年間2万人のビジネスパースンに学んでいただけるまでになりました。
なかでも、定例講演会『夕学五十講』は、いま開講中の2015年度後期が終了すると通算775回開催したことになります。平均受講者は220人程度なので、単純計算すると累計17万人を越える受講者に来ていただいたことになります。
『夕学五十講』は、政治・経済から文化・スポーツまで幅広いジャンルで、第一線で活躍する素晴らしい方々を講演者としてお招きしてきました。定期的に開催する講演会シリーズとしては、質・量ともに日本で有数のものだと自負しております。
かねてから、夕学のコンテンツを別の形式で、もっと多くの方々にご覧いただくことはできないかという思いがありました。
「6時半開始は早過ぎ!仕事を終えてからでは間に合わない」
「聴きたい講演があっても、すぐに満席になってしまう!」
「海外でもサテライト配信をやって欲しい!」
そういった声をよくお聞きしており、夕学コンテンツを使ってWEB上で新しい学習システムをつくりたいと考えていました。
ネットで動画を見る環境が整備されてきたことを受けて、一年前から具体的な準備を始めました。プロジェクトディレクターとして、システム開発のプロで、社会人教育にも造詣が深い本間浩一さんに加わっていただきました。本間さんは、リクルート社でISIZE等のインターネット関連新規ビジネスの立ち上げに技術開発面の責任者として関わってきたITビジネスの専門家です。また慶應義塾の「福澤諭吉文明塾」のプログラムキュレーターを5年以上務めています。今回の企画にはうってつけの強力な助っ人となりました。
本間さんの発案で、慶應MCCシンパの参加者にプロトタイプづくりに参画していただくことにしました。新たな商品・サービスを開発する際には、消費者(受講者)参画型の製品開発を試してみたいとかねてから考えていたので、これはよい機会になると思いました。
プロトタイプづくりのプロジェクト名は「MCC+(プラス)」と名付けました。Facebookページを開設し、ここにアップした映像を視聴してもらい、イベント機能を利用して試行的な議論をしてみることにしました。
「いつでも自由にコメントを書いてください」と呼び掛けてもダメだということは分かっていたので、ゆるやかなテーマを設定し、日時を決めて1時間程度のライブディスカッションもやってみました。
オンラインコミュニティに関する研究知見から、場を活性化するためには、参加者に対して、具体的な役割や制約条件を課した方が、効果的であることがわかっています。協力いただいた80数名のうちに、実際に関与してもらえる方々の歩留まりがどの程度になるかも、ある程度想定したうえで、実際の動向がどうなるかも注意深く観察していきました。
映像コンテンツは、プロトタイプづくりの主旨に賛同してくれた3名の先生方の講演を試験的に編集しました。基本的に講演内容には手を入れることはしませんが、90分の講演を内容のまとまりを考慮しながら7分~12分程度に区切り、インデックスタイトルを入れました。ネットで継続的に映像を見るのは10分が限界だ、という通説がありますので、それを考慮して、分割視聴や再視聴を容易にするためです。
プロトタイプづくりプロジェクトは2014年12月から翌年2月までの3ヶ月間実施しました。
クロシングのコンセプトが生まれたきっかけ
「思考の交差」というコンセプトや「クロシング」という名称のヒントは、このプロトタイプづくりから生まれました。
きっかけは、プロジェクトの後半に3本目の講演映像を見ながら探索的なディスカッションをした際に、受講者が書いてくれたひとつのコメントに本間さんが着眼したことでした。
「今回視聴した3本の講演には選定にあたって何かの意図があったのではないか。3本に通底するテーマがあるような気がする・・・」
正直なことを言うと、私達は試行段階での協力をお願いし易い先生を選んだだけで、選定に意図はなかったのですが、結果的に多彩なジャンルに渡っていました。相互関連性を考慮せずに選んだ3本の講演をご覧になって、見る側がそこになんらかの意味を読み取り、自分なりの線を結んでくれたのです。これは意図せざる発見でした。
本間さんからこのコメントを指摘された時に、私は、夕学をよく聴いていただいている受講者の方が次のような主旨のことをおっしゃっていたことを思い出しました。
「夕学の良いところは、思わぬところで話がつながるところだね・・・」
