今月の1冊
2023年07月11日
猪熊弦一郎『マチスのみかた』
これまでいくつの色を好きになっただろう。そのときどきの色はどれも自分らしく、そのころが思い出されてくすぐったい。色はうつろい、色を探し続けている。
マチスはどんな思いで色を見つめていたのだろう。
ピカソと並び20世紀を代表する巨匠、アンリ・マチス(1869-1954年)。美術史に大きな影響を与えた、色彩による絵画様式フォービズム(野獣派)の代表的な画家は、“色彩の魔術師”ともうたわれる。
マチスの赤
いま東京都美術館で「マチス展 ENRI MATTIS: the Path to Color」が開催されている(会期8/20まで)。本展覧会のポスターやチラシを飾るのは《赤の大きな室内》。マチスの代表作のひとつで、マチスらしい色づかいの晩年の作品である。
一面の赤、強烈なインパクトだ。壁に絵が飾られ、椅子とテーブル、その上には花や果物。しかし壁と床には境目がなく、奥行きが感じられない。室内とはわかるが、空間をなしていない。この部屋はフランスのヴァンスにあったマチス自身のアトリエで、描かれているものもすべて実際そこにあったものだそうだ。その意味ではとても写実的なはずで、それでいて現実味がないのである。
そんなふしぎな絵に心はざわつきそうなものだが、この作品を眺めているとむしろ心落ち着き、優しい気持ちになっていく。赤い色はいきいきとして明るく、幸せを感じさせる。そんな力がマチスの色にはある。そんなマチスに私は魅せられる。
いのくまさんこと、著者の猪熊弦一郎(1902-1993年)も、私と同じようにマチスに魅せられた一人だ。いや、同じと言ってはあまりにおこがましい。いのくまさんは生前のマチスに会い、言葉を交わし、マチスから絵を習い、アトリエで作品が生まれる場に立ち会った人なのだから。
本著は、いのくまさんによるマチスに関する評論やエッセイをまとめた一冊だ。
マチスの作品の変遷や代表的作品を、描く手法、色彩の用い方、制作のプロセスなどをおりこみ、解説している。評論的ではない視点・観点は、自身画家でもあるいのくまさんならではだ。
マチスの色彩
マチスをよく知る人ほど、初期の作品を見て「マチスらしくない」と思うだろう。色づかいはやわらかなパステル調で、色と色の間には白地がはさまれ、作品から距離をとることで色ははじめてまとまり、かたちが浮かび上がってくる。新印象派の特徴だ。そこから次第に変わっていく。色彩は強くなり、筆のタッチは大胆になっていく。色づかいはシンプルになり、画面は平面になっていく。そしてそれにより、
色彩はいきいきし、強く積極性をもち、単純化されて、はっきりと色面自体として訴えてくるようになりました。
色彩はかくかく適当な場所を得て、強くまた弱く、あらゆる空間の妙をつかみ、いきいきとした人生の悦びが表現されています。
いのくまさんの言葉にはっとした。
そうか、色自らがいきいきしているのだ。マチスは、色本来がもつ力を引き出しているのだ。
変遷を知ると色はマチスの意思とわかる。さらに、それをはっきりと意識していたこと本人の言葉からわかる。
色彩の最も主要な役割は、それが何よりも表現に役に立つということだ。私はなんの先入見もなしに色をカンヴァスの上に置いて行く。その際、自分で意識しないうちに、もしある色が特に私の興味を惹いたとしたら、出来上った絵では私はその色をいちばん尊重し、他のすべての色をいつの間にか弱め、変えているという結果になっている。色彩の表現力は、私には完全に本能的に理解されるのだ・・・
(『名画を見る眼Ⅱ 印象派からピカソまで』 高階秀爾著、岩波新書 新赤版、2023/6)
たどり着いた色の自由さをマチス自身も喜んでいたのだろう。マチスの色に接し、優しく、幸せな気持ちになのはそのためではないかと私は思う。
マチスの青
《夢》、という作品がある。
青い布地に裸の女性が腕に伏せ、そっと目を閉じている。眠っているのだろうか、誰かを想っているのだろうか、安らかに、微笑んでいる。青と肌の色のコントラストがやさしく、美しい。腕のゆるやかなフォームは、ゆがんで、実にのびのびとしている。
