今月の1冊
2010年02月09日
『なぜ宇宙人は地球に来ない?』
著者:松尾 貴史 ; イラスト:しりあがり 寿 ; 出版社:PHP研究所 ; 発行年月:2009年5月; ISBN:9784569706450 ; 本体価格:880円(税込 924円) 書籍詳細
“悪魔の証明”という言葉をご存じだろうか。
「悪魔はいるのか、それともいないのか?」という論争が起きた場合、「悪魔がいる」ことを証明するのは「こんにちは、悪魔です」とそこに悪魔を連れてくれば可能だ。しかし「悪魔はいない」ことを証明するのは難しい。なぜなら全ての存在・可能性について調査し、「全宇宙のどこを探してもいなかった」ことを示さねばならないからだ。
このように『ないことの証明』は『あることの証明』に比べ、一般に困難であることを“悪魔の証明”と呼ぶ。
テレビの心霊・超能力・宇宙人を扱った所謂オカルト・超常現象番組では、しばしば肯定派/否定派に分かれて同様の論争が繰り広げられる。
本来は悪魔の証明の通り、肯定派がその場に(誰が見てもそうとわかるように)守護霊や宇宙人を連れてくれば良いのだが、もちろんそんなことができるわけもなく、目撃者の話を連ねて帰納的に「これらのことからいるとしか考えられない」と、推論をさも事実のように述べるしかない。
そして否定派は科学的データを基に反論するのだが、前述の通り『ないことの証明』は難しいので、結局「今の科学で証明できないからと言って否定することはできない」くらいの落としどころで番組は終わるのが常だ。
さて、前置きが長くなったが、筆者の松尾貴史氏はこうした番組では常に否定派のテーブルに座っている。
“キッチュ”の別称を持つタレント・コラムニストであり、現在は京都造形芸術大学芸術学部映画学科准教授である松尾氏は、子供の頃は学校でも有数のオカルト少年だったという。
スプーン曲げやコックさんに没頭し、タロットカードに嵌り、超常現象や西洋呪術の本を読みあさっていたらしい。
そんな氏が今や番組では否定派のテーブルに座っているわけだが、氏は「自分は否定派ではなく懐疑派だ」と言う。
ここで本文を引用しよう。
私は、むやみに疑えと言いたいわけではない。振り込め詐欺やインチキ霊能者に騙されない程度の懐疑精神は持ち合わせていたいだけなのだ。
(まえがき p5 から)
私が論理思考の講師として、ロジックツリーやピラミッドストラクチャーの前に必ず伝えるメッセージに、「4つの疑問符を自分と他者に問おう」というものがある。
その1番目が「True?(本当?)」であり、これこそ松尾氏の懐疑論と同じスタンスだ。
確かに科学で証明できないもの、人知の及ばない力、歴史やロマンを感じさせる超常現象やオカルト話を「信じたい」という気持ちは理解できる。
しかし、この「信じたい」という気持ちの中に、どこか「自分のせいではないと思いたい」という感情が隠れていないだろうか。
本書でも「13」や「4」「9」などの『縁起の悪い数字』を忌避することに対して、松尾氏はこう言っている。
全く意味のない数字を問題視して、自分の生活を制限してしまう心理状態は、「起こり得るよくない出来事」を、自分やその能力、行動以外の「何か」のせいにしてしまう現実逃避への潜伏期間にあるのではないだろうか。それは、好転させる可能性をも自分で摘んでしまうという悪循環を生む。そのこと自体が忌むべき信号だ。
(第5章 p270 から)
そして松尾氏が最も危惧しているのは、そうした「自分のせいではないと思いたい」という感情につけ込まれて、「甘い汁を吸おうとしている連中に食い物にされる」ことだと思うのだ。
某番組で「あなたの守護霊はトスカニーニ(歴史的指揮者)」と言われて(演技かもしれないが)喜んでいた日本の某指揮者がいて、笑うよりも呆れてしまったが、この程度ならば(コメディ)ショーとしてまだ許そう。
#脱線するが、人口が増加の一途を辿っている事実と「生まれ変わり論」は
#矛盾する。「前世はアルプスの山羊」でも生命の絶対数を考えれば同じだ。
#100歩譲って生まれ変わりを是認しても、確率論から言えば「前世は
#プランクトン」の人が圧倒的に多いはずだが、そんな前世を告げられた人は
#見たことがない。これは何を意味しているのだろうか?
