KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2007年06月26日

ラジオの力 亀渕昭信さん

2年目の春、2005年前期の「夕学五十講」にホリエモン氏が登壇しました。
予約受付から半日で、席が埋まり、ホリエモンの話を聞きたいがために、わざわざ全回予約席を申し込むという人までいました。
ホリエンモンフィーバーが、夕学にも起きていました。
同じ頃、ニッポン放送社長(当時)として、ライブドア社長(当時)のホリエモン氏と対峙していた亀渕昭信さんのもとには、毎日ように不思議な手紙が届いていたそうです。
それは、35年以上前、亀渕さん(愛称「カメ」)がパーソナリティーを務めていた「オールナイト・ニッポン」のかつてのリスナーの方からの励ましの手紙でした。
「カメ、オレは昔、お前からサインをもらって励まされた! 今度はオレが励ます番だ。負けるな、頑張れ!」
そんな言葉が綴られていたそうです。
これまた同じ頃、亀渕さんの母堂(当時88歳)は、何か感じるところがあったのか、密かに身の回りの整理を始めていました。
200通近い、古い手紙・ハガキの束を見つけ、亀渕さんに渡すチャンスを待っていました。
それは、35年前のオールナイト・ニッポンに寄せられたリクエストハガキや手紙だったからです。
いずれも、全盛期を迎えつつあったラジオの深夜放送の熱気を伝える、ストレートで、みずみずしい手紙だったそうです。


新たメディアとして登場したインターネットの雄「ライブドア」が、ラジオというオールドメディアの代表ニッポン放送、ひいてはテレビの巨人「フジテレビ」を傘下に飲み込もうとする一大事件に、人々に関心が集中していた頃、当事者の周辺では、いくつもの不思議な現象がシンクロしていたことになります。
2年の年月を経て、かつてホリエモン氏が立った夕学の壇上で、繋がりのないそれらの現象が、当事者の一人であった亀渕さんの言葉で語られたプロセスは、はからずも「ラジオの力」を再認識する機会に他なりませんでした。
亀渕さんは、「ラジオは想像力を養い、それをかき立ててくれるものだ」と言います。
聴覚だけの限られた情報だからこそ、聞く人は、見えないものを想像し、自分なりの考えをふくらますことができるからです。
更に付け加えれば、いまで言うWeb2.0的世界観に通じる「多数双方向メディア」のはしりだったのかもしれません。
リクエストハガキが番組を構成し、一人のリスナーの声に、パーソナリティーが共鳴することで、多数の人間が行動を起こし、外務省を動かす。
いま、ブログやYou tubeが持つ社会的影響力に似たものを感じます。
ネットの影響力が、負の方向に働くことが多いのに対して、当時のラジオに集った人々は、真っ直ぐで、直接社会に働きかけるパワーに満ちていたようです。
もちろん、全共闘運動の熱が冷めていない頃ですから、若者が社会の問題に声をあげ、行動を起こすことが当たり前の時代だったのかもしれません。
騒動がひと段落した後、社長を退いた亀渕さんは、35年前のリクエストハガキを見て、「かつてのリスナーの今の声を聞く」という番組づくりを思い立ちます。
その番組は大きな反響を呼び、書籍に発展することになりました。
「ラジオに欠点があるとすれば、かつての記録がほとんど残っていなかいことだ」という問題意識をかねがね感じていた亀渕さんは、番組をCD化して保存するとともに、より記録に残りやすい書籍になることを喜んだそうです。
「ラジオの魅力、ラジオの力を、ずっと後まで伝えることができる」と考えたからです。
半世紀近い、亀渕さんのラジオ人生の中で、オールナイト・ニッポンのパーソナリティーを務めたのはわずか3年半の短い期間だったそうです。
にもかかわらず、今なお、強い記憶に残る存在です。
あの時代に、ラジオというメディアの、オールナイト・ニッポンという先端的な番組に、亀渕さんをはじめとした傑出した才能が集ったからこそ生まれた奇跡なのかもしれません。
亀渕さんのお話には、ひとつの時代を作った人間が、かつての熱気を懐かしみながらも、郷愁に浸るだけでなく、時代に応じたラジオのあり方があるはずだと信じる、信念のようなものを感じました。

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