夕学レポート
2014年04月11日
月曜の夜にみる月と金曜の夜にみる月が違ってみえるのは何故か 穂村弘さん
夕学五十講2004年度前期、第2回目は、歌人 穂村弘さん。
言葉”をテーマにした”講演会を聞いていた”はずですのに、ほんわかな穂村さんのつくりだす時空間のなかにしばし入って漂っていた。そんな感覚でした。これが”ホムラワールド”、なんですね。
私たちは必ず、世界像のなかで、生きています。世界像は人それぞれ。
外から他人の世界像が見えるときがあります。それが言葉。
世界像と言葉の可能性。それが穂村さんのメッセージでした。
どういうことなのでしょう。穂村さんはいくつかの言葉や短歌を例として紹介しながら、その世界観を伝えようと、ていねいにお話をしてくださいました。おかしくてくすくす笑ったり、おもしろくて声に出して笑ったり、共感して微笑んだり、しながら聴きました。
そのお話、時空間の感覚をすこしご紹介できたら。私が特に共感したり好きだなあと思ったりしたことをすこし綴っておきたいと思います。
「ママ、舌も生え替わるの?」「ピッチャーが攻めているんでしょう」
子どもだからこそ、知らないからこそ、の感性があり、でてくる言葉があります。知らないからこその世界像があるんですね。いったん言葉を知ってしまうと、経験して知ってしまうと、失ってしまう世界像でもあります。
「妻と呼ぶか、パートナーと呼ぶか、配偶者と呼ぶか、敵と呼ぶか・・・」
どの言葉を選ぶか。些細なようだけれど大きな決断を迫られているかのような。自分の世界観が過剰に投影されているから、だそうです。世界観とはこういうことなんだなとこの例で感じられました。
「中年の男が平日の昼間の住宅地にしゃがんでいると・・・」
何をしているんですか、とのお巡りさんの問いに、コンタクトレンズを探していると言うか、ダンゴムシを探しているというか、ちょうちょの唇を探しているというか。行動は同じであっても、言葉が違うとまったく違いますね。それはつまりその背景の世界観が違うから。これもよくわかります。
「部長、ほら、プリンがふるふるしてますよ」
会社では言わないし、言ってはいけないけれど、家族や恋人に対して言っている、言えること、ありますね。一人のなかでも異なる世界観が共存しています。私たちは分けて、生きている。そうだなあと思います。
ところで。もどかしいです。お話の面白さ、今日感じた言葉の世界の面白さ、なにか伝えたいと思うのだけれどうまく書けません。この気持ちが、短歌の入口なのかもしれないな、といまふと思いました。そうすると急にそしてはじめて、短歌を身近に感じます。面白さを伝えきれないので皆さん、ぜひ、穂村さんのご本を手にとってみてください。(湯川)
穂村さんの著書が出版されました。
『はじめての短歌』
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