KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2013年10月16日

音楽とは一緒につくる感情 千住真理子さん

mariko_senju.jpg皆さんこんにちは&はじめまして。
慶應MCC 湯川 真理です。『夕学五十講』今期より城取とともに、進行役をつとめさせていただくことになりました。よろしくお願いいたします。
さて、今回ご登壇いただきましたのはヴァイオリニスト 千住真理子さんです。お話は千住さんの「アメージンググレース」のヴァイオリン演奏で始まりました。
リサイタルでも、ボランティアでも、講演やトークショーでも、千住さんはいつも始めに、一曲、ヴァイオリンを演奏されるそうです。ご自身の心を落ち着かせるために、そして何よりも観客が、「心を開いてくれるのを待つ」ために。
「演奏家と聴衆が、連鎖反応で心を開きあい、一緒に空気をつくるのです。ひとつの感情になるのです。」
心を表現するのが演奏家で、観客は心を揺さぶられるのを待つもの、と思ってはいませんか。私はすっかりそう思い込んでいました。けれどもそうではないのですね。「演奏家は観客が心を開いてくれるのを待っているのです。演奏家はいつでも心を開く準備はできているのです。」千住さんは演奏に言葉を続けられました。「アメージンググレース」は、小さいけれども確かなかたちで、感覚的にも私たちに伝えようとしてくださったのでした。
この日千住さんは、たくさんのお話をしてくださいました。今回のお話を伺って、千住さんの音がなぜこれほどまでに私たちの心に響き、感動させるのか、とてもよくわかりました。私は千住さんの演奏もたびたび聴かせていただいているファンの一人でもあり、agoraにご登壇いただいたこともありました、そこで今回の講演でいちばんに感動したことをすこし書きたいと思います。


千住さんは若干12才で華々しくプロデビュー、”天才少女”と評され活躍されます。ひたすら努力して “天才少女”であり続けることが、どれほどに苦しかったか。「人間をやめるか、ヴァイオリンをやめるか。」とまで悩み詰め20歳のときにヴァイオリンを一生やめる決意をします。そのころのことはプロフィールや著書、インタビューなどでご存じの方もいらっしゃると思います。前回『夕学五十講』にご登壇いただいたときにもお話いただきました。
http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2007/12/post_213.html
当時のことを、自分の技術を磨いて、天才らしくヴァイオリンを弾いてみせることだけに必死だった、音楽がわかっていなかった、音楽で人が感動するなんて嘘だと思っていた、千住さんはそう振り返られます。
「これが音楽かもしれない。これが感動というものかもしれない。」
はじめてわからせてくれたのが、千住さんにとってはじめてのボランティアであり、またヴァイオリンを再開したきっかけでもあった、ホスピスの患者さんとの出会いでした。末期癌患者の方がさいごに会いたいと願っていらっしゃるというのです。そこまで言ってくださるならと訪問し気軽な気持ちで一曲弾いてみたものの、体も頭もヴァイオリンを弾くことをすっかり忘れてしまっていて、まったく弾けませんでした。それでもその方は、涙をうかべてとても喜んでくださいました。そして「ありがとう。」 その方のひとことに、千住さんのほうが救われました。
申し訳ないことをしてしまったという大きな後悔、と同時にこの方は、”私、千住真理子”に会い感動してくださったのだ、よかった、私は生きていてよかったんだと、千住さんは救われたのだそうです。「ありがとう。」そのとき感じた、あたたかい、やさしい空気、ひとつの感情に。
それがいまの”ヴァイオリニスト 千住真理子”の原点であり、音楽であり、千住さんそのものであるのだとわかりました。
そしてだからこそ、東日本大震災被災地でのボランティア演奏活動も続けていらっしゃいます。音楽は心を揺さぶり、失った故郷の美しい風景や大切な方やつらい体験を思い出させもします。人々が流してくださる涙は感動や喜びばかりではありません。残酷なことをしているのではないかと、迷われたこともあったそうです。けれどもだからこそ弾き続けてもいらっしゃるのだと、今回のお話でわかりました。音楽は人々の心を揺さぶります。人間らしい感情をあふれ出させます。生きていてよかったと思う、感動する、そのことそのものが音楽であるからこそ、千住さんは弾き続け、音楽になり続けていらっしゃるのだと思いました。
さいごに千住さんはバッハ・グノーの「アヴェ・マリア」を一曲、演奏してくださいました。皆さんとこのようなあたたかなひとときをご一緒できたことを私もとても幸せに思いました。

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