今月の1冊
2016年09月13日
竹内敏晴『「からだ」と「ことば」のレッスン』
私がまだ幼稚園に通っていた時のこと。大きく重たい、ある1台のラジカセが宝物だった時期があります。
当時は世にCDが普及し始めた頃で、新しいもの好きの姉が早速CDラジカセを手に入れたことで、お古として私の元に転がり込んで来たものでした。
このラジカセ、旧式とはいえ中々の高性能で、マイク付きで外部の音声をカセットテープに録音することが出来ました。幼い私はその機能に夢中になり、そこら中の音という音を録音して楽しんでいました。
ある時、絵本の朗読を録音してみようと思い立ちました。その題材は「三匹の子ぶた」。母が眠る前に読んでくれる絵本の中でも、とびきりお気に入りの1冊でした。
最初は母に朗読をお願いしようと思っていたのですが、どうやら夕飯の支度で忙しそう。それなら自分で読んでみようということで、絵本を片手にマイクを握り、ラジカセの録音ボタンを押したのです。
何せお気に入りの1冊のこと。話の筋はほとんど暗記していますし、自分では上手に読めている自信がありました。読んでいる内にだんだん興奮してきたのか、最初は座って朗読をしていたはずなのに、子ぶた達が狼をやっつける頃には、立ち上がって身振り手振りを交えながらの熱演となっていた位です。
「この会心作を家族みんなに聞いてもらいたい!」と思い、重たいラジカセを家族が揃うリビングまで意気揚々と運び込み、得意げに再生ボタンを押しました。この後に受けた衝撃は、今でも鮮明に覚えています。
確かに自分の声で録音したはずのテープから聞こえてくるのは、妙に甲高く滑舌の悪い、まったく聞き覚えの無い声でした。だいぶ調子の外れたその声は、物語の盛り上がりとともに興奮で乱れ、半ば奇声に近い音がリビングに響き渡ります。
私はこの時はじめて、自分自身の声を客観的に聴くという体験をしたのです。この聞き覚えの無い声が「自分の声」なのだと気がついてからは、それまで頭の中にあった「自分の声」とのあまりのイメージの違いに、恥ずかしいやら混乱するやらで、途中からその録音はとても聴いていられませんでした。
それ以降、すっかり自分の声が嫌いになってしまった私は、ラジカセで遊ぶことはほとんど無くなりました。おまけにかなりの長い間、人前で喋ることが苦手になってしまったのでした。
この本を読んでいると、ふとそんな幼い日のトラウマが思い出されました。
本書は、演出家の故 竹内敏晴氏が主宰していた「からだとことばのワークショップ」の内容を多くの写真と共に記録した1冊です。初版は今から25年以上も前の本ですが、コミュニケーションや自己表現について考えさせられる良書として、今なお多くの人が手にとっています。
“二人が話し合っている―と見えるのだが、見ていると、一人が勝手に何か言いたいことをしゃべっているだけで、相手をろくに見てもいない。声は彼の前方に散らばるか、時には足元に落ちたりテーブルの上ではねたりしている”
こうした表現にも現れているように、竹内氏は「ことば」に対して、特別な感覚を持っていました。
竹内氏は、生後すぐに患った中耳炎のせいでひどい難聴となり、新薬が開発された15歳頃までの間、ほとんど音が聞こえない状態で過ごしました。その後、徐々に聴力を取り戻していくのですが、大半の人が幼少期に無意識に行う言語の習得を、青年期以降に意識的に行わなければなりませんでした。そんな経験が氏の「ことば」そして、ことばから影響を受ける「からだ」に対する鋭敏な感覚を培ったのだといいます。
竹内氏の行ったワークショップには、演劇や芸術表現の訓練に訪れる人ばかりではなく、吃音や赤面症などの症状を抱え、コミュニケーションに不安を感じている方も多く参加されていたそうです。
本書には、「話しかけ」のレッスンにはじまり、「緊張」に気づくレッスン、「出会い」のレッスンなど、氏が行っていた数多くのレッスンの一部が記載されています。
竹内氏は、レッスンの基本はまず「ひと(他者)に触りきれない自分に気づくこと」「自らのからだのこわばりに気づくこと」だとまとめています。
自分の「ことば」が相手に届ききっていない事を認め、「からだ」の無意識に身構えに気づき、その緊張を解く事が相手に届く力のある言葉を発する第一歩となるのです。
それぞれのレッスンの中では、「からだ」に働きかけることで「ことば」の届き方が変わったり、反対に「ことば」に働きかけることで、その人の「行動」が変わったりと、「からだ」と「ことば」が深くつながっていることを感じさせられます。
思い返せば、私が人前で話すことに抵抗がなくなってきたことも、「からだ」の変化によるところが大きかったように思います。
中学校に上がってまもなく運動部に入り、それから僅か1年間で身長も10センチ以上伸び、細いからだにも少しずつ筋肉がついていきました。こうした「からだ」の変化が、ある種の自信となり、徐々に人前でも声がひっかかることなく、相手の目を見て話せるようになってきたのだと思います。
私の場合は、身体の自然な成長がたまたま良い方向に作用しましたが、こうしたワークショップでのアプローチは、「からだ」が成長しきった私たち大人にこそ有効な手法なのではないかと感じました。
残念ながら竹内氏は2009年に亡くなられましたが、「からだとことばのレッスン」は有志に引き継がれ、現在は「人間と演劇研究所」が定期的に開催しています。竹内氏の没後もこうして脈々とレッスンが受け継がれていることに安心するとともに、「ことば」と「からだ」に関する種々の事柄が、私たちにとっての普遍的な悩みであることを表しているように思います。
竹内氏は、自身が「ことば」を体得した時の気持ちを「人と人とが共に生きていいるということの、まことによろこばしい確認である」と、その喜びを綴っています。同時に、「オレはこんなに苦しんでやっと少しばかりコトバを交わせるようになったのに、他の人たちはなんの苦しみも努力もなしに、こんな喜びを毎日、いや毎刻に味わっていたのか!」と、猛烈に腹を立てたそうです。
私たちは、普段当たり前のように「ことば」を使うことが出来るからか、「ことば」の持つ力やそのありがたさについて、あまりにも無頓着になっているのかもしれません。
「からだ」と「ことば」の深いつながり。そして人間のコミュニケーションについて、じっくりと考えさせられるこの一冊。秋の夜長のお供に如何でしょうか。
(石井雄輝)
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