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夕学レポート

2007年04月17日

「人は仕事で磨かれる」 丹羽宇一郎さん

2007年前期第一回目の『夕学五十講』には伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長が登壇されました。
経済財政諮問会議の民間議員をはじめ、数多くの公職に就く丹羽さん。「時に自分を見失いそうなになる」ほどの多忙な毎日を送っているそうです。
本日の開講時間も、政府の会議の影響を受けて、1時間遅れのスタートでした。
今朝の新聞を見たところ、17日午後は、地方分権改革推進委員会経済財政諮問会議の二つの会議に出席されていました。前者では、消費税、法人2税の地方への配分比率の見直しについて、後者の会議では、金融市場の規制緩和や国立大学への補助金の配分方法の見直しについて、それぞれ激しい議論が展開されたようです。
会議を終えて、総理官邸を出たという連絡が入ったのは19時過ぎ。丸ビルに到着するなり、走ってエレベーターに飛び乗り、演台の横の控え席に着席された時には、既に司会の開会挨拶がはじまっていました。


講演は、まず頻発する企業の不祥事に対する論評から始まりました。
「不祥事はなぜ起きるのか」その真因のひとつとして、丹羽さんは「経営者や幹部が、背伸びをし続けていることで“等身大”の自分を見失っているからだ」と考えています。
ここで言う“等身大”というのは、人間が持つ本質的な弱さ、業のようなものを指しているようです。丹羽さんらしい独特の表現で「動物の血」と比喩していらっしゃいましたが、人間は、どんなに理性を取り繕っても、目の前の欲望や見栄、嫌のことを先送りしたいという誘惑に惑わされてしまう存在なのだという人間観に由来しています。
非倫理的行為に目をつぶったり、不祥事を隠蔽したりする人間と、そうでない人間との間には本質的な違いはない。実は小さな嘘やささいな虚飾などがきっかけになっていることが多い。だからこそ、自分で自分を律するための仕組みや約束事を意識して作る必要があるということです。
社長任期を6年と決めたのも、それ以上やると知らないうちに「動物の血」に動かされてしまうリスクを認識していたからだそうです。
「同じメッセージを飽きることなく繰り返し言い続ける」
「日常の生活態度、行動で範を示し続ける」

丹羽さんのマネジメントスタイルに貫かれている、良い意味での「しつこさ」は、人間の弱さをよく認識したうえで、弱さの呪縛から逃れるための「自分自身への戒め」なのかもしれません。
日本の前途についてのお話では、経済財政諮問会議での議論を紹介しながら、明快な方向性を示唆していただきました。
丹羽さんは、世界は、グローバリゼーションの光と蔭の影響を受けて、長期に渡る安定的低成長経済が可能になる一方で、国家間、国家内での貧富の格差はどうしようもなく広がっていくだろうと考えています。
その中で日本が目指すべきは、「持続的な安定経済成長の維持」とそれを支える「中間層の底上げ」の二つの課題をクリアすることだそうです。
そのための鍵は、世界に誇る「技術」水準の維持と「人材(労働者)」の質の向上だということです。
「技術」水準の維持については、製造業ががんばっている間は大丈夫ですが、「人材」については、労働人口の4割近くを占めるサービス業、特に「金融」「運輸」など規制による参入障壁が高い業界で、生産性を上げることができるかどうかがポイントだとのことでした。
最後の30分は、講演の主題である「人間は何の為に働くのか」という命題について触れていただきました。
これも丹羽さん独特の表現ですが、丹羽さんは、かねてから「見えざる報酬」という言葉を良く使います。
人間は、常に課題を求める生き物である。多くの人々にとって、課題を与えてくれるのが仕事に他ならない。仕事を通じて自分を磨きあげ、成長していくこと。それが仕事を通じた「見えざる報酬」で、人間が働く根源的な動機に成り得るものだ、ということです。
丹羽さんは、新入社員に対して「立派な仕事をしようとするのではなく、仕事を通じて立派な人間になれ」と激励するそうです。
仕事は人に課題を提示してくれる存在である。
会社は仕事を通じた自己成長の機会を与えてくれる存在である。
それが、丹羽さんの仕事観・会社観です。
また、丹羽さんは、赤字会社(部門)こそ人を育てるという持論ももっているそうです。人間の能力は大きな違いはなく、むしろ環境の違いが人を動かすと考えているからです。だとすれば、困難かつ緊急の課題が山積している赤字会社(部門)ほど、課題を与えてくれ、成長の機会を提供してくれる環境はないということでしょうか。
普通の人が言っても説得力のない言葉ですが、社長在任中に、批判を覚悟の上で、巨額の損失を計上して過去の膿を一掃しつつ、ファミリーマートへの投資では会社始まって以来の巨額投資を断行した丹羽さんが語るからこそ、人の心に響く言葉だと感じました。
また、我々にも熱いエールを送ってくれました。
人間の能力に大きな違いはないと言いましたが、もし違いがあるとすれば「努力を継続できる」精神の強さだと丹羽さんは考えているそうです。
ヤンキースの松井選手は、幼い頃から父親から言われてきた「努力できることが才能である」という言葉を好んで色紙に書くそうですが、まったく同じことですね。
丹羽さんも、川上哲治氏(元巨人軍監督)や水野弥一(京大アメフト部監督)から聞いた話を引き合いににだしながら語ってくれました。
フラフラになるまで練習すれば、球が止まってみえる。
これ以上できないところまでやり抜けば、試合で平常心を持てる。
「限界までやり尽くした人間だけが到達できる極致を味わってみろ!」
今期の夕学のスタートを飾るに相応しい熱いエールでした。

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