#仏教の『輪廻転生』という考え方も、幸せな来世のために善行を推奨する
#「親心からくる方便」と解釈するのが自然ではないだろうか。
#ちなみに“方便”という言葉自体仏教用語で、「真実の次元に導くための
#便宜上の教え」を意味するという。お釈迦様は「私がみんなに説いている
#ことは、人が真実の次元に到達するためのイカダに過ぎない。
#つまりイカダは、川岸から反対の川岸に渡るための、便宜上の乗り物であり、
#渡ってしまえば、もはや必要ないものである。自分が日頃、言っていること
#もそれ以上のことではないよ」と述べられたらしいが、これこそお釈迦様の
#教えが方便であることを意味していると言えるのではないだろうか。
話を戻そう。
さて、問題はこうした(人間として誰でも有している)責任回避や現実逃避といった思考停止を利用して商売し、莫大なお金を搾り取る(騙し取ると言っても良いだろう)ことだ。
神社のお守りや絵馬、観光地で売っているパワーストーンのアクセサリーなどは、お祭りや正月などの文化的行事や地域活性化イベントの参加費用ととらえ、かつそれが少額であれば別に目くじらを立てる必要はないと考える。しかし訪問販売で高額の壺や印鑑を売りつけたり、継続的にお布施のような形で結果的に家計を圧迫するほどの金額になるのであれば、これは看過するわけにはいかないだろう。
だからまず『オイシイ話』と『危機感を煽る話』は、「疑ってかかる」ことが必要なのだ。
「本当に先祖が怒っているのか?」
「印鑑が高額になればなるほど御利益があるなどということがあり得るのか?」
「大儲けしたというこの人の経験談が、本当に全て真実だという証拠はどこに あるのか?」・・・等々
ところが、このスタンスは誤解されがちだ。「人を疑うなんて卑しい心の持ち主」と考える人が多いからだ。
しかし考えてほしい。『人を疑うことと、人の話(意見)を疑うことは違う』ということを。
あなたが心から信頼し尊敬する人は、今まで一度も間違ったことや嘘を言ったことはないだろうか。
そんなはずはない。人間は誰でも嘘をつくし勘違いから間違った結論を出すこともある。だから「あなたのことは信頼しているが、その話だけはどうにも納得できない。
それって本当ですか?」と言うことに何の問題があるだろう。
本書が取り扱っているのは確かに超常現象やオカルトだが、松尾氏はそれらを単に「わかりやすくて面白い」題材として選んだに過ぎないと私は思う。
だから本書は、『騙されて火傷しないための思考のトレーニング・ツール』としてもたいへん有用だ。
もちろん「読んで面白い本」という点でも松尾氏のセンスを感じさせるので、一度手に取ってみることをお薦めしたい。
ところで・・・本書を読んで考えたのだが、《霊魂》の存在を私も含めて多くの人が「信じたい」と思っている背景に、「死を恐れる」という根元的意識があるように思う。つまり、「死ぬことで全ての意識が無に帰ってしまうのは怖いが、霊魂があるのなら死後も意識が保てるのでは」という希望的観測が働くのではないだろうか。
しかし次に思いついた考えに私は今、かなり落胆している。
「もし霊魂が存在し死後それが現世に残ったとしても、そこにリアルな肉体はない。
とすると目や耳という情報を取り入れる器官もなければ(だから「幽霊がこちらを振り返る」ということはありえないのだ)、思考するための脳もないということだ。
そうすると、結局死後に意識を保つことは不可能じゃないか・・・orz」
誰かこの考えを論理的に否定してくれないだろうか?(笑)
(桑畑幸博)
『なぜ宇宙人は地球に来ない?』(PHP研究所)
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