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夕学レポート

2006年04月11日

山本 一力 「人生の目利きになる」

山本一力 作家 >>講師紹介
講演日時:2006年2月3日(金) PM6:30-PM8:30

節分の2月3日、『夕学五十講』は、作家・山本一力氏のご講演でした。
山本氏は、江東区の自宅から会場の丸ビルまで自転車で来られました。当日、暖かい高知から戻られたばかりだったこともあり、自転車に乗りながら感じた強い向かい風の中には、まだ「凍え」をはらんでいることに気づいたそうです。山本氏は、このことを「風がくらいついてくる」という表現で語られましたが、こうした文学者らしい味のある話し方で自分の人生を語ってくださいました。


さて、今回のタイトルは「人生の目利きになる」でしたが、山本氏自身は、自分が人生の目利きとはまったく思っていないそうです。むしろ、仕事の中で出会った人たちこそが人生の目利きであり、彼らから多くのことを学んだと考えているそうです。
ただ、山本氏は、14歳の時に東京に出てきて今に至るまでの37年間、ずっと「セールス」の仕事をやってきたという強い自負を持っています。
山本氏のセールス人生は、18歳で入社した旅行会社から始まりました。この会社では、時刻表を2、3日眺めただけの新入社員にも関わらず、いきなりカウンター越しに接客をやらされました。まだ自分が行ったこともない場所、漢字でどう書くかさえ知らない観光地についての問い合わせに答えなければならないこともありました。そんな時、会社の先輩に厳しく言われたことは、「いったん、カウンターの内側に入ったらプロの自覚を持つこと」でした。また、わからないことはわからないとお客さんにはっきり言うこと。待ってもらって先輩に聞けばよい。知らないからといってお客さんは怒らない。いい加減なことを言ってうそをつくのが一番良くない、と諭されたそうです。
旅行の添乗員として一番大事なことも先輩から教わりました。それは、「出発した場所にお客さんを元気でつれて帰ること」だそうです。なによりも、お客さんが怪我や病気をしないで無事に帰れるような準備、段取りが大切なのです。旅行会社では、先輩から繰り返し説教され、時になぐられることもあったそうですが、モノゴトの基本を叩き込んでもらったと感謝しているそうです。
山本氏は旅行会社に10年ほど勤めた後独立し、グラフィックデザインの会社を秋葉原で立ち上げます。なかなか仕事が取れず、名刺が通用しない悲哀を味わったそうです。でも、どんなに状況が厳しくても、在籍していた旅行会社に仕事をもらうことはしなかったそうです。そうでもしないと立ち行かないと思ったときは、会社をたたむ時だと考えていました。
結局、山本氏は自分の会社を閉じ、別の会社の営業マンとして入社しました。ゼロからのやり直しでした。
その会社では、企業相手の電話営業をやったそうですが、社長からは、見知らぬ電話相手に対して「売り込みです」と堂々と売り込むことを強制されました。「売り込みです」といって、まともに話を聞いてくれる人はほとんどいません。それでも、100件に1件くらいは、「そんな言い方をする営業は初めてだ、面白いから話を聞いてやる」という人がいました。苦労してアポイントが取れた時のうれしさは格別だったようです。
そうやって訪問した営業先では、事前に集めたその会社の情報をしたり顔で話してみせたそうです。自社のことをよく知っていると感心するお客さんもいました。しかし、ある方からは、「自分の会社のことは自分が一番知っている。君から聞かせてもらわなくてもいい。売り込みをしたかったら、むしろ、相手に相手のことをしゃべってもらいなさい。相手の口から、相手が抱えているであろう‘やりたいこと’を引き出しなさい」とアドバイスされたのです。このアドバイスは、山本氏のセールスのやり方を変えるきっかけとなりました。アドバイスしてくれた方とはいまでもお付き合いがあるそうです。
また、作家になってからは、ある編集者から2つの貴重なアドバイスをもらったそうです。ひとつは、読者をその場に連れて行くこと。例えば、小説の中に出てくる呉服屋がどんなつくりになっているのか、単なる説明になってしまっては、読者はその話に入り込めないのです。あたかもそのお店に読者を連れて行ったかのような描写でなければならないということを言われたのでした。もうひとつは、調べたことを全部書こうとしないこと。小説を書くに当たって十分な取材は当然必要です。でも、調べたことを全部書いたのでは論文になってしまいます。「100調べたら、95は捨てなさい」と言われたそうです。
さて、山本氏が直木賞を受賞してから、決定的な変化がありました。それは、相手の方が、先に門を開いてくれるようになったのです。取材をするにしても、直木賞作家ということで相手の方が積極的に協力してくれることが多くなりました。しかし、山本氏にすれば、これは大きな勘違いの元です。極めて危ない領域に立っていると自覚しているそうです。
そこで、直木賞を受賞する前も、また受賞した今も、常に「これは売り込みです」と真正面からセールスをした経験やその時の気持ちを忘れないようにしているそうです。「モノゴトは、汗を流さずに簡単にできない」ということをセールスで学んだからです。
山本氏は、チャーリー・チャップリンが言ったように、常に「次の作品がベスト」だと考えて小説を書いています。そしてまた、常に「営業マン」でいようとしているそうです。
今回の講演も、いわば受講者を相手にしての90分間のセールスであると考え、この時間を退屈させず、途中で退席させないで引き止めておけるよう全力で打ち込まれたようです。さすが山本氏はセールスの大ベテランです。今回の『夕学五十講』という名のセールスは成功裡に終わりました。

主要著書
あかね空』文藝春秋、2001年
深川黄表紙掛取り帖』講談社、2002年
家族力』文藝春秋、2002年
いっぽん桜』新潮社、2003年

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