KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2017年05月26日

揺らぐ民主主義 神保 謙先生

神保 謙 神保 謙先生と私は同い年である。同い年どころか、大学では同じゼミに所属していた。当時から神保先生はとても優秀で、学内でも有名人だった。
 私が大学に入ったのは1992年。89年にベルリンの壁が崩れ、91年にソビエト連邦が崩壊し、希望に満ちた新たな時代の幕開けのような空気が溢れていた時期だ。
 大学でもどこでも「グローバル」という言葉が多用され、それはとても輝かしい響きを持っていた。ヒト・モノ・カネが国境を超えて自由に行き来する時代が来る、それは明るい未来だ、というようなイメージを多くの人が共有していたように思う。
 25年が経過した今、国境は消えるどころか、再び重要な意味を持つ時代へと突入した。「グローバル」という言葉は、今ではネガティブな響きさえ含んで聞こえる。


 講演はこの25年間の国際社会の動向を眺めることから始まった。
 1992年、アメリカの政治学者フランシス・フクヤマは「歴史の終わり」という仮説を打ち出した。これは、民主主義と自由経済が最終的な社会形態として今後は無期限に維持されるという内容で、政治体制を破壊するほどの戦争やクーデターはもはや生じないと論じられた。
 四半世紀を経た今、「歴史の終わり」とはかなり異なった風景が世界には広がっていると神保先生はいう。先進国ではどこも少子高齢化が進んで低成長時代へと突入し、民主主義への不満が高まる中でポピュリズムが台頭している。新興国では政治体制が民主化せず、権威主義的な体制のままで経済成長を続けている。
 民主主義が揺らいでいるのである。
 神保先生の話をうかがい、二つの「中間層」がこの風景を見る際のポイントだと理解した。
 一つ目は「先進国における中間層の人々」で、彼らの過去二十年間における所得の伸びはかなり低い水準にとどまる。先進国の富裕層や新興国の中間層が大幅に所得を伸ばす一方、先進国の中間層だけが伸び悩んだ。アメリカの中間層はこの衰退の原因をグローバル化と捉え、国内の大規模公共投資に加え移民や自由貿易の制限を訴えたトランプを支持することとなった。イギリスの中間層はEU拡大による移民の増加や公的負担の増加が原因と捉え、EUからの離脱を選んだ。
 もう一つは「新興国における中間層の人々」だ。経済成長の恩恵を受け所得水準も大幅に上がった彼らは、従来の「経済発展は民主化を促進する」という考え方に沿えば、民主化・自由化を支持する層へと転換するはずだった。しかし、発展による既得権を手放したくない、民主化されては困る、国家主導の経済のままで良いという考え方から、予想した動きにはならなかった。結果として現在、権威主義的な政治体制を持つ国々が経済的に世界で台頭を始めている。
 25年を経た現在、フランシス・フクヤマの仮説は外れたと言っていいだろう。先進国、新興国の両方で、別々の意味合いからではあるが民主主義が後退している。それぞれの鍵を握るのが「中間層」という訳だ。
 ここから神保先生の話は安全保障の話題へと移り、「地政学」的観点から見た世界の環境を説明された。地政学とは、地理的な環境がその国の政治や経済に大きな影響を与えるという考え方だ。日本は、好むと好まざるとに関わらず東アジアの一員であり、現在では北朝鮮の脅威には対処せざるを得ず、ヨーロッパの一員になろうと思ってもそれは無理な話であり、地球上のこの場所に存在することをベースに外交や安全保障政策を考えざるを得ないというものである。
 この「地政学」は二十世紀の初頭に現れた考え方だが、最近になって再びクローズアップされるようになった。というのも、それこそ「グローバル」が希望に満ちた言葉として語られていた頃は、日米もヨーロッパも視座が全世界的なものになっていて、自国の周辺事情よりもまず全世界的な安全保障が語られていたからだ。ところが現在は、自国内や周辺地域の問題(難民やテロ、北朝鮮問題など)に対応せざるを得ない状況となり、その国の政治経済は地理的環境に大きく左右されることを認めざるを得なくなった。地政学の復活、あるいは「地政学の逆襲」などと呼ばれるらしい。
 ヨーロッパはヨーロッパに、日米はアジアに目を向けざるを得なくなった結果、ユーラシア大陸には広大な空白が生じた。そこを埋めるかのように台頭してきたのがロシアであり、また中国であり、軍事面だけでなく経済的にもその存在感を高めているのが今日の状況である。
 神保先生はさらにトランプ政権の外交・安全保障についての解説もされ、この100日を見る限り振れ幅がかなり大きいことを指摘された。アメリカの利益を最優先する「アメリカ・ファースト」を前面に押し出しながら、アメリカの軍事力を再建する「力による平和」を打ち出してみたり、かと思うとリベラルな姿勢を取りたいというような欲求もチラリと見え隠れしたり。いくつかの考え方が混在しながら揺れ動いているのが現在までのトランプ政権だという。特にもロシアや中国との距離感、関係性が定まらず、なかなか見定めが難しい。
 ここまで述べたこと―――世界的に民主主義が揺らいでいること、地政学的な観点、トランプ政権の政策の不安定性―――などを踏まえながら、日本の外交戦略は練られるべきというお話は、90分という短い時間の中によくぞここまで濃密な内容を詰め込んで話してくださったと関心することしきりだった。
 さて、先生のお話を聞きながら、日本国内の状況はどうだろうと私は思いをめぐらせた。今回のお話は外交や安全保障に関することだったので国内政治についての言及はなかったが、日本の民主主義は揺らいでいないのか?というようなことを私は並行して考えていた。日本では民主主義が十分に機能している、健全に発展していると言えるだろうか?
 いやいや危ういでしょ、と思わざるを得ないのだ。
 選挙の投票率は下がる一方で、政治不信は高まるばかり。さらには政治家やら役人やらに最近流行り(?)の「忖度」だとか、現政権を気持ち悪いほどに礼賛しているメディアの存在だとか、なにか嫌~な雰囲気を感じてしまうのだ。新興国で起きている「権威主義」的な傾向がなぜか日本にも起きているような…。さりとて野党は信じるに値しないし、政治の世界を見ていると、何を頼りにすればいいのやら。
 民主主義とは意思決定に時間がかかる政治体制だ。インターネットの普及やらコミュニケーション手段の多様化で多くのことがスピードアップした現在、我々は待つことに耐える力が落ちてきているのかもしれない。じっくり議論して合意形成して…というプロセスよりも、誰か早く決めてよ、まどろっこしい議論はたくさん、という風潮が増しているようにも思う。歯切れよく物事を言い切る、あるいは(乱暴にでも)決断できる強いリーダーが支持されるのも、そんな背景だろうか。
 今度は、そんな国内政治の話も聞きたいものだ。
(松田慶子)

メルマガ
登録

メルマガ
登録