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夕学レポート

2006年02月09日

野球にかける思い 石毛宏典さん 「四国アイランドリーグの挑戦」

自分の話で恐縮ですが、私は高校~大学までは野球フリークで、毎週『週刊ベースボール』を購読していました。その頃のことを懐かしく思い出しながら、石毛さんの話を聞いておりました。
石毛さんの野球人としてのキャリアを改めて思い返してみると、一見野球エリートの本道のように見えますが、実際は、普通の野球エリートとはひと味違う、いい意味での“あまのじゃく”的な進路決定をしてきたのではないかと思います。駒沢大学時代から将来を嘱望されていましたが、彼が選んだのは創部したばかりのプリンスホテルでした。当時、堤清明氏が打ち上げた「野球でオリンピックを目指す」というロマンに共鳴してのことでした。堤氏の横で、詰め襟姿で記者会見をした石毛さんの紅潮した顔をおぼろげながら記憶しています。
西武では、誰もが疑わぬ監督候補の一番手で、球団もファンもそのつもりだったのに、あえて現役にこだわり、ダイエーに去っていきました。この決断が堤氏の逆鱗に触れたというのは有名な話です。
引退後は、野球評論家や指導者の道を選ばず、単身メジャーリーグにコーチ修行に出かけていきました。石毛さん程の実績があれば、そしてあの弁舌と頭の回転の良さからして、テレビ局も引く手あまただったはずです。フャンの「きっとこの道に進むだろう」という予想を見事に裏切りながら、それでいて「なるほど、そういう道もあったのか」と唸らせる独自の野球人生を送ってこられた方だと思います。引退後はバラエティー番組で醜態を晒すことに躊躇しない、多くの後輩達とは志のレベルが違います。
その延長線で考えると、四国アイランドリーグの設立も、石毛さんらしい選択だったと改めて思います。


講演によれば、独立リーグの設立を思い立った原点は、メジャーでのコーチ修行時代にみた光景だったとのこと。1Aから3Aまでのマイナーリーグや中南米各地の独立リーグなど、アメリカにはメジャーを志す若者達が夢を追いかける場が何階層にも渡って存在しています。日本からも、伝統的な体育会風土が肌に合わなかった青年達が夢を捨てきれずに何人もやってきていたそうです。一方で、そんな彼らを騙すブローカーがいて、悲劇も多く生まれていました。「日本にも、プロ野球に夢をかけてチャレンジする若者を支援・育成する場をつくりたい」「それが野球に育ててもらった人間の使命ではないか」そんな思いから石毛さんの挑戦がはじまりました。
四国アイランドリーグの現状は、まだまだ経営的には課題山積とのこと、しかし石毛さんの志に共感する四国財界、行政、地元の人々が多くいます。二宮清純さんのような協力なサポーターもいます。二宮さんは「スポーツは公共財である。皆のものだ。だからこそ、スポーツを核にした地域活性化の意味がある」と強く主張しています。
石毛さんの夢は、野球もサッカーのJ1、J2、JFLのように地域が支えるクラブチームを全国に組織することだそうです。二宮さんは「四国リーグから選抜チームをつくって、プロ野球に参入する道だってある」といいます。
Jリーグの場合は、構想発表から15年かけて、今の隆盛の時代を築き上げました。四国アイランドリーグの挑戦は始まったばかりです。石毛さんの健闘を祈ります。

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