夕学レポート
2008年07月18日
iPS細胞が拓く医学 山中伸弥さん
山中先生が到着される前の控室に、筑波大名誉教授の村上和雄先生がいらっしゃいました。
遺伝子研究の権威で、1月30日の夕学で、「笑いと遺伝子」をテーマに興味深いお話をしていただいた先生です。
村上先生は開口一番おっしゃいました。
「慶應MCCさんも思い切ったことをしますね。いま、この時期に山中先生を講演に呼ぶなんて...」
世界中の大学や企業の研究者と一刻を争う研究競争の最前線にいる山中先生を、講演に呼ぶという、ある意味の”暴挙”を評された言葉でした。
主催者としては、ひょっとしたら、歴史的資産になるかもしれない貴重な講演が実現できた奇跡を、多くの会場の皆さんと共有できたことは何よりも喜ばしいことでした。
さて、本題の山中先生の講演についてです。
本当に優秀な人は、難しいことを分かり易く説明できる人だと言われますが、山中先生は、まさにそういう人でした。
再生医学の意義、ES細胞研究の進展と課題、iPS細胞研究への期待と課題etc、どれも明快に解説していただいたと思います。
山中先生は、若年性糖尿病、脊髄損傷、白血病の三つを例に取り、今なお、治せない病気・怪我に苦しんでいる方が数多くいることを説明されました。
いまのところ、それらの病気・怪我から解放され得る唯一の道が、臓器や細胞を他者から移植する方法です。しかし、移植を望む患者に対して供給者が圧倒的に不足しています。臓器売買などの不正も散見されています。
この問題を解決すべく研究されているのが再生医学です。移植すべき臓器や細胞を、なんらかの方法で作り出そうというものです。
再生医学の切り札として注目されてきたのが、ES細胞研究でした。不妊治療(人工授精)のために取り出してある受精卵(胚)を利用しようという考え方です。
ES細胞は、臓器、細胞の再生に不可欠な「万能性」が備わっていることから、「万能細胞」と呼ばれています。
すべての細胞に分化できるという「多能性」と、無限に増殖できるという「増殖性」が「万能性」たる所以になりますが、受精卵は、やがて人体のすべての器官に分化・成長しますし、絶え間ない細胞分裂を繰り返しながら増殖していることは、我々もよく知っているところです。
しかしながら、ES細胞には、大きな二つの障害があります。
ひとつは、他人の受精卵を使うことで起きる「拒絶反応」を制御し切れないという技術的な問題。いまひとつは、「万物の創造主」たる神の領域に踏み込みはしないかという倫理的な問題です。
そこで注目されているのが、山中先生が取り組んでいるiPS細胞です。
iPS細胞は、受精卵ではなく、皮膚細胞などから作り出し、ES細胞と同じ「万能性」をもった細胞を意味します。
患者本人の皮膚細胞から作り出せば、拒絶反応の問題をクリアできます。受精卵を使わないので倫理面でも障害がありません。世界中がiPS細胞に期待を寄せる理由がここにあります。
iPS細胞研究の最大のポイントは、皮膚という分化後の進んだ状態の細胞から、分化する前の根源状態ともいえる万能細胞に、リセットしてしまおうという点にあります。医学用語では、「初期化」というそうです。使用済みのディスクを初期化して再生するような感じでしょうか。
山中先生は、この初期化のために、万能細胞への誘導の役割を果たす遺伝子を、皮膚細胞に注入しようと考えたそうです。そして、さまざまな試行を経て、4つの遺伝子見つけ出し、触媒的な役割を果たすレトロウィルスに乗っけて加えることで、iPS細胞を作り出すことに成功しました。
マウスでiPS細胞の作製に成功したのが2006年、1年後の2007年には、ヒトの皮膚細胞からiPS細胞を作り出すことに成功しました。
36歳の白人女性の皮膚のシワ細胞から作られたという心筋細胞が、ドクドクと拍動をする様子は感動ものでした。
iPS細胞によって切り開かれる展望は二つあるそうです。
ひとつは、病気の患者の皮膚からiPS細胞を作り、病気の細胞へと再生させることで、病気の原因究明や薬効・副作用の評価ができることです。いわばモニター試験のようなものができるわけです。こちらはすぐにでも実用化ができるとか。
もうひとつは、冒頭の移植治療です。こちらには副作用としてガン化の危険性があるので、あせらずに、安全性を確かめて進みたいと山中先生は言います。
画期的な研究ゆえに、国家間競争の様相をみせはじめたiPS細胞研究。日本にしては珍しく、早々に予算もつき、京大に専門の研究センターも設立されましたが、海外ではケタが二つ違うレベルで研究予算の配分がなされています。山中先生を取り巻く研究環境は、けっして平坦なものではないようです。
「講演はこれを最後にして、どうぞ研究にまい進して欲しい。それが日本のためになるのだから....」
村上先生の訴えは、山中先生の誠実なお人柄をよく理解されたうえでの、世界と戦ってきた研究者ならではの助言だったのでしょう。
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