ピックアップレポート
2011年03月08日
老子の無言―老荘思想で名人・達人を目指し、愉快に生きる!
「愉快に生きていますか?」
そう問われ、顔を輝かせて「はい!」と答えられる人は、どのくらいいるでしょうか。「まさか」と苦笑まじりにため息をついたり、「まったく逆だよ」と顔をしかめたり、「くだらないことを聞くな」とばかりにそっぽを向いたり。反応はたいてい、そんなところでしょう。
「愉快などころか、苦しいこと、つらいことばかり」
いまは”下り坂”のご時世ですからよけいに、がんばってもむなしいような、閉塞感に息が詰まるような気分になっている人が多いのかもしれません。私が講師を務める東洋思想、とりわけ老荘思想のセミナーや講演には、
「競争のなかで身をすり減らしたり、さまざまな悩み事に心が煩わされたりすることなく、もっとラクに、愉快に、幸せに生きられないか」
そのための支えを求めて、大勢の方がやって来ます。
少々の戸惑いを覚えながらも、多くの方が老荘思想に関心を持つのは喜ばしいことだと思っています。なぜなら、何かしら問題が生じていることを、人生を「苦」から「楽」へ大きく転換させるチャンスであると捉えていることが見てとれるからです。
人は問題に出くわすと、何とかしようと考える。だからこそ、その問題を乗り越えて、より良い人生を生きる道を開いていくことができるのです。その道は、名人・達人の境地に続く道でもあります。
老荘思想は、そんな人生の転換期に非常によく効く”一服の清涼剤”になりうるもの。おそらく本書を手に取ったみなさんは、そのことを無意識のうちに感じたのではないでしょうか。人生においては、自分を良い方向へ引っ張ってくれる、そういう「見えない力」が働くものなのです。
閉塞感を打破するために、苦しみから解放されて愉快に生きるために、老荘思想にヒントを求める、それは非常に良い選択だと思います。
上り坂の儒家、下り坂の老荘
ついでに言っておくと、俗に「上り坂の儒家、下り坂の老荘」と言われるように、儒家の思想と老荘思想を使い分けることを、私はお勧めしています。
儒家も老荘も「現世を肯定する」という部分では同じ。欲望も肯定しているし、立身出世や富も肯定しています。
ただ社会のあり方について、儒家の思想が「現行肯定プラス改善」、つまり現在の状況を受け入れたうえで改善を要求するのに対して、老荘思想は「現行否定」。現在の状況を否定して、根本から変えていくものです。
それがなぜ、上り坂・下り坂になるのか。
仕事でも人生でも、うまくいっている上り坂のときは、基本的にやり方を変える必要はありません。問題が生じない限り、好調のままどんどん進んでいくべきでしょう。だから、「現行肯定プラス改善」の儒家の思想でいく。
一方、何をやってもうまくいかない下り坂のときは、やり方を百八十度変えて革新する必要があります。下り坂なのにまだ儒家の思想でいこうとすると、「まだ足りない。もっと努力しろ」となるので、間違った道を更に遠くに行ってしまい、苦しくなってくるんです。やり方を間違えたから下り坂になっているのですから、やり方を変えなければなりません。
「現行否定」の老荘思想を思考のバックグラウンドにして、自らに「考え方が間違っていないか?」「やり方がまずいんじゃないか?」「いろんな制約にがんじがらめにされていないか?」と問いかけ、根本から変えていくほうがいい。
こんなふうに、状況に応じて儒家の思想と老荘思想を使い分けることを「上り坂の儒家、下り坂の老荘」と言うわけです。多くの人が「下り坂だなぁ」と実感しているいまは、老荘思想でいくのがいいんですね。
ちょっと宣伝しますが、儒家の思想についてはすでに昨年、『論語の一言』(光文社刊)という本を出させていただきました。本書『老子の無言』とセットで読んでいただくと、中国の二大古典思想を軸に愉快な人生を歩むヒントになると自負しています。
あの世から帰って、老子に出合った
私自身が老荘思想に出会ったのは、「人生のどん底」とも言える状況のなかでした。
それは、四十数年前のこと。二十五歳の私は、タイのバンコク郊外にある農村で記録映画の撮影をしていました。そのとき、ふだんは穏やかな水牛が、突如、私に向かって突進してきたのです。
私はなすすべもなく、血祭りにあげられました。水牛の角に体を切り裂かれ、内臓が飛び出すほどの重症を負ったのです。生死の境を彷徨うこと十日、奇跡的にあの世から帰って来ることができたのでした。
といっても、そこからがまた地獄の苦しみ。回復の見込みがないままに、絶え間なく襲ってくる激痛に身をよじらせながら、何度生きることに絶望したか。そのときに、ワラにもすがる思いで手に取ったのが、事故を伝え聞いた方が見舞いに持って来てくれた一冊の本――『老子』でした。
その本には、漢語の原文と書き下し文が書かれていただけ。それまで中国古典思想に親しんだことのない私に読めるはずもありません。ところが、難しいはずの言葉がスラスラと頭に入り、身に染み渡ったのです。
