夕学レポート
2010年11月17日
仏像は、こころの係留装置である 多川俊英さん
奈良は、行政肝入りの大イベント「平城遷都1300年祭」で盛り上がっているようだが、興福寺関係者にしてみれば、「興福寺創建1300年」の方が断然重要だそうである。
北の比叡山延暦寺と並び「南都北嶺」と評され、時々の政治権力に対して大きな影響力を発揮していた政治の寺、興福寺の面目躍如といったところか。
多川俊英さんは、興福寺を統べる貫主を20年以上務め、「興福寺創建1300年」事業を統括する立場である。世が世であれば、平家も恐れた奈良法師の総帥である。
710年、時の権力者 藤原不比等は、平城京が東に張り出した外京の地に、自身の屋敷や藤原氏の氏寺である興福寺、氏神を祀る春日大社を次々と建立した。
この地は、春日山丘陵地の先端にあり、水はけ、景観、利便性等々、全てにおいて最高の立地条件であった。
しかしながら、天平の世=奈良時代は、けっして平穏な時代ではなかった。
不比等が逝った後、藤原北家が権力を掌握するまでの一世紀近くの間は、日本史上でも稀にみる政争の時代であった。
長屋王の変、不比等の後を継いだ四兄弟の病死(天然痘)、橘諸兄の乱、藤原仲麻呂の乱、道鏡の暗躍等々、血生臭い抗争事件が相次ぎ、権力者がころころと入れ替わった時代であった。
まさに、この時代に興福寺は着々と大伽藍を整えていった。
多川貫主は、天平時代性を次の三つのキーワードで語ってくれた。
「典雅」「端正」「剛勁(ごうけい)」
天平の世は、のんびり優雅な時代ではなく、スピードと成果を厳しく問われる命がけの成果主義の時代であった。
塔や堂を建立するにしても、限られた時間できっちりと仕上げなければ首が飛ぶ。興福寺の五重塔も、金堂もたった一年で建立された。いまからみると驚異的な早さだという。
仏教用語で、「速疾」という言葉も紹介してくれた。すみやかで手早いという意味だ。
天平は、実はきわめて現代的なスピード社会であったということか。
興福寺は、法相宗の大本山である。
法相宗は、別名で「唯識の教え」という。
識とは、こころを構成する要素のようなものらしい。
「唯識とは、この世のあらゆるもの(身体、物体、環境を含めて)をこころの要素に還元して考えることです」
多川貫主は、端的に説明してくれた。
あらゆる問題は、自分のこころの問題に起因していると考えることが「唯識の教え」である。
多川さんによれば、こころは、八つの要素に還元して認識できるという。前五識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識)=五感のようなもの。第六識=第六感的なもの。
以上の六識は、こころの表面的な部分=表面心である。
表面にかくれた無自覚的な深層部分=深層心は、第七末那(まな)識=自己愛・自己執着と、第八阿頼耶(あらや)識で構成され、無意識のうちに、人間のこころを支配するものだ。
意識と無意識の二重構造、フロイトやユング等の近代心理学が説く「こころの重層構造」を、三世紀頃に確立した「唯識の教え」では、すでに考え方の基盤に置いていたのだ。
「唯識の教え」では、第七識までを本識と呼び、具体的な行動やこころの働きを形成するとしている。いわば目に見える行為・行動の原動力になっているという考え方だ。
第八阿頼耶(あらや)識は、七つの本識のさらに奥深くにあり、行動・行為の情報を蓄積、保存するものだという。すべての情報は阿頼耶識に貯め込まれ、人柄・人格を形づくる。
そこには、正義、正直、猜疑、嫉妬等々善悪を越えたあらゆる人間の欲望が蓄積されている。人間の全情報が入ったメモリーのようなものだろうか。
始末の悪いことに、阿頼耶識は人間の身体とは別個の生命体で、人間が死ぬと、別の人間に乗り替わり蓄積を続けていく。輪廻転生していくわけだ。
私の、いまの阿頼耶識は、何千年前、何百年前の、見ず知らずの何人もの行動情報を受け継いで、いまの私の人柄・人格を形成している。
そして、いまの私の行動・行為は、何千年後、何百年後の、未知の誰かに引き継がれ、その人となりを規定していく。
原因と結果が同時に起こり、つながっていく。「因果同時論」である。
人間は、阿頼耶識の頸木から逃れ、煩悩から解き放たれるために、ひたすら祈りを捧げねばならない。それが「唯識の教え」である。
「宗教は人間に幸せをもたらすものではない。苦悩に耐える力をもたらすものである」
宗派は異なれども、かつて南直哉師が語った仏教の本質がここにあった。
さて、「興福寺創建1300年」の一環で開催した『阿修羅展』(東京・福岡)が190万人の動員を記録し、「仏像ブーム」の火付け役となった多川貫主は、仏像の意味を次のように語ってくれた。
「わたし達のこころは、いつも流動して止まない。散心にさいなまれている。仏像の造形は、散心を静かに係留してくれるひとつの道具立てである」
命がけの「速疾」を求められた天平時代、環境変化に適応できず、こころを病む人が増えている現代、同じような厳しい時代に生きねばならないからこそ、「散心から定心へ」と誘ってくれる空間と造形を、わたし達は必要としているのかもしれない。
追記:
この講演に寄せられた「明日への一言」です。
みんなの-明日への一言-ギャラリー/11月16日-多川-俊映
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