KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2005年10月24日

「よのなか」は面白い 藤原和博さん 「公教育の未来」

後期2回目は、藤原和博さんの登壇です。
9月に藤原さんの紹介を書いた際に、藤原さんの著書『リクルートという奇跡』のことを書きました。この本の主題として取り上げている「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変える」という精神を藤原さん自身がいまも実践されていることが、共感を持って伝わってくる熱い講演でした。
政治や社会システムの世界では、構造改革という言葉が盛んに喧伝されていますが、我々ビジネスパースンも、「規制が多い」「制約がある」という言い方をよくしがちです。確かに自由な発想や行動を抑圧する規制・制約が多いのは事実ですが、それを言い訳にして困難な課題に立ち向かうことを放棄してしまう、そんな他責の思考に陥ってはいないでしょうか。たとえ規制・制約があろうとも、本当にやろうと思えば、工夫次第でかなりのことができるはずだ。藤原さんの話を聴いて改めてそう思いました。


「なぜ、中学校の校長になろうと思ったのか」講演はこの話からはじまりました。きっかけは、何年か前に中学の公民の教科書を読んだ時だそうです。あまりに無機質でつまらない文章。実態の経済をまったく反映していない記述。「こんな教科書を使う授業が面白いはずがない。興味を持つはずがない」「だったら俺がいっちょやってやろう」というのが教育の世界に足を踏み入れた最初だそうです。まさに「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変える」を地でいったということでしょうか。
藤原さんの話を聴きながら、このエネルギーはいったいどこから沸き起こってくるのだろうかと考えていました。私なりに感じたことは二つあります。ひとつは、「よのなかの面白さを伝えたい」という強い思いです。藤原さんはリクルートでいくつも新規事業を立ち上げる一方で、ドブ板式の営業や買収による経営危機なども逃げずに真正面から立ち向かって来た方です。冒頭の『リクルートという奇跡』にはその様子はありありと記述されています。さらにいえば、藤原さんは、そんな厳しい場面さえも、天性のクリエイティブティで、苦難を楽しみに転換してきた人でもあります。そんな経験に裏付けられているのでしょうか。どんな状況・場面だろうが「よのなかは面白い!」という信念にも似た強い意思を感じました。
もうひとつは「よのなかを自分で創ることの重要性を知っている」ということです。藤原さんは、シミュレーションやロールプレイングなど、主体的に状況にかかわっていく学習方法をなによりも重視します。客観的に分析することや複雑な事象を概念として整理するだけでなく、そこに一歩踏み込んで変えていくこと、創り上げていくプロセスで獲得できる力を大切にしているからです。講演の中で藤原さんが話されたように、「ままごと」や「積み木遊び」に見られるように、人間は生来の性質として、シミュレーションやロールプレイングを通じた学習機能を備えているはずです。そして、社会人がもっとも必要としている能力も、そんな試行錯誤を続ける力です。「学校教育がもう少し社会参画の楽しさを教えることができれば、フリーターやニートは生まれないはずだ」そんな思いがあるのでしょう。
大きな事をなそうという人間には、「戦略」「熱意」「したたかさ」が必要だといわれます。
大きな構想や海図がなければ航海はできません。熱い志がなければ人は動きません。また時には相手や状況に大胆に適応する柔軟性がなければ仲間は増えていきません。
「よのなか科」の授業は名前のとおり、よのなかの生き方を教えているのかもしれません。
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