今月の1冊
2016年10月11日
桑畑 幸博「『シン・ゴジラ』をマーケティングの視点で考察する」
私は学生時代、映画研究部に所属していました。
年間100本以上の映画を劇場で観て、そして8mm(時代を感じます)で自主制作の映画も撮っていました。また、学園祭や新歓イベントでは、16mmのフィルムを借りて、名画の上映会も行っていました。
その上映会、残念ながら赤字続き(暗いマイナーな映画多かったからです)だったのですが、私が部長となったとき、黒字を出すために選択したのが1954年に公開された「ゴジラ」でした。
時は流れて2016年の今年、ご存じのようにゴジラの新作が生まれ、大ヒットしています。
そう、「シン・ゴジラ」です。
たくさんの人たちが、たくさんのメディアで、この映画について語っています。
私もブログで少しだけ触れましたが、今回の「今月の一冊」では、この「シン・ゴジラ」の大ヒットを、私の専門であるマーケティングの視点で読み解いてみようと思います。
この作品が、どれだけマーケティングを緻密に行ったか、それは定かではありません。しかし、マーケティングの基本的なステップ、そして考え方に照らし合わせてみると、シン・ゴジラのマーケティング戦略の見事さが浮き彫りになります。
さて、マーケティングの基本的なステップが、「現状分析」→「ターゲティング」→「ポジショニング」→「マーケティング・ミックス」であることはご存じの方もいらっしゃるでしょう。
今回は、このステップに沿って、シン・ゴジラのマーケティングについて考えてみたいと思います。
1. 現状分析
戦略を考えるにあたって、現状を正しく認識するのは大前提です。その上で、外部環境の何を「追い風」にすべきか、そして内部環境の何を「真の強み」として活用するか。この見極めが重要です。
では、シン・ゴジラはどのような「追い風」に乗ったのか。
本作品に対する様々な評論やコメントを見ると、それは「3.11後の日本という国や社会、そして仕組みに対する継続的不安感」であり、「テロや安全保障に関する意識の高まり」と考えられます。
その意味では、「今の日本だから」ヒットしたと言えそうです。(逆説的に言えば、今後予定されているグローバル展開には不安が残ります)
次に内部環境分析。シン・ゴジラという作品の真の強み、所謂コアコンピタンスは何だったのでしょうか。
ここでは、それを「脚本・総監督の庵野秀明氏」「監督・特撮監督の樋口真嗣氏」、そして「制作・配給の東宝という企業」に分けて考えます。
では、この三者にはどのような強みがあり、それをどう活かしたのか。それは後ほど説明します。
2. ターゲティング
現状分析で見えてきた追い風に乗り、真の強みを活かすためには「どのような層を顧客とすべきか」。これを考えるのがターゲティングのプロセスです。
このターゲティングがいい加減だと、「誰に向けたものかわからない」中途半端な商品・サービスになってしまいます。「万人向け」の商品・サービスは個、個々の顧客にとっては「自分向けではない」と見なされるのです。
シン・ゴジラにおいて、ターゲットは明確です。
まず、「ゴジラ」というわが国屈指のキャラクターを使った怪獣映画ですから、当然「特撮ファン」です。しかし、一般的な特撮テレビドラマのターゲットである「未就学男児」はターゲットとしていません。この割り切りも、他の国産特撮映画とは一線を画しています。
そして「あの」庵野監督ですから、「エヴァンゲリオンのファン」もターゲット。
それに加え、現状分析で見えてきた追い風から、「政治や社会問題への関心が深い人々」、具体的には政治・社会系のブロガーや評論家、そして政治家やメディアも、従来のこの手の映画とは異なるターゲットとなっています。
こうして見ると、映画やテレビドラマにありがちな「若者」や「女性」といった、抽象的なターゲティングでなかったことがわかります。
3. ポジショニング
こうしてターゲットが明確になったら、マーケティングで次に考えるべきがポジショニングです。
同じターゲットを顧客として狙っている、「財布の中身や時間を奪い合う相手」、つまり競合とどうやって差別化するか、その方向性を決めるフェーズです。
競合、つまり他の映画作品を含めたエンターテインメントとは、異なる「提供価値」を検討するプロセスと言えるでしょう。
顧客(ターゲット)は、この作品を観ることで、「何を得ることができる」のか、あるいは「何をしなくてよくなる」のか、これが提供価値。
そしてそれが競合となる作品にはない価値であれば、それが「差別化」できたことになるわけです。
シン・ゴジラの場合、「自分ごととしてリアルに恐怖や絶望を感じることができる」や「組織や日本の問題点や希望を発見できる」、そして「恋愛・家族愛など、余計なものに気を取られなくて済む」などが、ハリウッド版ゴジラや従来の東宝ゴジラ、そして他のスペクタクル映画にはない提供価値でした。
見事に「差別化」されており、この映画が独自のポジションを築いていたことがわかります。
4. マーケティング・ミックス
