ピックアップレポート
2012年07月10日
組織能力のハイブリッド戦略
髙木 晴夫
慶應義塾大学大学院経営管理研究科 ビジネス・スクール教授
はじめに
世界各国で事業活動を展開する日本の大企業からの依頼で、新任取締役研修の講師を担当することが少なくない。いずれも、テーマは、細分化された多数のビジネス別組織が部分最適に陥り、全体最適の視点が持てない状況をふまえ、それらビジネス別組織の責任者となる役員が全社視点で経営問題を相互に議論する機会を持つこと、であった。
受講者を小グループに編成し、討議課題を与えて議論してもらい、グループ発表と全体討議を行った。その発表と議論の内容は私にとって衝撃的であった。
いずれの研修でも同様に次のポイントが焦点となった。
- 多数のビジネス別組織を新任取締役あるいは経営幹部自らが揶揄してタコ壺とかサイロと呼び、役員レベルで相互に議論する機会はまったくと言ってよいほどなく、組織間の壁が厚い。
- 役員の業績は本社から与えられた数字との関係で評価されるため、自分の担当ビジネスにだけ集中する。
- 本社経営トップは、高い収益性が期待できる新事業提案を上げるよう各事業担当の役員に求めているが、上げたところでその後の自らの業績評価を考えるとそれぞれの役員は大胆な提案を上げられない。
私にとって(以前からこの問題について研究はしてきてはいても)、ビジネス別組織の経営者層がここまで具体的に、それこそ活発に、赤裸々に、全社組織とビジネス別組織の部分最適問題の議論を聞いたのははじめてであった。同時に疑問も生じた。この問題の発生と解決について、経営として具体的な手が打たれていない。せいぜい、研修で役員が集合する場をつくり、相互に議論して全社最適の意識を持ってもらう程度。
私の素直な気持ちとして「これでよいのだろうか」であった。
その後のアンケートで、議論が活発にできて貴重な機会となったという評価をもらい、そのように役に立った自分と、一方で、問題意識を持たせただけで解決策を与えられなかった自分とのギャップに、気持ちを落とした。
組織を研究する者として、日本企業の組織能力に対する一抹の不安を抱き、日本企業が自らの組織能力を科学的分析に捉えることができていない責任の一端を負っているのではないかと反省せざるを得なかった。
「日本の大企業はグローバル競争のなかで勝ち残れるのか?」「勝ち残るには組織能力をどのように強化すべきか?」これが、本書に取り組んだ筆者の問題意識である。
日本企業がグローバル競争で失速し、劣位に立つようになって久しい。日本企業を強くするにはどうすればよいか。多くの経営者、経営幹部の方々との意見交換、そこから伝わってくるグローバル化への切実なニーズに意を強くして、研究プロジェクトを本格化した。
組織能力に無自覚な日本の伝統的大企業
もちろん、ひとくちに日本企業と言っても、その組織のありようはさまざまである。古くから続く伝統的な日本企業もあれば、すでに外国資本の比率が高い日本の大企業もある。また、急成長している新興企業もある。
ここで”日本企業”として筆者が想定しているのは、主に、1960年、70年代の高度成長期以来、日本経済を牽引してきた日本の大企業である。それは、銀行、証券会社などの金融機関、自動車、エレクトロニクス、機械、鉄鋼、医薬、化学、食品などの製造業、総合商社、百貨店やGMSなどの流通業、ゼネコンに代表される建設業、鉄道などのインフラ系企業等々である。
これらの企業の多くは、日本経済の拡大とともに成長を遂げ、70年代からは積極的に海進出を行い、80年代半ばには、グローバルな市場で”ジャパン・アズ・ナンバーワン”と言われるまでになった。しかし、その後の国内バブル経済とバブル崩壊(80年代後半から90年代)、世界的なITバブルとその崩壊(90年代末~2001年)、そして、米国の住宅バブルが要因となったリーマンショック(2008年)と、たび重なる景気後退が日本企業を襲い、そのたびに多くの企業がリストラを余儀なくされた。この間、事業の撤退、縮小、人員削減だけでなく、人事制度や組織構造の改革が繰り返された。
こうした改革によってつかの間の再生は得られるものの、次の危機に瀕すると、環境の変化に対応できない組織能力の脆弱さが露呈した。
一時、急速な成長を見せた日本の大企業が、その後、グローバルな経済環境の変化のなかで、輝きを失ってしまったのはなぜなのだろう。
