夕学レポート
2013年11月15日
日本の美、共存の美 高階秀爾先生
こんにちは。慶應MCC 湯川です。第11回目 11月15日は高階秀彌先生にご登壇いただきました。
文字と絵、意味と音、言葉とイメージが、ひとつの画面に共存し、互いに響き合いながら、美を奏でている。それが日本の美。高階先生のお話は余韻の残る豊かなお話でした。
高階先生のお話は、「古今和歌集」から始まりました。西洋美術の権威である高階先生からこれほどまでに和歌や日本美術のお話を伺うとは。意外で驚きでした。けれども綴られるお話に、西洋の美術と日本の美術、ともに造詣の深い高階先生だから、のお話であることがわかっていきました。日本の共存する美、対する西洋の美は、分け、分かれ、揃える美。
日本語はまさに共存する美の代表です。
漢字とかな。意味を表う漢字と、音を表すかな。まったく違うシステムが共存して、多彩な表現を生んでいます。音を掛け、意味を掛け、場面と意味を掛けて。左右上下対称の漢字と、非対称のかなは、造形の美もまた生み出します。共存する言葉、ゆえに複雑ですが、ゆえに実に豊かさも生み出しているのですね。
和歌は、共存する美の典型だとわかりました。
絵の上に、文字を重ね、和歌がつづられる「重ね」。あえて頭を揃えず、行を続けず、画面に散らして書く「散らし」。和歌の情景や思いを描いた絵のなかに文字を隠しこむ「字隠し絵」など。高階先生は和歌と美術にみる手法と具体例とをもって、共存の美の世界をご紹介くださいました。どなたも絵巻や工芸品で見たことがあるなとお思いではないでしょうか。けれども西洋では、文字と絵、文字と装飾は別の領域で、一緒に扱われることはなく、日本独特な美だと受け取られているそうです。
擬態語も、共存する美の発展といえるのかもしれません。
絵やマンガには、音がないことをカタカナで表現することがあります。「シーン」とか「ズズズ」とか。有機的な共存ゆえに、無さえも加わるといえるのではないでしょうか。描かないことで描く、省くことで美を極める、これらも通じるかもしれません。そもそも、マンガそのものが絵と文字、イメージと言葉が共存しているものです。枠の使い方も、その共存のあり方も、西洋の思考にはなく、いわゆる”ジャパンクール”なのだそうです。
ところで、高階先生はお話を「古今和歌集」の序文の紹介から始められました。
「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」
紀貫之はこう続けます。人の心から生まれるのが和歌である。誰もが人の心を詠うのである。そして歌は天地さえも動かす。と。「日本人は、すべての人が詩人である」のです。
これに対して西洋では、詩とは、選ばれた特別な人が、超越した存在、神から”inspired”されて、志を述べるもの、であるそうです。「ギリシャ人たちにとっては、美は、真や善と同じように、理想化された価値であり、人間よりも上位の存在である神に属するものであった。」と高階先生のご著書で読んだことを思い出しました。現代の私たちはビジネスや生活で、西洋の論理的な二元論的思考のほうに慣れ習っていますが、日本本来の美のあり方にいま改めて日本の良さ強さのヒントがあるのではないでしょうか。
美とは、美を感ずる、人の心のなかに、存在するもの。
私の心が、他者と共存する。私が、自然と共存する。人間と、自然が共存する。私たちすべてが美を生み出し、美そのものである。そういうことだともとらえられるのではないでしょうか。人の心のなかに美はある。美しい考え方で、美しい文化だなあと思いました。
(湯川 真理)
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