KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2009年06月03日

「個を見る」 宇津木妙子さん

「厳しさ」と「優しさ」
この二つを合わせ持つことは、およそ全てのリーダーに必要なことで、最も難しいことでもあります。
スポーツの世界で名指導者と呼ばれる人達は、この二つを合わせ持っています。例えば昔なら、バレーボールの大松博文氏や松平康隆氏。いまなら、シンクロの井村雅代氏やラグビーの清宮克幸氏etc。 いずれも、鬼のような厳しさと肉親のような暖かさを兼ね備えた指導者でした。
前全日本女子ソフトボール監督の宇津木妙子さんも、そんな名指導者の一人です。
シドニーオリンピック決勝戦で落球し、控室で号泣する選手に「いつまで泣いているんだ。お前のせいで負けたんだろ!」と吐き捨てた鬼監督の顔。
北京オリンピックで、金メダルの感激に「ヤッター」「よかったヨ~」と、小倉智昭さんの胸で泣き崩れた姿。
「厳しさ」と「優しさ」 二つの顔を、はたして宇津木さんはどのように統合しているのか。
それをテーマにして、講演を聞いておりました。


講演は、宇津木さんの代名詞ともなった速射砲ノックさながらに、次々とエピソードが打ち出されます。前触れもなく、さっと次ぎの話題に移ったかと思えば、「ここぞ」という場面では、同じところを繰り返しついてくるしつこさ。聴衆もいつしか講演ノックのペースに巻き込まれて、のめりこんでいきました。
星野女子高校時代の思い出、ユニチカでの経験、日立高崎での苦労、シドニー、アテネ、北京の3回のオリンピックの逸話。いずれもたいへん面白い話でしたが、「厳しさ」と「優しさ」の統合という私的テーマに沿って言えば、一番印象に残ったのは、質疑応答の中で紹介された、ある選手の逸話でした。
日立高崎の監督時代、高校No1捕手と謳われた選手が入部してきたそうです。しかし宇津木さんは、彼女を3年間「バット引き」でしか使いませんでした。「バット引き」というのは、試合や練習中にバットを片付ける選手のことです。バット係を含め、用具の整理・片付け、監督の世話など裏方業務を一手に引き受ける存在です。
全力で「バット引き」に取り組んでいた彼女が、3年目の終わりに監督に言いました。
「監督、わたしは来年もバット引きでしょうか」
「そうだよ」
「そうですか」「わたしは、監督のもとで、日本一のバット引きになれたつもりです。新しい夢に挑戦させてください」
そう言って退部した彼女は、看護婦資格に挑戦し、いまは2児の母親でありながら看護婦を続けているそうです。
高校No1と言われたほどの選手が、「日本一のバット引きになれた」という達成感を持ち、潔く次の夢に向かっていったという事実に、宇津木さんの指導法が垣間見えます。
宇津木さんは、チームづくりを、レギュラー選手だけでなく、それを支える控え選手や裏方までを含めてひとつのシステムとして考えています。システムを構成する要素として、「バット引き」はひとつの役割であり、目立つ存在ではないものの、欠くことの出来ない存在です。
講演の中でも繰り返し、「個を見る」「適材適所」と強調されていましたが、「バット引き」という役割が持つ意味を彼女に何度も伝えていたのでしょう。
上野投手に「お前に夢を託す」と伝えたように、彼女にも「日本一のバット引きになれ」と激励していたのかもしれません。
選手ひとり一人の個人カードを作り、各自の学校の成績や親の性格に至まで、あらゆる情報を書き込んで選手把握に努めたという宇津木さん。
「お前のせいで負けた」という発言も、「バット引き」の役割も、日常での「個を見る」「適材適所」の姿勢があってこそ受け入れられるものだと思います。
宇津木さんにとっての、「厳しさ」と「優しさ」の統合がよくわかる逸話だと感じました。
「日本チームは金メダルを取ったけれど、自分は取っていない。まだソフトボールをやり尽くしてはいない。まだまだ夢が残っている」
教え子が成し遂げた金メダルに歓びながらも、やり残した夢を探して、次ぎの挑戦を続ける宇津木さん。
小さな身体は、熱い闘志に満ちていました。

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