今月の1冊
2006年08月08日
フランク・パヴロフ 著『茶色の朝』
タイトルからは、容易に内容が想像できない。表紙には、色とりどりの花らしき絵が、子どものお絵かきのようなタッチで描かれている。帯には、「フランスの政治を動かしたベストセラー寓話」と書かれている。そして、読者の言葉として「心うたれました、まさに今の私達への警告の書」「これは現在進行形の物語ではないだろうか」などと、書かれている(第8刷)。ますますこのタイトルの意味するものがわからないが、興味をそそられる。
しかし、一度読み終えてみると、何とも言えない不安と恐怖の感覚とともにそのタイトルにこめられた深い意味がよくわかる。
日本でも反響をよび、読まれた方も多くいらっしゃるのではないだろうか。原作は、1998年にフランスで、わずか1ユーロ、11ページの寓話として出版されたものである。著者のフランク・パヴロフは、心理学者であり、当時躍進を続けていた極右政党に対する強い抗議の意思表示として、この作品を出版したのだという。そして、2002年の大統領選において、人種差別と排外主義を主張する極右候補が決選投票に残る事態となったときに、多くの人々に爆発的に読まれ、結果極右政党を敗北に追いやったのである。
そして、日本語版は、この原作の訳文と、ヴィンセント・ギャロが日本語版のために描いた「Brown Morning」14点の挿絵と、哲学者高橋哲哉のメッセージが加わったオリジナル編集である。
私にとって高橋氏のメッセージのページを読むまで、“茶色”の意味はわからなかった。かつてナチス・ドイツに侵攻された歴史を持つ欧州の人々にとって、“茶色”の意味は重い。初期のナチス党が制服に使っていたのが茶色であり、ナチズム、あるいはファシズムの象徴なのだという。だからこそ、この寓話は、極右運動への人々の危機感を覚醒させ、ベストセラーとなったのだろう。
物語は、主人公のごく普通の男性「俺」が、ある日友人のシャルリーからペットの黒毛の犬を安楽死させたという話を聞くところから始まる。安楽死させたのは、毛が茶色以外の犬猫を飼ってはならないという法律を政府がつくったからだ。シャルリーの話に、「俺」は、ちょっとした違和感をもったものの、別に自分の生活には関係ないし、法律でありその根拠に理由もなく納得し、仕方のないことと、結局は流してしまう。その後も、この法律を批判した新聞が廃刊になったり、系列の出版社の本が書店から消えたり、単語や言葉に“茶色”をつけるのが習慣になったり、急速に茶色の社会に染まっていく。
やがて、「俺」たちは、茶色に染まることに違和感をもたなくなり、「茶色に守られた安心、それも悪くない」とまで言うほど、あたりまえのように順応していく。しかし、やがて次々と友人たちが、過去にまで遡り茶色以外の犬猫を飼った経験があるという理由で逮捕され、ついに「俺」にも危険が迫る。だが、そうした不当な理由にさえも従順を貫き、物語は終わる。
どこにでもありそうな街の日常が少しずつ茶色に染まっていく様子を描いた物語である。茶色に染まるというのは、他の色は認めない全体主義に支配されるということであるが、日々の生活に知らぬ間に忍び込み、人びとの行動や考え方を知らず知らずのうちに、だんだんと支配するようになるさまを描いている。短時間で読めてしまうものの、内容的には、心にずしりと重く響き、非常に考えさせられる作品である。淡々と静かに書かれた文章に、かえってその恐ろしさを実感する。
高橋氏は、メッセージの中で、「やり過ごさないこと、考えつづけること」の大切さを強調する。まさに、ひとりひとりの思考停止、無頓着さが、知らないうちに日常を「茶色」に染め、取り返しのつかない状況を生んでしまうその危険性に、警鐘を鳴らしている。
この『茶色の朝』の物語は、現代の日本や私たちにとって、決して無縁ではない。もしかして、すでにこの国も“茶色の朝”に向かっているのかもしれない。疑問をもたずに大勢に流され、自分以外のことに無関心、理由をつけては自己正当化をする、それは、多くの人々の中に存在するのではないだろうか。少なくとも私の中に存在することを、私自身否定できない。
「やり過ごさないこと、考えつづけること」―ことばでいうことは簡単で、その大切さは頭ではわかっていても、いざ実際にそのような状況になったとき、主人公の「俺」のように「茶色に守られた安心、それも悪くない」と自らを正当化する気持ちが沸き起こってくることを、押さえることができるだろうか。
はじめは違和感や不安を感じても、それに逆らわずやりすごし適応していけば、さしあたっての直接の被害にはあわない。ひとつひとつの出来事にとまどいながらも、面倒なことに巻き込まれるよりも、そのつど何らかの理由を見つけては、「仕方ない」「自分には関係ない」と、おとなしくしているほうが楽である。それが積み重なっていくことによって、徐々に疑問にさえ思わなくなる。
だが、このやりすごしが、取り返しのつかない恐ろしい事態を招くことになる。後悔してももう後戻りはできない、そしてこの期におよんでまでも、抵抗しなかった自分を擁護するような理由や、外へ責任転嫁をし、最後になってもなお、順応してしまう、そんな状況にならないとも言い切れない。
「茶色の朝」を迎えないためにも、自分自身の疑問や違和感を大切にし、やりすごさず考えつづけ、そして勇気をもって、発言し、行動していかなければならないと、強く感じた。挿絵も含めて30ページの寓話、そしてメッセージまで含めても50ページ足らずの本であるが、これまでの自分、そしてこれからの自分を深く考えさせられる一冊である。そして、自分への警鐘として、折に触れて何度も読み返していきたい一冊である。
(井草真喜子)
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