2017年01月17日
土井 善晴『一汁一菜でよいという提案』
12月のある日、半年ぶりに後輩から「ご相談が」と神妙なタイトルのメールが届きました。内容は、夕食準備が45分かかってしまっているので30分に短縮する良い手立てはないか?との相談でした。我が家も3人の子供相手に、時間を優先してお弁当を買って帰ることがあります。話題になった作りおきメニューは、食べる時には作ってあるものが食べたくないことが多い私。なかなかこれといったやり方が定まりません。
子供がいてもいなくても、仕事をしていると食事の支度が負担になったり、一人暮らしでは面倒だったり、心身ともに健康でありたいと思っていても、外のことを優先して大切にすべき自分のことは後回しにしてしまう方が多いのではないでしょうか。
料理研究家である土井善晴氏は、本書で、生きることとは食べること、つまり良く生きるには良く食べること、そのために「一汁一菜」を食事の基本とすることを提案します。
一汁一菜とは、「ご飯」と具だくさんの「味噌汁」と「漬物」からなる食事の型です。
土井氏は、この「一汁一菜」を、自信を持って日々の食事の基本と決めてくださいと言います。
その理由には、合理性。
食文化は、長い歴史の中で人々がその土地の風土で生きるためにできあがるもので、豊かな自然と四季がある日本では和食こそが私たちの身体には合うのです。
次に、栄養。味噌汁の具材には、魚や肉、豆腐、野菜や海藻など。そして人工的に作られた調味料ではなく自然の発酵食品である味噌味でいただく。これ以上体によいものはない。
3つめに、変化があり飽きないこと。味噌汁の具材で四季を展開することができるといいます。春はセリ、三つ葉などの芽の出るもの、貝の旬も春。夏はジュンサイ、アジの焼き身を使った冷や汁、秋は芋やキノコ汁、冬は根菜でけんちん汁や、サケの粕汁など。季節の恵みが変化を与えてくれます。
日本の風土にできあがった食の原型「一汁一菜」は、理にかなったシステムであるという由縁がここにあります。
土井氏が提案する「一汁一菜」は食へのアプローチですが、実は、仕事など自分以外の外のことに対しても応用できるのではないかと私は考えます。
「一汁一菜」では以下を大切にしています。
- 基準を持つ
- 慎ましい暮らしは大事の備え
- 簡単なことを丁寧に
- めりはりをつける
- 余裕を生かす、楽しむ
1.基準をもつこと
基準は判断のよりどころとなるものだからその基準を間違ってはいけない。
現代の私たちは、その背景をきちんと理解して、使い分けていくことが大事だといいます。
基準が異なれば、その先の判断は大きく変わります。基準はどこにあるのか、きちんと据えておかないといけません。
2.慎ましい暮らしは大事の備え
日常は暮らしであり、それは穏やかな安心があること。
一汁一菜は、シンプルな「普通」の献立です。そんな普通があるからこそ、小さな変化に気づきます、味噌汁の具が春から夏に変化したことに気づく程度に。イチロー選手が、日常の質を高めることで、変化を感じ取る直感力を意識的に磨いているように。
日常が冷静であることで、大事に備えられるということでしょう。
3.簡単なことを丁寧に
「一汁一菜」は手抜き料理ではありません。
和食は素材を生かす料理です。野菜の泥をきちんと落とす、適切な大きさにきって、アクを取り除く、などは基本的な調理であって、手間ではありません。段取り、下準備であって、日常の料理にそれ以上の手をかける必要はない。最近では手間をかけなければ料理ではないという風潮があるが、和食においては手間をかける(食材にふれる頻度が増す)ことはおいしさを失うことだといいます。
本当に必要な作業、仕事は何かを見極める必要がありそうです。真の作業・仕事にこそ時間と力をさいて、丁寧に行いたいものです。
4.めりはりをつける
日本には、「ハレ」(特別な状態、祭り事)と「ケ」(日常)の概念があります。料理においても、ハレの料理、「神様のために作る料理」とケの料理「人間のために作る料理」があり、考え方も作り方も正反対にあります。ハレの料理は、手間と時間をかけて、様々な具材を組み合わせてもまずくならないような工夫が備わっています。手を掛けるものと、手を掛けないものを区別し、場に応じて使い分けることによって2つの価値観を併存させているのですが、現在はハレの価値観をケの食卓に持ち込んで毎日の献立に悩んでいるのではないかと問います。
すべてを同じ重さで行うのではなく、状況を判断して、メリハリをつけること。
そうです、冒頭の彼女や私も、この価値観を混同させたことで悩んでいたのだと気づきました。日常の家庭料理はケの料理でよい。そう心に決めるとなんと胸のつかえがすっきりとおりることか。すがすがしい!
5.余裕を生かす、楽しむ
食事の基本を「一汁一菜」にすると、日々の献立・調理からのストレスから解放され、余裕が生まれます。その余裕は、美しさ、楽しみに当てることができるといいます。たとえば、ご飯のまぶしい白さ、三角形に整った「飯・汁・香」の形。また自分らしい器にこだわってみたり。ハレの日にいただくものとされたお酒と季節の肴。なによりも私がやりたいのは一緒に食卓を囲む人への心がけ。
たとえば「一汁一菜」が当たり前になったある日、ふとサンマに目がとまり食卓にのせてみる。子供たちが「わっ、魚がついている!」と喜ぶ笑顔と、母に少し余裕ができたと察する気持ち。またはおじいちゃんのために、ゴボウを柔らかく小さめに煮て出す、子供と別の一品を用意するのではなくて。そんな心のやりとりができたら、いいな~。
土井氏はいいます。この「一汁一菜」は、実は単なる和食献立のすすめではなく、「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」につながるもの。飽食社会の時代にあるからこそ、合理的で身体が喜ぶ食事をするとよい暮らしのリズムができ、感覚が研ぎ澄まされて人生を豊かにすることができるのではないかと。
(前田祐子)
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