この感覚は、私もよくわかります。ジャンルにこだわらずに数多くの講演を聴いていると、まったく違う世界の話、異なった文脈で使われる理論が、シンクロすることがあるのです。脳内シナプスが結合して、なにかが発火する感覚に近いものです。
良質な講演を数多く聴くことの価値は、ここにあるのではないでしょうか。
講演映像を単体で視聴するのではなく、あるテーマを掲げたうえで、複数の講演をつなげてみる。そこに「思考の交差」「発想のひらめき」が起きるかもしれない。
これを新しい学習サービスのコンセプトに据えよう。
それまでは、講演毎にディスカッションをする設定にしていたのですが、議論の広がりに欠け、予定調和に陥る傾向を感じていたので、この時、急に視界が開け、方向性が見えたような気がしました。
理論的な肉付け
「思考の交差」「発想のひらめき」というコンセプトの理論的裏付けは、すぐにみつかりました。創造研究の大家アサー・ケストラーが提唱する「Bisociation」という概念です。日本語では二元結合、異相連結などと訳されることがあるようです。
あらゆる創造活動は、互いに独立した二種類の思考母体が交差する所で生まれる。
創造とは、ある事実・アイデア・理論・技術等を別の思考母体に転換し、これまで結びつけられなかった他のものと結合させることである。
「Bisociation」はこのように定義することができます。
ケストラーは、『創造活動の理論』という著書のなかで、「科学的な新発見」「審美的な芸術表現」「人を感動させる文学作品」等々、古今東西の知的創造活動の多くは、いずれも二種類の思考交差によって生まれたことを、いくつもの事例をあげながら紹介しています。
事例には、有名なアルキメデスの「ユーリカ体験」のことも書かれています。
古代ギリシャの都市国家シラクサの王は、自分の王冠が偽造の金ではないかと疑っていた。王は、賢人アルキメデスに真偽を確かめることを命じた。
アルキメデスは、金の体積と重量の関係を知っていた。ゆえに、もし彼が王冠の体積を知ることができれば、それが純金であるか否かを判断することができる。しかし、複雑な飾りや細工をほどこされた王冠の体積をどうやって測定すればよいか、方法が見つからずにアルキメデス悩み続けた。
ある日アルキメデスは風呂の中で、体の容積によって、風呂の水位が上がることに気づいた。その瞬間、王冠を同じように水に沈めて、その体積を測定すればよいというアイデアが閃いた。
彼は「Eureka! 」(I have found it)と叫んで、風呂から飛び出し、喜びのあまり裸で街を走り回った・・・
この例からも、「思考の交差」には、知識と知識、体験と知識、問題・課題と理論など、いくつもの組み合わせがあることがわかります。
我々がやろうとしていることは、まさにこれでした。
思考の交差は、二種類に限らず、もっと数が多い=未知の数「X」の方がふさわしい。「X」という字型イメージと交差点の英語表現から、名称は「クロシング」としよう。
まるで「思考の交差」が起きたように構想が一気に進みました。
「思考の交差」を起こす仕掛け
「思考の交差」を起こしてもらう仕掛けとして、「クロシングテーマ」を掲げることにしました。文脈が異なる複数の講演に結節点をつくるためには、抽象的で、いかようにも展開できる、ゆるやかな概念フレームが必要です。しかも思考の柔軟性は失わずに、一定の枠組みから逸脱はしない方向付けがなされなければなりません。
落語の「なぞかけ」を思い浮かべていただくとイメージが近いかもしれません。「○○とかけて××と解きます。その心は・・・」というあれです。
実際のクロシングテーマには、次のようなものがあります。
これらは、昨年末に一部の慶應MCC参加者を対象とした体験利用で使ったテーマです。
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「どん底と哲学のクロシング」
講演:旭酒造(株)桜井博志社長 × 慶應義塾大学商学部 菊澤研宗教授
人気の日本酒「獺祭」を世に送り出した桜井博社長が味わった“どん底”と、経営学者の菊澤研宗教授が説く哲学的マネジメント。ドロドロとした実践とクリアな理念のクロシングを通して、いま経営に求められているものとはなにか、を考えます。
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「壁と空のクロシング」
