夕学レポート
2021年07月13日
五木 寛之「再・学問のすすめ」
五木寛之氏の履歴書
個人的な思い出話、学びや学問と関係のある話をするという。日経の「私の履歴書」を書く約束をしていたものの書けないそうで延期になっていると冒頭で静かに話す五木寛之氏。慶応を意識してからなのか『学問のすすめ』を取り上げた。340万部も売れた画期的な大ベストセラー、現代でも読まれているが五木氏は諭吉の啓蒙的な主張とは反対に本来学問はあまり役に立たないものではないかというのだ。色々な人が同様のことをいうが五木氏はどのような理由からそう思うのだろうと気になる。その理由にこそその人の個性が現れるからだ。
ピョンヤンからの引揚者ということを初めて知った。福岡の山村の農家で生まれた父上は師範学校の給費生に、卒業後は小学校教師となり、朝鮮半島の学校で校長となる。その父上は必死に活路を見出そうと検定試験の勉強をしていたそうだ。「役に立つ」学問、今回講演の主張との比較例のように何度か登場する。しかしその父上自体を否定しているのではないと感じた。やむを得ない事情、置かれた環境の中で必死に戦い自分達を養った父親をどうして否定できよう。五木氏の年齢になればなおさらだ。戦後闇ブローカーをしていたことを話す口振りからも話の内容からも否定のニュアンスは感じられない。
「役に立つ学問」をしていた父の息子は反対に「役に立たない学問」へと進学する。早稲田大学露文科への進学時も「(ソ連は)母さんの仇だぞ」とぽつりといっただけで反対されず後押ししてくれたそうである。ピャンヤンでソ連軍の蛮行を目の当たりにした人間がなぜ露文科に進学するのか。「ソ連のソの字も見たくない!」満州からの引揚者だった私の恩師はこう叫んだことがある。無法者、獣のように振舞っていたソ連軍の行進にある日出くわした少年は一団の歌う合唱の美しさに、なぜ獣のような奴らが天からの声のような美しい歌を歌えるのかとショックを受けた。これを知るにはとロシア文学を読み漁るようになる。そうして入学した早稲田大学は残念ながら卒業することができなかったが40代になり京都で新たに大学との縁を得る。
聴講生として龍谷大学に通った「この2年半が自分にとっては黄金期」と五木氏は語る。そして「20代の頃は学校で授業を受けてもありがたさがわからない。50歳になったら2年間くらい学生に戻す制度が合って良い」「教室に座り、先生が近づく音、教材を配る音を感じる。」「『目でもって見、耳でもって聞く』、こういうのが学問だと思う。リレーのように人から人に渡されるもの」だと。そうした理解の延長線上にある月に1度の会で司馬遼太郎、陳舜臣、梅原猛などの錚々たる顔ぶれとの交流の話。きっとここでもバトンが渡されリレーが行われていたのだ。大事なことは万巻の書を読むより肉声で話を聞くこととはこういうことなのだろう。表情や声の調子など言葉以外からも人は多くのものを読み取る。またそのすべてにその人の人生が現れている。人と出会い直接話すことで思わぬ方向へ話が発展したり、次の行動へ結びつくこともある。人との交流はすなわち相手の人生全てとの交流だ。読書は一方向の読み方になることがあるけれど人との交流は双方向で重層的でかつ偶発的な要素を多分に含む。それが面白い。
五木氏は中年期に再び学ぶことについて自分の経験に引き寄せて話していた。自分の人生(ドラマ)を語ることで五木氏自身も肉声での教えを実践している。「禅を語るとは自分を語ることに他ならない」との言葉がある。自分がなぜ関わるようになったのか、どのように関わってきたのかなど自分を語ることになるという意味らしい。私なりに加えるならば「自分を語る」とは自分自身の生まれた歴史を語ることであり、そして生まれた歴史を語ることは自分の親や親の前の世代(自分を軸とした縦の歴史)を語ることでもある。同時に横の軸でもある周囲の人との歴史を語ることに繋がる。五木氏の講演はこの縦と横との関係を「リレーのバトンを渡す」との表現を用いながら見事に語る。つまり学びをテーマにしながら背景は縁について語り、他者との関係の中で新たな縁を紡いだ経験を語っていた。
禅というより大変仏教的な講演でそれには龍谷大学での学びが影響しているのだろうし、氏の著作を見ても『蓮如』『親鸞』とある。あるいはご自身の人生経験から自然とそのような考えを持つに至ったのかもしれない。
いずれにしても自分の経験、他者との縁を語る。他者と影響し合い学び合いながら生きていく。一見、学び直しが今回講演のテーマで見えにくくはあるものの、これはもう間違いなく五木氏の人生ドラマそのもので、書けなくて延期になっているという「私の履歴書」そのものだ。五木氏は講演を通して聴衆へリレーのバトンを渡すことをしてくれた。豊かな人生経験を積まれた作家の人生が詰まった「私の履歴書」を肉声で聞けてとても幸せな学び直しの時間だった。
(太田美行)
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五木 寛之(いつき・ひろゆき)
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- 作家
1932年、福岡県に生まれる。戦後、北朝鮮より引揚げ。早稲田大学文学部ロシア文学科中退。1966年、『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞、『青春の門』で吉川英治文学賞を受ける。2002年度第50回菊池寛賞、2010年、NHK放送文化賞、第64回毎日出版文化賞特別賞を受賞。小説以外にも幅広い批評活動を続ける。代表作に『風に吹かれて』『朱鷺の墓』『戒厳令の夜』『蓮如』『風の王国』『大河の一滴』『TARIKI』『親鸞』(全6巻)などがある。
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