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2021年05月11日

都倉 武之「智の歴史と未来 福澤諭吉記念慶應義塾史展示館」

都倉 武之
福澤諭吉記念慶應義塾史展示館 副館長

 福澤諭吉の生涯と慶應義塾の160年にわたる歴史を紹介する「福澤諭吉記念慶應義塾史展示館」がまもなく開館する。

慶應義塾を建て直すこと(は)……ひとり義塾のためばかりではない。日本を偽りなく民主化するためにはもとより、新日本の文教のためにも、それは一刻を争うことである。戦災と接収に施設の4分の3を失っておる慶應義塾を速やかに元の姿へ返すことは、ひいては世界の平和、人類の文明のためと申しても差し支えない。

 この文章は、1947年、慶應義塾創立90年祭を開催するに当たっての趣意書の一節である。慶應義塾が復興することは、「世界の平和」のためであり「人類の文明」のためである、というのである。随分大きく出たな、と思われるだろうか。日本で最大の戦災を蒙ったとされる義塾は当時、教室も足らず、日々の授業さえままならない日常であった。それが世界平和というのだ。
 しかし慶應義塾には、学問の発展こそが世の中を変えていくという「智」に対する信念があり、それを先導するのは誰でもなく義塾であるという、驚くほどの自負と自信のようなものを歴史的に持ち続けてきた。果たして、今もそれがあるだろうか。展示館はこのようなことを多くの人に考えてもらう場にしたいと考えている。

 そこで、開館を控えたこの機会に、本展示館の特徴とその意図、換言すれば「こだわりポイント」を簡単にご紹介してみたい。

1.間口を広くする

 今回心がけたことの第一が、作るからにはできるだけ多くの人に来てもらうようにすることである。筆者は常々観光スポットにしたい、と公言している。そのためには、単に慶應出身者や福沢諭吉に肯定的な評価を与えている人だけが満足する内容であってはならない。慶應外でも通じる言葉遣いとし、そして福沢を丁寧に紹介しつつ、それを敢えて客観視する視点、批判的な眼差しの存在を無視しないことを心がけた。多様な見方の人が、福沢や慶應義塾史に関心を抱き、議論し続けていって欲しい、というのがこの展示館の立ち位置である。説明文も平易になるよう心がけ、小学生高学年でも背伸びをすれば、アウトラインはほぼ理解できる程度にしたつもりである。

 また専門的に近現代史や教育史、大学史、などを学んでいる人だけが興味を覚える内容とならないよう、経済、芸術、スポーツ、をはじめ、多様な切り口が福沢・塾史へと繋がるようにした。つまり内容の間口も広くした。

 全面的に日英対訳にした点も困難ではあったが重要な試みだと思っている。これについては慶應義塾内のグローバル本部に全面的な協力を得て、困難な翻訳作業に取り組んで頂いている。また商学部ジェフリー・クラシゲさんにも連日の夜を徹した確認作業に参加して頂いた。福沢のテキストや塾史上の特殊な用語の英語化は、今回試訳ともいうべきものが少なくないが、これも議論のタネになればと考えている。

2.全体を意識する

 内容の多様性・多面性を重視する一方で、それが単にバラバラのエピソードに終始しないように、今回の解説文やキャプションは、全体の一貫した構成を持つことを常に意識した。この種の展示は、切り売り分担で作ることが多く、内容の重複やちぐはぐ感が表面化することがあるが、幸か不幸かちぐはぐになるほどの人手がこのプロジェクトにはなかった。従って、来場者は、オープニングから、末尾まで、一貫したストーリーをたどっていくことができるはずである。

 そして、それをナビゲートしてくれるのが「一筆書きのライン」である。歴史の連続性を意識してもらう仕掛けとして、はじめから終わりまで1本のラインで繋がるデザインとなっているのだ。その最末尾は明確に途切れており、そこから先は来場者個人が自らの判断で書き継ぐもの、という暗喩となっている。これは言葉では説明しにくいので、ぜひ御来館の上でお確かめ頂きたい。

3.本当に面白いか

 この種の展示施設は、冒頭は歴史展示のようでも、大部分が大学の宣伝ということが少なくない。歴史を見に来て興醒めという施設にしないよう、歴史好きに面白がってもらう内容に徹した。内輪の歴史ではなく、日本史的(大きく出れば世界史的)意義から語る姿勢を持った。「社中」とか「三田会」といった、時に強烈なアレルギー反応を引き起こすテーマも存在する。それらについてもジュクジュクした内輪ウケのニオイを抜き、歴史的関心が醒めないよう腐心しつつ、扱うことにした。もちろんこの種の説明は回避することもできたが、慶應と名がつけば何でも万歳という、ある種の「感溺」に陥った見方に、歴史的視座を獲得してもらうことを願って、敢えて展示に取り込んでみたものである。

 また、クロウト目に杜撰と思われないようディテールにもこだわった。模型の作り込みは調査員白石大輝氏の血の出るような努力の結晶である。デジタルコンテンツの内容にも相当手が掛かっており、一例を挙げれば戦争期の展示に位置するデジタルコンテンツ端末には慶應義塾出身の戦没者データベースを搭載している。これは白井厚名誉教授調査による名簿を基礎に、それを徹底的に再整理して、戦没場所や戦闘などから検索できるようにしたもので、例えばアッツ島で、例えばレイテ沖海戦で、誰がいつ亡くなったかを検索することができ、その具体性から戦争の実相を感じてもらえるようにした。

 このように、展示の様々な角度から強い意図を持って制作した。福沢や慶應義塾に対して一般的に持たれているイメージを敢えて壊し、その本質を来場者がつかむことを狙ったつもりだが、果たしてその意図がうまく伝わるか、ぜひご来館の上、ご批評頂きたい。

 最後に、この展示館は、実は驚くほど脆弱な体制で辛うじて立ち上がろうとしているところである。オープンに当たっての労力は尋常なものでは無かったが、これを継続して維持していくことを思うと、実は茫然とせずにいられない。読者諸氏にはぜひご関心をお寄せ頂き、もし御高覧の上、気に入っていただけたならば、応援していただければ幸いである。

福澤諭吉記念慶應義塾史展示館
https://history.keio.ac.jp/
場所:慶應義塾三田キャンパス内、慶應義塾図書館旧館2階
開館時間:原則として月〜土10時〜18時
対象:どなたでも入場可能
*2021年5月15日開館予定でしたが緊急事態宣言に伴い延期
一般公開予定についてはホームページをご確認下さい。

都倉 武之(とくら・たけゆき)
  • 福澤諭吉記念慶應義塾史展示館 副館長
1979年生まれ。2002年3月慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2004年3月慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。2004年4月武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部助手。2006年10月武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部専任講師。2007年3月慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。2007年10月慶應義塾福澤研究センター専任講師。2011年10月慶應義塾福澤研究センター准教授。
専攻は近代日本政治史・政治思想史、メディア史。
主な著書
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