夕学レポート
2011年02月03日
菊澤研宗教授による【ドラッカー再発見】 その3
ドラッカーが29歳の時に発表した『経済人の終わり』は、チャーチルが絶賛し、書評を書いたこともあって、ドラッカーの名声を一気に高めることになりました。
同時期に米国に移住し、フリージャーナリスト、大学教授とキャリアを積みながら、ドラッカーは、「経済人の時代」の次に到来すべき新しい時代のあり方について思索を深めていきます。
そして、1943年、34歳の時、第二次世界大戦の最中に著したのが『産業人の未来』でした。
「来るべき平和の時代の姿を「自由な社会」として掲げ、そのために、いかにして産業社会を自由社会として構築すべきかを問題提起した」
菊澤先生は、この本を上記のように概観します。
「自由とは楽なことではない。それは幸福でもなければ安定でもない...」
「自由とは責任を伴う選択である、自由とは権利をいうよりも義務である...」
この本の中で、ドラッカーはさまざまな言葉・言い方で「自由」の概念を説明しようとします。しかし、肩に力が入り過ぎているせいか、やや冗長で、掴もうとするとスルリと両手から滑り落ちてしまいます。
そこで菊澤先生は、「カント的自由」の概念をフレームワークとして提示することで、ドラッカーが言いたかったことを見事に解説してみせました。
「人間を自由人(自律的な人間)として見なすこと」
それがドラッカーの「自由」であると。
自由な産業社会を実現するために
・企業は社員ひとり一人を自律的な人間とみなし、「位置」と「役割」を与えること
・経営者は、社会における権力の「正統性」を持つこと=社会に対する責任を果たすこと
この二つが果たされなければならない。
これが、ドラッカーが描いて見せた新しい時代のあり方です。
講義を受けたディスカッションは「自由」がテーマです。
自由を、どこまで、どのようにして企業に持ち込めるのか?
企業の論理と自由の概念は相容れることが出来るのか?
これまたど真ん中のストレートのような問い掛けに対して、受講者は真摯の意見を交換しました。
菊澤先生は、ガイド役として二つの「自由の概念」を提示してくれました。
ひとつは、先述の「カントの自由論」。
自由は人間らしさの究極の姿であり、自由を行使し、判断できるからこそ人間なのだという自律的な自由論。
ひまひとつは、「ヘーゲルの自由論」。
大きな自由の中にいるから個人は自由になれる、全体が大きくなれば個人の自由も大きくなるという全体主義的な自由論。
実は、わたし達は「自由」という言葉を使う時に、「カント的自由」と「へーゲル的自由」を都合よく使い分けてしまっているに気づきます。
何者にも束縛されない自由を求めながらも、自由の代償として引き受けるべき責任や義務を出来るだけ避けようとしてはいないでしょうか。
自分の考える自由はどちらなのか。そしてその自由を貫くことが出来ているか(出来てきたか)。
「自由な産業社会」の実現に向けて、真っ直ぐと理論構築を進めるドラッカーを前にして、立ち止まらざるを得ません。
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