講演:教育改革実践家 藤原和博氏 × 漫画家 ヤマザキマリ氏 × 横浜国大大学院 服部泰宏准教授
保護と制約をもたらす“壁”。自由と不安を象徴する“空”。相反するふたつの風景のクロシングを通して、本当の「人間力」とは何かを考えます。
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如何でしょうか。なにやら楽しそうな感じはしないでしょうか。
私達は、編集のために同じ講演を5回以上聴ききますので、それぞれの講師のメッセージを的確に把握することができます。また、何度も聴き直すと当初は気づかなかった「ある一言」がジワジワと心に響いてくることもあります。
「どん底と哲学」「壁と空」というワードは、そうした過程から紡ぎ出したものです。
WEB上の探索的ディスカッションは可能か
さてここで、「WEB上で探索的なディスカッションは可能か」という命題を考えてみましょう。WEB上の学習システムに“Eラーニング”というラベルが付与されるようになったのは、私の記憶では1990年代後半だったと思います。
以来20年近く経ちますが、いまもって上記の命題に対して懐疑的な見解が支配的です。SNSが普及し、ネットを通して人と人がつながることが当たり前になった現在でさえ、この認識は変わっていないようです。
これは学習システムだけではなく、あらゆるオンラインコミュニティに共通する課題で、米国でも指摘されている問題のようです。
Eラーニングは、資格教育・語学教育など教授伝達型教育ツールとしては有効だが、「考える力」を養うことには不向き。それが広く共有化された認識ではないかと思います。
ただ、懐疑的な意見をよくよく聞いてみると、多くの場合「リアルな場でのディスカッションをネット上で再現することは難しい」と感じているのだということに気づきます。つまりバーチャルの場では、リアルの場の代替機能は果たせないという認識です。
確かにその通りで、リアルな場で話した方が濃密な議論ができるのは当たり前のことです。
あるいは、オンラインコミュニティには「場の空気」のようなものが働かないので、感情的な対立が制御できなくなる、荒れる。という指摘は昔からあって、いまではSNSでの炎上によって世間の注目を集めるマーケティング手法さえあると聞きます。
しかし、よく考えてみれば、リアルな場でのディスカッションも一様ではありません。4人の打ち合わせ、20人のケースメソッド、300人のワールドカフェ、いずれもまったく異なる設計やファシリテートが必要になります。
少人数の場合は、参加者ひとり一人の意見をきちんと引き出すことができるか。20人であれば、空気に支配されない多様化・相対化された意見交換ができるか。300人の時には、参加者同士の共有意識や止揚的視点を形成できるか等々、よい議論となるための条件は異なるでしょう。
少人数の打ち合わせで生まれる濃密な議論の代替を300人のワールドカフェで再現することはできません。大人数のワールドカフェで起きるダイナミズムを20人のケースに期待するのは無理があります。リアルな場という共通点はあっても、それぞれのディスカッションのあり方は異なるのです。
だとすれば、リアルな場でのディスカッションが一様ではないように、WEB上には、リアルとは別のもうひとつの(あるいは複数の)ディスカッションのあり方があるかもしれません。クロシングでは、リアルな場でのディスカションを再現するのではなく、WEB上だからできる異なるディスカッションのあり方を提示できれば、と考えています。
慶應MCCでは「新たな学びの文化」を創造することを組織ミッションに掲げています。WEB上でリアルの場とは異なるディスカッションのあり方を見つけることは、新たな学びの文化の創造でもあります。できるかどうかはわかりませんが、挑んでみる価値のある挑戦課題であることは間違いないと思っています。
※新学習サービス『クロシング』については、下記のサイトもご覧ください。
■クロシングー現代の”Eureka”をめざして!
https://www.keiomcc.com/xing/
■慶應MCCのFacebook
https://www.facebook.com/keiomcc/
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