ふしぎなこともあるものですね。たぶん、生きるよすがを求めてやまない私の魂が、『老子』という本に込められた”言霊”理屈抜きで共鳴し合ったのでしょう。それほどに強く、生きる希望に訴えかけてくる言葉でした。
そんな経験もあって、私は老荘思想について話すとき、受講生のみなさんにこう申し上げています。
「一言一句を解釈しようとせずに、理屈を学ぼうとせずに、感じてくださいね。老荘思想というのは、人間が本質的に大事にしなければならない、見えない・聞こえない・つかめないものを、理屈抜きで感じ取るところにすばらしさ、おもしろさがあるのです」
本書でも、この方針に沿って、『老子』『荘子』の逐語訳による解説には重きを置いていません。困難にぶち当たったり、生き方に迷いが生じたりする自分自身の境遇と重ね合わせながら、老荘思想を感じていただきたい。そう願って、珠玉の言葉にアプローチしていきたいと考えています。
『老子』は上下巻・八十一章・約五千四百字から成る書物。上巻「道経」下巻「徳経」をとって『道徳経』『老子道徳経』とも呼ばれています。
一方、老子の学統を受け継ぎ発展させた『荘子』は、内篇七篇・外篇十五篇・雑篇十一篇、全六万五千字余りの大作で、寓話を多く用いている点が特徴的です。
生きてるだけで百点!
私が老荘思想から得た生き方の根本は、わかりやすく言えばこの一言に集約されます。どんな状況にあろうとも、
「生きてるだけで百点! ほかに望むことは何もない」
と思えることで、心が晴れ渡り、人生が本当に豊かになったような気がします。
そう聞くと、「困難から逃げるのか」「欲望を消し去るのか」「より上を目指すことをあきらめるのか」と思うかもしれませんね。
でも、それは違います。むしろ、逆です。
どんな困難も「悩むほどのことはない」と平常心で受け止められるので、目先のことに煩わされることも、世に蔓延する価値観やシガラミに絡め取られて自分自身を見失うこともなくなるのです。
自分自身の生き方を曇りのない目で見つめられる、という感じでしょうか。私はそれを「絶対自由の境地」と呼んでいます。
「自由」の上に「絶対」がついているところに注目してください。誰かと、何かと比べて自由なのではなく、「私が」自由だ、という感覚を持つことが大事なのです。
この感覚が得られると、困難や苦しみさえも楽しみながら自分を磨き、自らの思うところに従って愉快に生きていくことが可能になります。名人・達人の領域に達し、そこに遊ぶがごとく生きることができるんですね。
まだピンとこないでしょうけれど、老荘思想を知れば必ずや、「生きてるだけで百点!」とする生き方が名人・達人の域に達する方法でもあることが実感できると思います。
受講生の方々もだいたい、最初のうちこそ「生きてるだけで百点とはとても思えない。現実はこうだ、ああだ」などと反発されますが、しだいに「そうだよなぁ」と老荘思想の世界に引き込まれていくようです。
「老荘の説くところを感じるにつれて、物事の見方・考え方がガラリと変わって、何だかラクになった。生きる方向性を見出せた気がする」
そういった感想をよく耳にします。愉快に生きるための大きな第一歩を踏み出していただけたのではないかと思いますね。
世に「名人」「達人」と呼ばれる人は多くが、実は老荘思想の実践者です。わかりやすい例として、私が「現代の老荘思想実践者」として注目しているイチロー選手をはじめとする一流人のすごさについても触れていきたいと考えています。
本書を読み終えたとき、みなさんの心のなかで「老荘思想的生き方」の芽がぐんぐん伸びていくことを、心より願っています。
二〇一〇年
田口佳史
※2011年1月に出版された田口佳史著『老子の無言 人生に行き詰まったときは老荘思想』の「はじめに」より著者および出版社の許可を得て転載。無断転載を禁ずる。
※『老子の無言』は、慶應MCC agora(アゴラ)講座「田口佳史さんに問う中国古典【老荘思想】」(2010年4月~7月・全6回)を編集したものです。
- 田口佳史(たぐち・よしふみ)
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- 東洋思想研究家、株式会社イメージプラン代表取締役社長
1942年東京生まれ。新進の記録映画監督として活躍中、25歳の時タイ国バンコク市郊外で重傷を負い、生死の境で『老子』と出会う。奇跡的に生還し、以降中国古典思想研究四十数年。東洋倫理学、東洋リーダーシップ論の第一人者。企業、官公庁、地方自治体、教育機関など全国各地で講演講義を続け、1万名を越える社会人教育の実績がある。 1998年に老荘思想的経営論「タオ・マネジメント」を発表、米国でも英語版が発刊され、東洋思想と西洋先端技法との融合による新しい経営思想として注目される。
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