ポジショニング、つまり差別化の方向性が明確になれば、あとは具体的な戦術レベル。どうやって差別化するための価値を提供できるか、というマーケティング・ミックスというフェーズになります。
一般的には、これを4P(Product, Price, Place, Promotion)に分けて検討するわけですが、ここでは製品戦略(Product)とチャネル戦略(Place)に絞って考えてみます。
マーケティング・ミックスを検討する際に重要なのが、現状分析で見極めた「真の強み」を「徹底的に使い倒す」ことです。
まず製品戦略ですが、映画ではもちろんこれは作品そのものです。
脚本・演出・カメラワークに音楽、そして特殊効果にキャスティングや小道具などなど、真の強みを活かし、どういう作品にするか。ヒットの是非は同然ここで決まります。
では、先ほど提示した「庵野監督/樋口監督」の、真の強みを通して考察していきましょう。
まず、庵野監督の強みとは? 作品や作劇の特徴と言ってもいいですね。
個人的には、それは「スピード感」であり、もうひとつは観客に「考えることを要求する作劇スタイル」だと思っています。
特にポイントとなるのが、「考えさせる作劇」。
一般的なドラマや映画の作劇は、わかりやすさを重視するために、「愛って素晴らしい」といった大前提を提示し、それに様々なエピソードを重ね合わせ、「だからこうだ」という演繹的な論理展開が多くなります。
ところが庵野監督の場合は、エヴァンゲリオンでもそうだったように、この大前提を提示しません。
そればかりか、「主人公は逃げない」という大前提すら、エヴァンゲリオンで否定しました。
その代わりに彼が提示するのが、圧倒的な量の「情報」です。そうしておいて「これらから何が言えると思う?」と、解釈やその後を観客に委ねます。
そう、彼の特徴のひとつが、一般的な「演繹的論理展開」よりも「帰納的論理展開」を多用した作劇です。
そしてそれが、本作のターゲットに「ドンピシャ」と刺さりました。
考えてみてください。「エヴァンゲリオンファン」「特撮ファン」そして「政治や社会問題への関心が深いブロガー/評論家/政治家/メディア」の共通点は何ですか?
そう、「考えるのと語るのが大好きな(あるいは仕事の)人たち」です。
だからこそネットやテレビ、新聞などを通したクチコミや「自分はシン・ゴジラをこう読む」という情報が世の中に溢れたのです。(日経BPは特集も組んだほどです)
そしてそれを読んだ人たちが「なんかすごそうだ」と観に行く。さらに一度観た人も見落とした情報を確認に行き、リピーターが大量発生する。
この「作劇スタイルを活かした集客システム」は、シン・ゴジラが大ヒットした大きな要因と言えるでしょう。
次に、樋口監督の強みを考えてみると、それはやはり「デジタルを駆使した画面づくり」です。
特に引いた絵だけでなく、ズームしたときの画面のディテールの見せ方は、今回も際立っています。
平成ガメラシリーズの特技監督として名を上げた樋口監督ならではの画づくりがなければ、3.11の津波映像を思い浮かべるような、「自分ごととしてリアルに恐怖・絶望する」という価値は提供できなかったでしょう。
しかしこう考えてくると、庵野・樋口の監督コンビは、見事な相乗効果を生んだことがわかります。
作劇とスピード感の庵野監督、そしてディテールにこだわった画づくりの樋口監督。これぞ(「シン・ゴジラ」においては)理想的なコラボレーションと言えます。
さて、庵野・樋口両監督の強みから、シン・ゴジラがヒットした要因を「製品戦略の視点」で考えてみました。
最後に、「チャネル戦略」の視点で本作を見てみましょう。
着目すべきはもちろん、制作・配給会社である「東宝」の強みです。
これはもう、業界トップの圧倒的なスクリーン数。日本全国に600以上のスクリーンを保有する東宝だからこそ、シン・ゴジラのヒットを生んだことは明白です。店舗数の多い外食チェーンと、店舗の少ないチェーンでは、どちらが売上高が高くなるか、というのと同じですね。
また、同じく東宝系映画館で公開され、シン・ゴジラを超える大ヒットとなっている「君の名は。」も、配給が東宝でなかったら、間違いなくここまでのヒットにはなっていません。
「シン・ゴジラ」にしろ「君の名は。」にしろ、どんなにクチコミで人気が出たとしても、上映されている劇場が少なければ、機会損失によって興収は伸びないからです。
…マーケティングの視点で、シン・ゴジラについて考察してきました。
こうして語っているということは、私も、もちろん本作の「ど真ん中のターゲット」です(笑)
特撮・アニメのオタクであり、考え、語るのが仕事ですから。
ということで、最後に「作劇スタイルを活かした集客システム」の歯車の一人としてヒトコト。
「10月現在、まだやっている劇場があります。シン・ゴジラ、ぜひ一度観てください! それが無理な人はDVDやブルーレイを買いましょう!」
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