夕学レポート
2009年01月13日
三浦 雄一郎 「限界を超える挑戦」
三浦雄一郎 プロスキーヤー、クラーク記念国際高等学校 校長 >>講師紹介
講演日時:2008年11月25日(火) PM6:30-PM8:30
三浦氏は2003年5月、当時70歳という世界最高齢でエベレスト登頂に成功し、ギネスブックにも掲載される偉業を成し遂げられましたが、75歳となった今年5月にも再登頂を果たされています。今回は、70代にして2度ものエベレスト登頂に成功するまでの興味深いお話をお聴きすることができました。
地球最大のヒマラヤ山脈にあるエベレストの標高は8848m。ネパールとチベットの国境にあり、両側から登頂ルートがあります。ネパール側の登頂ルートは、インド大陸から北に向かってユーラシア大陸が押し上げられる形で隆起した山脈のため急峻であり、一方、チベット側のルートは、5,200mのベースキャンプまで車で行けるほど緩やかです。道路も途中までは立派に舗装されているそうです。
三浦氏は年齢のことも考え、当初はチベットからのルートで山頂を目指す予定でした。ところが、北京オリンピックに絡んで起きたチベット暴動のため外国人のチベット立ち入りが禁止となり、ネパールからのルートに変更を余儀なくされました。
ネパール側のベースキャンプは5,400mのところにあります。ここに着いてキャンプを設営するだけでも1カ月がかりです。高度が上がるにつれ薄くなる空気に順応するため、十分に時間をかけて登る必要があります。三浦氏によれば平地における空気の酸素濃度は約21%ですが、高度が1,000m上がる度に酸素濃度は10%減少するそうです。したがって、高度5,000mの酸素濃度は地上の約半分となります。もはやこの高度では、哺乳類は子孫を残すことのできない環境だそうです。
空気が薄いと酸欠状態になりますから、誰もが頭痛に見舞われます。酸素が少ない分、心臓はよけいに働かなければなりません。体内に赤血球を送り出す回数を増やさなければならないということです。ですから、高度5,000mでは、何もしなくても平地でジョギングをしている状況と同じ程度の脈拍数(100~110回/分)に上がるそうです。さらに、5,000mを超える場所にいると、寝ている間も心臓がこの速さで動き、大変大きな負担がかかります。
そのため、このような厳しい環境に体を順応させるのに、高いところに登っては低いところに戻って休むという高度順応を繰り返します。高地に慣れていない人は、標高3,776mの富士山山頂でも空気が薄いと感じるものです。しかし、6,000m、7,000mといった高地への登り降りを行った後だと、4,000mの空気でさえなんと濃いのかと感じるようになるそうです。
三浦氏は再登頂に臨むにあたっての理由として、病気のことを一番にあげられました。60代に入ってからは、のんびりした引退生活を送っていたそうです。当時は、ろくに運動をしなくなったうえに、大好きな飲み放題、食べ放題の生活を続けていました。その結果、身長165cmに対して体重86kgとなり、病院で検査を受けたら、高血圧、糖尿病、高脂血症等の症状が出ており、腎臓については、このままだと数年以内に人工透析を受けなければいけなくなると言われたそうです。いわゆる「生活習慣病」にかかっていたのです。胸が締め付けられるように感じるなど、狭心症の自覚症状もありました。
ご存知の通り、雄一郎氏の父の敬三氏は、99歳でアルプスのモンブランからの滑走を実現するなど、90歳を過ぎても年間120~130日はスキー三昧の日々を送るほど頑健な方でした。また、雄一郎氏の息子たちも競技スキーヤー、オリンピック代表選手という、健康スポーツ家族として知られています。ですから、雄一郎氏が生活習慣病に苦しんでいるという事実が外部に漏れるのは好ましくないことでした。
そこで、三浦氏は70歳でのエベレスト登頂を目標に、トレーニングを再開しました。最初は、自宅そばの標高500メートルの山に登ってみたのですが、頂上まであとちょっとのところで動けなくなったそうです。見ると、遠足でやってきた幼稚園児が休んでいる三浦氏の脇を通って登っていきます。三浦氏は自分の体力がいかに低下しているかを実感されたそうです。
ただ、トレーニングをするといっても、三浦氏は講演活動で全国を飛び回っていらっしゃるため、なかなか時間を割くことができません。そこで、空港や駅から出張先まで、あるいは自宅から千駄ヶ谷の事務所までといった日々の移動時間をトレーニングに活用することにしました。ただ歩くのではなく、ウエイトを入れて片足 5~10kgの重さにした登山靴を履き、背中には20~30kgの荷物を背負って歩きました。時間があれば公園を散歩するなどして体を鍛えました。この結果、骨密度は60代から20代の水準まで戻し、また筋肉量も40代の水準まで取り戻すことができたそうです。
三浦氏は、今回75歳でのエベレスト登頂に当たって、不整脈治療の手術を2回受けられています。1回目の手術後、様子見のためにエベレストに登ってみたところ、5,500mで一歩も動けなくなってしまったそうです。そこで2回目の手術を受けることにしました。そして、2度の手術を行ってくれた先生からは、「心電図は放してもいいが、ロープは放すな」と言われたそうです。三浦氏曰く、手術が成功し、「ドクターストップ」ではなく「ドクターゴー」が出たことは再登頂へのチャンスをつかんだと暗示をかけられた思いがしたとのことでした。まさにピンチがチャンスに変わった瞬間です。
今回の登頂では、前述したように予期せぬ事態によって、厳しいネパールからのルートを登ることになりましたが、三浦氏は、かえってそのほうが面白いと感じたそうです。ハンディキャップを乗り越えることに楽しみがあり、限界だと思ったらこれがチャンスだと思うこと、ピンチをチャンスと考えられることが、冒険に成功するためには必要なことなのです。
三浦氏は、夢や目標を持ち、その達成のために無我夢中で生きることが人生を充実したものにするとお考えです。
今年5月、エベレストの頂上から、1回目の登頂ではよく見えなかった景色を存分に楽しまれた時、眼下にチベット側からの登頂ルートが見えました。本来辿るはずだったルートです。そこで、三浦氏は80歳でもう一度、チベットからのルートでエベレストに登頂することを決めたそうです。
何歳になってもチャレンジ精神を失わない三浦氏に大いに勇気付けられました。
主要著書
『デブでズボラがエベレストに登れた理由』マガジンハウス、2008年
『75歳のエベレスト』日本経済新聞出版社(日経プレミアシリーズ)、2008年
『冒険家-75歳エベレスト挑戦記』実業之日本社、2008年
『生きがい。』(三浦豪太・共著)、山と渓谷社、2008年
『高く遠い夢-70歳エベレスト登頂記』双葉社、2003年
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