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ピックアップレポート

2010年11月09日

美山 良夫「オペラ深耕のすすめ」

美山 良夫
慶應義塾大学アート・センター所長、慶應義塾大学文学部教授

 高尚で難解に思える、といった先入観をオペラに対してもつ人も、もしその魅惑の森に分け入れば、奥深い感動や狂おしい悦楽があるのではないか、と予感しているのではないでしょうか。
 実際、オペラからは耳の幸福、眼福を味わえますし、オペラ劇場のもつ非日常の空間体験、その中に身を沈め、流れる豪奢な時間に身を委ねる快楽は、ほかでは味わえないでしょう。五感を、沸きたたせてくれるような魔力があります。
 おまけにオペラは生き物です。ひとつの上演は、そのとき限りであり、同じ人たちによる上演でも、次回もまったく同じにはなりません。ときには100人にもなるオーケストラ、ほかに合唱団、バレエのダンサーたち、それに歌い手たちの共演になります。マイクをいっさい用いず、生身の人間が指揮者のタクトのもとに作り上げるところが、オペラが生み出す魅力の奥底にあります。磨かれた技術をもつ熟練工たちが集まり、クラフトマンシップによりをかけて作り上げる、人間力の壮大さ、荘厳さを感じさせるプロダクツとも言えます。


 壮麗なシーンは耳目を集め、歌手の輝かしく張りのある声に感嘆するでしょうが、いちばん小さなピアニッシモの声、そのかすかに顫動する声が、3000人も入る大劇場の隅々まで通り、ひとつの声で劇場内のすべての人が静謐のなかで結ばれたようになる、その緊張と、ぞくぞくするような美しさは例えようもありません。
 オペラを創ってきた人たちは、観衆を魅了しようと、作品のなかにいろいろな仕掛けを用意しています。作曲家ばかりでなく台本作者も、オペラのために必要なノウハウをもっています。あの歌手が、この指揮者が、という談義も楽しいですが、作品のなかに仕組まれた手立てを、少し紐解いてみると、オペラ体験も拡がりをもつでしょう。私が担当します講座を、「オペラ深耕」としたのも、ひとつはこのような意味からです。
 オペラに関する案内書が数多くあり、カルチャー・スクールの講座もいくつもあるようですが、しかし、オペラを作品とその上演だけで語るのは、十分ではありません。
 オペラを上演する劇場は、しばしば時代を体現する装置でもあります。そこにはその時代、その都市や国を象徴しています。19世紀の首都パリを、ガルニエが設計したパリ・オペラ座が表しているように。
 じつは北京五輪にさいして建設されたスタジアム、通称「鳥の巣」(設計:ヘルツォーク&ド・ムーロン)完成の前年、世界最大級のオペラハウス(国家大劇院、設:ポール・アンドリュー)が北京にその姿をあらわしました。場所は天安門広場に面した人民大会堂の隣であり、ガラスとチタンでできた巨大な卵形の建築の内部からは、故宮博物院を見渡すこともできます。オペラハウス一般公開を待ちきれず、そこを訪れたのは国家主席を退任した江沢民であったといいます。
 オペラの扉をこれから叩いてみようとする方には、上演そのものの楽しみ方だけでなく、是非オペラとオペラハウスがもっている魅力と意味の総体を識ってもらいたいと思います。劇場という空間での社交も、総体にふくまれます。
 これはオペラにかぎりませんが、同じ芸術に興味をもつことは、人種や年齢、言葉の壁をこえて、相手に対する共感や信用が生まれる場合もあり、それは相手との距離を縮めることに繋がります。
 「いつかはオペラ」と思っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。舞台芸術の精華と呼ばれるにふさわしく、文化・歴史・栄華の象徴であるオペラの世界をご一緒に味わってみませんか。

美山良夫 (みやま よしお)
慶應義塾大学アート・センター所長、慶應義塾大学文学部教授
慶應MCCagora「慶應義塾大学アートセンター【オペラ深耕!】」講師
慶應義塾大学、同大学院、およびパリ大学音楽学専攻博士課程に学ぶ。1990年より慶應義塾大学助教授、1994年より教授。専攻は音楽学、芸術学、アートマネジメント。1993年同大学のアート・センターの設立から参画し、「オペラ沸騰」などの講座を担当。2009年より同所長として、現代社会における芸術活動の役割を担い、理論研究と実践活動を積極的におこなっている。NPO法人芸術家のくすり箱理事長。

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