KEIO MCC

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夕学レポート

2010年05月18日

「自分で選んで歩く」 佐々木常夫さん

「誰が選んでくれたのでもない。 自分で選んで歩き出した道ですもの...」
大女優 杉村春子 生涯の当たり役「女の一生」の名台詞である。
遊女の私生児として広島の色街で生まれた女性が、日本の近代演劇を代表するカリスマ女優にまで上り詰めた、杉村春子の生涯を象徴するような台詞として、あまりに有名である。
この台詞に力を与えるのは、強烈なまでの「自己決定の原理」である。
「人間は、生まれながらにして自由なのではない。自由な意志を行使する限りにおいて、自律的な存在であるゆえに、自由なのだ」
カントはそう言った。
佐々木常夫さんの人生は、壮絶なる「男の一生」である。
年子で生まれた三人の子供の育児。
自閉症を抱え、しばしば問題行動を起こす長男の世話。
肝臓病に加えてうつ病を患い、20年間で43回の入院と3回の自殺未遂を繰り返した妻の看護。
東レの戦略スタッフ、経営幹部としての激務と度重なる転勤。
その全てを引き受けて、破綻することなく、それでいて飄々とやり抜いた。
想像を絶する、凄まじい一生である。


運命を嘆き、神を呪いたくなるのが人間であろう。私ならきっとそうなる。
現実的な対処としては、何かをあきらめるしかない。あるいはもっと悲惨な選択肢を取ってしまうことを誰も責められない。
しかし、佐々木さんは、仕事も、家庭もあきらめなかった。
大きな困難に直面した時に、どのように向き合うか。
佐々木さんほどではないにしろ、およそ全ての人々が経験することである。
困難に正面から対峙して、力でねじ伏せようとする人。
不幸な身を嘆き、自暴自棄になって消滅する人。
知恵をフル動員して、なだめたり、すかしたりしながら、困難と共存する人。
いずれの選択も間違いではないが、その選択プロセスの中に、「自由意志の行使」を埋め込むことが出来たかどうかが重要である。
「自分で選んで歩き出す」ことが出来るかどうかである。
佐々木さんは、それが出来た人であった。
家族も家庭もあきらめずに、「自分で選んで歩き出す」ことを選択できた要因のひとつは、佐々木さんが持つ「自己客体化」能力ではないか。
普通の人間であれば、自己を見失うような大きな困難に直面しても、一歩引いて自分の置かれた状況を分析し、最善の打ち手を考えることができる。
状況に埋没してしまわない、もうひとりの自分を持つことができる。
講演のはしばしで、それを感じたのは私だけではないと思う。
佐々木さんが説く、仕事論、リーダシップ論、タイムマネジメント論には、少しばかりの異論・暴論も含まれている。(ご本人もよく認識している)
・仕事はプロセスではなく、あくまでも結果で評価されるべきである。
・二段上の上司と上手くやれ
・プアなイノベーションより優れたイミテーション etc
しかしながら、圧倒的な説得力がある。
それは、佐々木さんが「自己選択」の繰り返しの中で、培ってきた「持論」であるからに他ならない。
結果を伴う「持論」は、薄っぺらな理論を超越した次元で、極めて論理的である。
3年半前に『ビッグツリー』という本を出すまで、佐々木さんは無名の企業戦士&家庭戦士であった。日本には、こういう素晴らしい戦士達が、まだまだたくさんいるのではないか。
その限りにおいて、日本はまだまだ大丈夫だ。

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