夕学レポート
2005年10月20日
だまされたと思ってやってみる 秋元康さん 「秋元流プロデュース論 ~答えは自分の中にある」
夕学2005年度後期がいよいよスタートしました。1回目の講師は作詞家の秋元康さん。会場を埋め尽くす300人の聴講者から寄せられる期待の眼差しにまったく臆することなく、たんたんとそれでいて印象に残るお話をしていただきました。
秋元さんは、作詞家としてはもちろんのこと、我々の世代(40代)にとっては、「とんねるず」や「おにゃん子」に代表されるように、多感な若者の感性をがっちりつかんだ新進気鋭の放送作家としての印象が強烈にあります。そのクリエイティビティは、49歳のいまも、まったく枯れることなく、小説、映画、脚本、ビジネスと多彩な領域でプロデューサーとして大活躍をしていらっしゃいます。この春からは、京都造形芸術大学の教授に就任され、月に2~3度は教壇にたつそうです。教えてるのは、「社会プロデュース論」とのこと。芸術家というのは、昔から食えない仕事と相場が決まっていました。古今東西、お金持ちのパトロンが芸術を支えてきたといっても過言ではないでしょう。そんな、いわば「社会に寄生する存在」から一歩進んで、芸術も自活できるようにしよう、そのために社会とのかかわりの中で、芸術が貢献できる価値を見つけ出していこう」というのが趣旨だそうです。10代後半から、浮き沈みの激しい芸能界で生きてきた秋元さんならではの授業なのかもしれません。
講演は、「プロデュースってどういう意味かご存知ですか」という会場への投げかけから始まりました。
秋元さんの考える「プロデュース」の概念は二つの言葉に象徴されるそうです。ひとつは、「客観性」です。自分の好きなことだけをやっているとしたら、それはただのアートであって、プロデュースされた(した)存在にはなりえない。環境や状況、対象の欲求や期待を冷静に読み込んでいく姿勢が欠かせないということです。これはビジネスのプロデュースでもまったく同じですね。
もうひとつは「潜在性」です。プロデュースする対象が持っている、潜在的な魅力や力を引き出すことがプロデュースの目的だということです。オーディションで審査員が、どうみても垢抜けない、素人っぽい人を選ぶのと一緒で、プロデュースとは、類まれな才能を秘めていそうで、磨かれきっていない原石を見つけて磨きあげることだそうです。原石がどこまで光り輝くかは、磨いてみないとわからない部分もあるそうで、これもなにやら新商品や新規事業開発と似ているかもしれませんね。
プロデュースされる立場にとってみると、この潜在性を引き出してもらうには、「だまされたと思ってやってみる」という意気込みが必要だとのこと。秋元さんは自らがプロデュースした沢田研二の「TOKIO」、美空ひばりの「川の流れのように」などを引き合いに出しながら、当時確固たる地位を築いていた二人が、新進の若手作詞家の提案に乗ってくれた逸話を紹介してくれました。
このあと、秋元流プロデュース論のポイント10か条を、作詞家ならではの詩的な表現も交えながら伝えてくれました、そのすべてを紹介することはできませんが、いくつかのフレーズが聴講された方々の中で、感性のアンテナにしっかりと引っかかっているのではないでしょうか。
私は、秋元さんが講演の最後でお話になった「最近の私のテーマは、”呼吸するように生きること”です」という言葉が印象に残りました。周囲の喧騒に惑わされることなく、自分の軸足をしっかりと見据え、自然に、気負うことなく生きる。それでいて、隠棲するのではなく、時代の真中をしっかりと歩くことができる。そんな生き方が秋元さんの理想だそうです。
そう聞くと、「川の流れのように」という歌は、美空ひばりという不世出の歌手の潜在性を引き出しながらも、秋元さん自身の心の中の風景を表現してたのではないかと理解できます。まさに、「答えは自分の中にある」ということでしょうか。
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