夕学レポート
2014年11月13日
「人間社会の根本思想」 安冨歩さん
安冨歩さんがドラッカーに感銘を受けた理由は、その予言力であったという。
大手都銀の行員として働いていた80年代末、”バブルを引き起こす”仕事に嫌気がさしていた頃に読んだ『THE NEW REALITIES』(訳名「新しい現実」)という本の中で、ドラッカーが冷戦最中にソ連の崩壊を予言していたことに驚愕した。
ドラッカーは、起こりつつある「新しい現実」を凝視することで、そこに「すでに起こった未来」を見通していたのである。
さらにいえば、「新しい現実」に適応して、これまでの自分を作りかえていくことの重要性をも喝破していた。
同じ予言者は、二千五百年前の東洋にもいた。
中国春秋時代の思想家 孔子である。
“人間社会の秩序の根本思想”を言い射ている。
安冨さんは、ドラッカーと論語の相似性をそう解釈している。
それは、両者のキーコンセプトを紐解くことで見えてくるという。
ドラッカーは「Integrity of character」
論語では「仁」
ともにズバリあてはまる日本語表現がない。それが両者の相似性を覆い隠す理由でもあったようだ。
Integrity of characterを直訳すれば「人格の一貫性・統合」になる。
ドラッカー著作のほとんどを翻訳してきた上田惇生氏は、これを「真摯さ」と訳した。
「人格の一貫性・統合」と「真摯さ」では明らかに意味が異なる。
「人格の一貫性・統合」には、まず不動点としての自分があって、環境がどうなろうともぶれずに自分に立脚し続ける意志を感じる。
「真摯さ」には、まず直面する課題(仕事)があって、そこに向かって真っ直ぐに突き進む一途さを感じる。
まず自分があって、自分を守るために環境に適応するのか。
まず環境があって、環境に適応するために自分を捨てるのか。
正反対のアプローチである。
上田氏は、すべてを承知したうえで、よく考えた末に「真摯さ」という意訳を選択したと、安冨さんは推察している。
それが、高度経済成長期にあって、明確なゴールがあった日本にドラッカーの素晴らしさを理解してもらうためには最適だと信じたからではないか。
上田氏の選択は、当時にあっては正しかった。だからドラッカーは「マネジメントの発明者」になった。
では Integrity of characterという概念を通して、ドラッカーが本当に言いたかったことは何だろうか。
「まず自分があって、自分を守るために環境に適応する」ことがなぜ重要だったのか。
それは、ドラッカーの人生を知ることで見えてくる。
ドラッカー29歳の処女作『経済人の終わり』(1939年)は、ヒットラー全盛期のドイツで暮らしていた若き日のドラッカーが抱いた、ファシズムへの強烈な危機感から生まれた。
「絶望した大衆が選び取った”魔法の杖”、不可能を可能にしてくれる劇薬、それがファシズムであり、その行く先には蜃気楼しかない」
ドラッカーは強い口調で、全体主義を攻撃しつつ、絶望した大衆に提示するべき「代替思想」を必死になって模索した。
それが、Integrity of characterであった。
さらには、Integrity of characterを発露する場としての企業組織であり、組織の論理と個の情熱を統合するツールとしての「マネジメント」であった。
詳しくはこちらを。
http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2011/02/post_431.html
さて、論語である。
孔子の生きた時代も乱世であった。
孔子が理想とした東周の治世が滅んでから五百年の長きに渡って春秋・戦国時代が続くことになった。
論語のキーコンセプト「仁」は、乱世にあって、来るべき未来を見通していた孔子が紡ぎ出した社会平和への希求でもある。
私は5年ほど前から、折に触れて「論語」を読んできた。このブログでも何度も論語に言及してきた。
「論語のもつ自律的学習観」
http://www.keiomcc.jp/sekigaku-blog/2009/02/post_290.html
「『論語』で学ぶ経験学習」
http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2010/10/post_405.html
もし「論語」とは何か?と問われるならば、
「個の自律を謳いあげる書」と、私は答えることにしている。
だから、安冨さんの解説に我が意を得る思いがした。
「仁」について、安冨さんは、Integrity of characterとほぼ同じ意味だと説明した。
つまりは「人格の一貫性・統合」、もう少し意訳すれば、「柔らかい強さ」といったところか。
「柔らかい強さ」がある人間は、いま起きている新たな現実を直視し、その中で自分はどう位置づけられるのか、自分の何を守り、何を改めれば適応できるのかを見定めることができる。
Integrity of characterと「仁」が近い概念であると理解したうえで、
それを行動に落とし込んでいくために、人間は何が必要なのか、あるいは組織は何をすべきなのか。
それを孔子は「徳治(特をもって治めること)」と呼び、ドラッカーは「マネジメント」と名付けた。
「企業の目的は、マーケティングとイノベーションである」
あまりにも有名なドラッカーの名言である。
安冨先生は、ここでもドラッカーと論語を関連づけて整理してくれた。
マーケティングとは、論語でいうところの「知己」=己を知ること、
イノベーションとは、論語でいうところの「学習」である。
「己が己を知る 己が人を知る 人が己を知る」
まず自己が自己を知る。それによって自己が他人を理解することができる。そうすれば他人も自己を理解してくれる。
社会の中に位置づけられた自分を知ること、それはマーケティングそのものである。
しかし己を知ることが最も難しい。
自分がLGBTであることの気づくのに50年以上もかかったという安冨さんが言うとなおさら説得力がある。
同じように、マーケティングは実に難しい。だから経営は難しい。
「学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや」
論語の冒頭にある章句である。「学習」という言葉の語源になったと言われている。
新たな視点・考え方に出会ったら、それをもとに自分を作りかえる。
安冨さんは、この章句をそう解説してくれた。
自分を取り巻く社会の変化の目を凝らし、社会の期待と自分(自社)のあり様にズレや不一致を感じ取ったら、自分のあり方を変えることで適応する。
これもまた、ドラッカーのいうイノベーションそのものである。
しかし、ズレや不一致を認めることは難しい。ましてや自分のあり方を変えるのは難しい。ヘタをすると根無し草になって漂ってしまう。
だからこそ、Integrity of characterが重要なのだ。
不動点としての自分を失うことなく、ぶれずに自分に立脚し続ける。
そして、変革の必要性を認識したら、誰がなんと言おうと断固やり抜く強さを持つ。
イノベーションが重要で、かつ難しい理由がここにある。
Integrity of characterと「仁」
マネジメントと「徳治」
マーケティングと「知己」
イノベーションと「学習」
ここに人間社会の秩序の根本がある。皆がこれを実践することで世の中はよくなる。
今夜はそんな話であった。
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