余談になるが、companyという英語を「会社」と訳したのは福沢諭吉である。英語の語源として、companyはcomとpanからなる。comはcommunity、すなわち人々の集まりのことであり、panは食物のパンである。つまり、欧米においてcompanyとは獲られた食物を分け合う人々の集まりという概念をあらわしていた。福沢はこれに会社という造語を当てた。「会」は人々(村人たち)の集まりであり、社は神社の社(やしろ)である。つまり、companyという英語を翻案した福沢の概念は、土地を耕す人々が農繁期と農閑期にどのような共同作業をするか相談する集まりの場であった。
福沢が「会社」という訳語をつくった時代は今とは異なる。しかし、成果を分け合うことより人々のつながりを基本とする集団と福沢が考えた会社の概念は、今日の日本の企業組織にも色濃く残っている。
日本企業はそのときそのときの経済の好不況の波に翻弄されながら、家族主義的な組織を大事にする年功序列的マネジメントから能力主義的・成果主義的なマネジメントに移行したあと、再び人のつながりを重視する家族主義的な組織への回帰があり、繰り返される不況に直面してさらに経営の効率や成果重視のマネジメントへ向かっていった。人事施策や組織のあり方に関して、日本的なものと米国的なものの間で揺れてきたのである。
新しい競争に求められる組織能力
筆者は、ここ数年の不況は一過性のものではなく、経営を取り巻く環境が本質的に変化していることを象徴的にあらわすものだと考えている。そして、今、日本企業の一連の行動に欠けているのは、変化に対応するための組織能力についての考察であると考えている。
成果主義の導入による混乱や軋轢は、日本企業が組織のアーキテクチャー(※1)と組織能力に関して抱える課題を、浮き彫りにする契機となった。この契機を前向きに捉え、日本企業が組織能力を強化していくためには、成果主義人事制度というひとつのマネジメントシステムの是非の議論にとどまるのではなく、求められる組織能力を獲得するためにどのような組織のアーキテクチャーを持つべきか、そのような組織のアーキテクチャーはどうしたら獲得できるのか、ということを考えていかなければならない。
上のような問題意識のもと、筆者は2008年に、東京証券取引所第一部上場の全企業を対象に組織とマネジメントの現状を調べるための無記名式による質問紙調査を郵送で行い、163社から回答を得た。回答してくれた約半数が人事担当取締役や人事部長の方々であり、高度な統計分析に耐え得る質の高い情報を得ることができた。
さらに質問調査の分析をふまえ、無記名式調査の限界を超えるために、日本代表企業12社の経営企画と組織人事の担当者を2009年から2010年にかけて順次訪問し、面接による聞き取り調査を行った。
研究プロジェクトには3年間をかけた。その成果が本書である。
重要なことは、人事制度や組織の形の議論にとどまるのではなく、新しい時代に求められる日本企業の組織能力とは何かという、もう一段高い議論をしていくことである。
日本企業は「人ベース」の強みを持っている。これを活かしつつ米国企業に特徴的な「仕事ベース」の強みを導入し、組織能力をハイブリッド化する。これが日本企業へのメッセージとして、調査研究で得た解決策である。
※1 組織の基本的な構造特性を本文では「アーキテクチャー」としている。アーキテクチャーとは建築の分野やコンピューターシステムの分野で用いられる用語で、基本構造とか設計思想という意味である。
※2012年4月に出版された髙木晴夫著『組織能力のハイブリッド戦略』「はじめに」および「第1章」より著者の許可を得て改編・転載。無断転載を禁ずる。
髙木晴夫(たかぎ はるお)
慶應義塾大学大学院経営管理研究科 ビジネス・スクール教授
慶應義塾大学理工学部管理工学科卒業。1975年、同大学院工学研究科修士課程、ならびに1978年、博士課程を修了。1984年、ハーバード大学ビジネススクール博士課程卒業。同校より経営学博士号を授与される。1994年より現職。
主な著書に『組織マネジメント戦略』(有斐閣)、『実践!日本型ケースメソッド教育』『トヨタはどうやってレクサスを創ったのか』(いずれもダイヤモンド社)、訳書に『新版 組織行動のマネジメント』(ダイヤモンド社)ほかがある。
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