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夕学レポート

2009年12月08日

本の救世主 幅允孝さん

「出版は構造不況業種になった」という業界人の声を聞くことが増えた。
出版数は増えても販売数は増えない。膨大な新刊と売れ残りが出版社・仲卸・書店を行き来しているそうだ。
そんな悩める本業界に出現した救世主が、ブックディレクターの幅允孝さんではないだろうか。
本だけは「お小遣い別会計」という恵まれた環境で育った幅さんは、幼い頃から無類の本好きである。今では、月に40~50万円を本の購入代に費やすとのこと。しかも全て自腹である。
ブックディレクターとしての幅さんの立ち位置は明解である。
「自分の好きな本を共有したいと願うこと」
本が大好きな人間として、美味しいものをいろいろな人に知ってもらいたいように、好きな本を多くの人と分かち合いたいというのが根源欲求になっている。そのための、人と本の出会いの場をプロデュースするのが、幅さんの仕事ということになる。


幅さんが考える「人と本の出会い」は、人間同士のそれと同様に、単なる情報マッチングではない。質感を重視したものだ。
本を手に取り、重さや紙質を確かめ、パラパラとページをめくる時に味わえる感覚にこだわりたいという。リアルな出会いである。
幅さんは、他者への紹介の仕方にも、哲学を持っている。
「届けたい相手が両手を伸ばして、届く範囲に本を配置する」
という心理的な距離間設定である。
幅さんは、小学生を相手に本を薦めた体験をもとに、詳しく紹介してくれた。
幅さんが彼らに薦めたかったのは名作『宝島』であった。しかし、いくら『宝島』を語ったところで、現代の子供達の「両手が届く範囲」には入らない。
そこで、彼らの範囲にある人気漫画『ONE PEACE』を取り上げた。すると子供達は飛びついた。
海賊冒険モノとして繋がる両者の共通性や関連性を紹介することで、彼らの関心にブリッジを架け、「両手が届く範囲」の外にあった『宝島』へとリンクを張っていったという。
その他にも、これまで手がけてきたいくつかの仕事を紹介してくれた。
駿台予備校の東大特進コースの生徒向けに作った本棚
東京ミッドタウンのパークライブラリー
脳梗塞患者のリハビリを目的とした病院のライブラリー
いずれも、既成の枠組みを越えた、新しい「人と本の出会い」を生み出したものだ。
幅さんの仕事を通して見えてくることがいくつかある。
本で人を表現する
その人の生き様、価値観、歩いてきた道程、過ごしている時間を表現する本を選んで提示するということだ。
幅さんは、優秀なスタイリストのように、その人が一番輝いてみえる本を選んでいる。
本の力を信じる
人と本の出会わせ方によって、本という紙束(中身ではなく)が、人を動かしたり、動機づけたりすることが出来るということだ。
幅さんは、谷川俊太郎の詩集ひとつで、リハビリ拒否していた老人に気持ちを変えさせてしまった。
エディトリアルという考え方
何と並べるのか、どのような環境に置くのかで、本の見え方・意味づけは劇的に変わるという。
幅さんは、本の果たす役割は、周囲との関係性の中で立ち上がってくるという。「セレクト」ではなく「エディット」なのだ。
これまでにも「知の巨人」と謳われる読書家・知識人はいた。
しかし、幅さんは、従来の巨人達とは異なる、ニュータイプの読書家・知識人といえるだろう。
なによりも本の可能性をここまで広く捉えることができる人はいなかった。
そして、自分本位ではなく、本から遠いところにいる人々に寄り添って本を客観視することができる。
彼にとって本は、時にファッションの小道具であり、リハビリツールであり、予備校生の鼻先につるすニンジンである。
何年も本を手にすることさえなかった人々が、それをきっかけに、本の質感を思い出してくれることが何よりも重要なのだ。
逆境だからこそ登場した本の救世主。本に関わる全ての人々が大切にすべき存在だと思う。

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