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ピックアップレポート

2021年08月10日

池尾 恭一『ポストコロナのマーケティング・ケーススタディ』

池尾 恭一
慶應義塾大学名誉教授

 新型コロナウイルス感染症の流行は、わが国の社会に大きな影響をもたらした。マーケティングに対しても例外ではない。マーケティングを含む事業活動そのものが休止に追い込まれたり、あるいはマーケティングのやり方が大きな制約を受けたり、新たな方向に向かったり、といった話は、枚挙に暇がない。
 短期的には、なんとかこの危機を凌がなければならない。例えば、レストランならば、テイクアウトや宅配をスタートさせ、チラシやインターネットで拡販を図るというのが、これである。また、コストダウンや財務体質の強化も重要である。これらは、BCP(Business Continuity Plan=事業継続計画)の守備範囲に入るのであろう。
 ただ、このやり方は長くは続かない。中期的には、新たな環境の制約に積極的に適応していくことが求められる。テイクアウトや宅配あるいは新業態に活路を見出すのであれば、それに本腰を入れたマーケティング戦略が必要になる。不便を抱えている人が多ければ、マーケティング機会は溢れているわけで、マーケティングの役割は大きい。

 激変する環境のなかで、このように、マーケティング戦略をいかに適応させていくかは、マーケティング研究とマーケティング実務の双方にとって、きわめて重要な課題である。しかし、今回の新型コロナ危機がマーケティングに及ぼす影響は、それに止まらないであろう。生活様式や購買行動の変化に不可逆的な部分が含まれるならば、長期的には、マーケティングのあり方を抜本的に変えてしまいかねない可能性を秘めている。

 例えば、接客ができないため自動車のような製品でさえオンラインで商談が行われ、特に問題がないとなると、この後の自動車流通は激変し、そのことがメーカーの競争地位に劇的な影響を及ぼすというシナリオさえも否定はできない。テレワークが定着すれば、人々の生活のあり方が変わり、それにともなってニーズが様変わりするということも大いに考えられる。新型コロナ危機への対応のためにやむを得ずとった対応が結果的に快適であったり、効率的であったりして、新型コロナ危機収束後も継続するという場面は少なくないであろう。

 いま求められているのは、新型コロナ危機にどう対処するかとともに、その先にどのような世界が広がり、その世界のなかでいかなるマーケティングを展開するかに思いを巡らせることであろう。
 これらのための思考力醸成の一助となることを目指したのが『ポストコロナのマーケティング・ケーススタディ』である。具体的には、題材として、新型コロナ危機に直面している様々な企業や業界のケースならびにコロナ禍のもとでの消費者行動のケースを取り上げ、それらを通じて、新型コロナ危機という環境変化に対応するためにいかなるマーケティングが求められるかについて、さらにその収束後にいかなるマーケティングが求められるかについて、考える力を養うことである。

 こうした目的を達成するために、本書では、最初に、ケースを用いた学習や授業の方法を簡単に説明する。次いで、新型コロナ危機のもとでのケースに取り組む際、多くの分析で鍵となる、マーケティング戦略とはいかなるものなのかを解説し、さらにそれを踏まえたうえで、新型コロナ危機のもとでどのようなマーケティング戦略課題が生じ、いかなる検討が必要になるのかを例示する。読者の方々には、これらの例示を参考に、第3章以降のケースに取り組んで頂きたい。
 第3章以降では、6つのケースが収録されている。第3章から第6章までの4つのケースは、新型コロナ危機のなかでの企業のマーケティング意思決定を扱っているが、いずれもマーケティングの新たな傾向に関わっている。具体的には、第3章のヤッホーブルーイングでは、クラフトビールメーカーを題材に、3つのタイプのEC(電子商取引)チャネル、すなわち自社ECサイト、楽天のようなECプラットフォーマー、アマゾン(Amazon)のようなオンライン小売業者の使い分けが論議の対象となる。第4章のコスメネクストでは、化粧品小売業者におけるECサイトと実店舗の役割分担、つまりオムニチャンネルのあり方がテーマとなる。第5章のアッシュでは、美容サロンのインターネットを用いたプロモーション活動のなかで、自社サイトと美容ポータルサイト(ホットペッパービューティー)の使い分けが論じられよう。第6章の日清食品では、カップヌードルを対象に、メーカー直販サイト、つまりD2C(Direct to Consumer)への取り組みが論点となる。
 これに対して、第7章は、特定の業界を扱った「業界ノート」である。ここでは、カフェ業界という特定の業界が取り上げられ、その状況が、近年カフェ業界でも導入されたサブスクリプションサービスの特性とともに分析の焦点となる。そのうえで、カフェ業界に所属し、サブスクリプションサービスを取り入れた、セイムスカイ(Same Sky)という特定企業のマーケティング意思決定が議論される。
 最後の第8章は消費者の行動を扱ったケースである。このケースでは、コロナ禍における実在の消費者の心的状態や行動が記述されている。それは、コロナ禍という異常事態のもとではあるが、ごく普通の消費者のありようである。このありようを素材に、消費者行動理論の理解を深め、それに基づくマーケティングを議論するとともに、ポストコロナの消費者行動を展望することが目指されている。また、新型コロナ危機収束後に、コロナの時代を体感するのにも、このケースは役立つであろう。

 本書の標的は、マーケティングを学ぼうと考えている大学院・学部の学生諸君やビジネスパーソンの方々、そして新型コロナ危機に立ち向かい、ポストコロナに備えるために、マーケティングに取り組んでいるビジネスパーソンの方々である。

 新型コロナの影響は、短期、中期のみならず、長期にも及ぶものと思われる。短期的・中期的には、コロナのもとで、いかにビジネスを継続し、さらに新たなビジネスチャンスを捉えるかが課題である。そこで求められるのは、ウイルス感染のリスクを避け、安全、安心を確保したうえで、できるだけ快適な生活を提供することである。
 これに対して、長期的には、短中期の経験に基づく、様々な進化を見極め、それを組み込んだ最適なマーケティング戦略を策定しなければならない。以下では、まず分析の鍵となる、マーケティング戦略とはいかなるものなのかを解説したうえで、新型コロナ危機のもとでの、いくつかの典型的なマーケティング戦略課題パターンを取り上げ、それに対していかなる検討が必要になるかを考えていこう。

 

ポストコロナのマーケティング・ケーススタディ』(池尾恭一著、碩学舎)のはじめにおよび第1章より著者と出版社の許可を得て抜粋・掲載しました。無断転載を禁じます。

ポストコロナのマーケティング・ケーススタディ
著:池尾恭一 ; 出版社:碩学舎 ; 発売年月:2021年8月; 本体価格:2,400円(税抜)

池尾 恭一

池尾 恭一(いけお・きょういち)
慶應義塾大学名誉教授

慶應MCC担当プログラム
価値創造のためのマーケティング戦略

1973年慶應義塾大学商学部卒業。慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程、博士課程、関西学院大学商学部専任講師などを経て、1988年慶應義塾大学大学院経営管理研究科助教授、1994年教授。
1981年-82年ペンシルバニア州立大学に、1988年ハーバード大学にそれぞれ客員研究員として留学。2005年10月経営管理研究科委員長兼ビジネス・スクール校長に就任(2005-2009年)。明治学院大学経済学部教授(2014-2021年3月)
日本消費者行動研究学会会長、日本商業学会会長、マーケティング・ジャーナル編集委員長などを歴任。商学博士(慶應義塾大学)。

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