私は、自画像を描いてもらえるならマチスがいい、とずっと思っているのだが、まさにこの《夢》がその理由である。マチスの描くこんな幸せそうな女性像に、マチスのまなざしに、憧れる。さらにいのくまさんに、まなざしの背景にあるもの、力強さを教えられた。
私はマチスの最近作を見て、かくも自由にこだわりなく絵が描けたらどんなに楽しいだろうかと考えてみる。しかしこれは彼の仕事の結果であって、その結果の下には、幾度か変更に変更が重ねられた苦悶の跡が秘められていることは、誰もよく知らされていることである。
マチスははじめに微細まで記憶してしまうほど観察するという。そのうえで自身の解釈を加え、思い切った表現でデッサンをする。何枚も何枚もデッサンし続ける。すっかり自分のものとなって、目を閉じていても描けるぐらいになって、ようやく絵を描き始める。色も、塗ってははがし、はがしては塗る。大胆に塗り直し続ける。最後の最後まで、マチスは色とかたちのバランスを追求する。
そうしてようやく完成させる。しかも “かくも自由にこだわりなく”描いたかのように、道のりにある努力や苦労を感じさせない。結果として生まれるのびやかさ、シンプルさ、安定感、安心感なのだ。私たちをやわらかく包みこみ、おだやかで豊かな気持ちに染めてくれる青なのだ。
最晩年の代表作にもこの青が生きる。切り紙絵のシリーズ《ブルーヌード》。
第二次世界大戦中もマチスはドイツ占領下のフランスに残り、戦禍を避けニースに移住する。71歳のマチスはそこで大病を患う。手術から生還するが、体はかつてのようには動かなくなり、ベッドと車椅子での生活となる。それでもマチスは描き続ける。
そして、絵筆をハサミに持ち替える。色を塗った紙を切りぬき、貼りつける。事前の構図や思考をやめて、手に委ね、感覚的につくっていく。切り紙絵という道具も発想もプロセスも新しい手法で、マチスは色とかたちをさらに探し続けた。色とかたちはいっそう抽象化され、シンプルになっていった。マチスはますます自由にもなったのだ、と思う。
今回の展覧会は日本で約20年ぶりとなる大規模な回顧展である。私にとってもそうだ。
前回のころを振り返ると、当時の私は好奇心と自信に満ちていて、好きな色や憧れる色をそのまま自分にもとりいれていた。マチスの作品を好きだと思うことに理由はいらなかった。比べていまは、ずいぶん保守的で臆病になったと思う。年齢を重ねた肌はくすみ、似合う色も変わってきた。好きかどうかより自分らしいか考えたり、憧れよりも色の意味が気になるようになった。
こんな私であるから、マチス展で自分があまりにも素直に、マチスの色を好きだと思い、それがすがすがしく幸せなことだったものだから、それがなぜなのかすこし考えてみたくなった。本著はそれで手に取ったなかの一冊だ。
本著のさいごでいのくまさんは、マチスは天才ではなく「努力によって堅実な歩みをはこぶ画家であった」と回想する。そして、マチスのように「突飛な変化でなしに、必然の答えのように進めていった芸術家は珍しい。その誠実さと、謙虚さをわれわれは学ばねばならない。」としめくくる。
私はいのくまさんにマチスのことを教わった。私はこれからもマチスの色に憧れ続けるだろう。
(湯川真理)
マチス展は上野の東京都美術館で8月20日まで開催中です。2024年には晩年の切り絵を中心とした展覧会も予定されています(2021年より延期された展覧会)。マチスに興味関心お持ちくださった方は作品に出会いにお出かけいただけましたら、嬉しいです。
『マチス展 ENRI MATTISE:The Path to color』
https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_matisse.html
会期 2023年4月27日(木)~8月20日(日)
会場 東京都美術館
2024年にも2021年より延期された展覧会の開催が予定されています。
特別展 『マチス 自由な切り絵』 展
https://matisse2024.jp/
会期 2024年2月14日(水)~5月27日(月)
会場 新国立美術館
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