KEIO MCC

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夕学レポート

2017年06月12日

坂城町の狛犬に聴く、小松美羽という「第三の目」

photo_instructor_883.jpgあれは今から二十年以上も前のことだったな。大和の国の真ん中あたり、信州は坂城町の山道で、ひとりの少女が道に迷っておった。どうするかな、と思っていたら、わしと目が合った。
見えるのか。
いまどき、見える人間がいたとはな。
そう呟きながら先を歩き、麓へ戻る道を教えてやった。
それからわしらは、山道で幾度も出会った。あいつは、後先考えずに山に分け入って、いつも道を見失いそうになっとった。そのたびわしは家へ帰れるように先導してやった。あいつはそれを不思議とも思わず、いつもついて来た。きっとただの山犬だと思っとったんだな。
でも、ある吹雪の晩、あいつは走って追いかけてきた。もちろん追いつくことはできぬ。そして、山犬ならあるはずの足跡が雪の上にないことに気付いて、あ、と言った。
気づいたな。
あいつは十五になっとった。幼子と違い、穢れや業のようなものが澱となって積もり始める年頃だ。もうわしを見ることはできんかな。そう思いながら、宙にくるりと円を描いて、別れの挨拶をして姿を消した、つもりだった。
しかし翌朝、あいつは、神社の前でわしをじっと見てきたな。台座の上から辺りを睥睨し、神域を護る狛犬のわしと、ようやく目線が合う身長になっとったんだ。ぱっちりした二つの目の間にある、見えない「第三の目」を微かに開いて、こっちを見ていた。
それが、小松美羽とかいう絵師との出会いだったな。


あいつは小さい頃から絵ばかり描いておった。しかし坂城にいる間は、わしらのことはなかなか描こうとはしなかった。ほかの人間には見えないものを描き出したのは、信州を離れ、東京の美大に通うようになってからだったな。
しかしその絵は、なかなか他の人間には受け容れられなかったようだな。ある飲み会の席で、異形の精霊たちが稠密に刻まれたその名も「四十九日」と名付けられた銅版画を見せられた評論家は、「食事の場でこんな絵を見せられて、不愉快だ」とまで宣ったそうだが。
そのキャンバスに美が見えるか、醜を見るか。いわばその絵は、見る者の心の穢れを映す鏡のようなものだったんだな。
やがてその絵の価値がわかるプロデューサーの目に留まり、コレクターに評価され、絵師としての運命がようやく回り出したのは、数年後のことだったな。
人の輪が拡がり、表現の手段が増え、多様な日本文化と触れ合うようになって、あいつの世界はどんどん広がっていった。その間もずっと、わしら狛犬をどうやって表現するか考えとった、とは言っていたが。
佐賀の有田焼に出会ったのはその頃だったか。磁器は、もともと大和にはなかったもの。それが、大陸から渡ってきた有名無名の作家や陶工によって伝えられ、受け継がれ、伝統となって現在に至ったものだ。外国からの文物の流れ、工芸や技術の流れ、精神の流れ。それを受け止め、吸収し、融合しながら取り込んでいく、これがほんとうの大和力だ、とあいつは気づいたようだったな。
有田焼が、中東のドバイに進出することになり、シーシャという名の水煙草を初めて磁器で作った時、そのプロジェクトに手を挙げて、あいつは、物の怪のような神獣のようなものを描いたな。でもどういうわけか、わしら狛犬のことは、まだ描けなかったが。
そんな折、あいつのもとに、世界的なコンテストで何度も賞を取っているガーデニストが現れた。そして狛犬を作ってほしいと言った。権威と伝統のある英国・チェルシーのフラワーショー、そこに出展する庭に狛犬を配したいのだ、と。請われるがまま、あいつは、とうとう有田焼で狛犬を作ったな。青と赤、阿吽で対になった小さな狛犬像。言わばわしらの子だ。
われら狛犬の始原はギリシャ神話の時代まで遡る。守護獣のケルベルスが、訛ってグリュプスに、エジプトではスフィンクスとなった。その流れがインドに向かい、ヒンドゥーの文化を経て山を越えるとき、キリスト教文化のユニコーンと合流して角が生えた。今の中国辺りまで来ると護るべき対象が聖域から国へと変わり、高句麗を経て高麗犬、転じて狛犬となった。歴史の流れの中で大陸の東の果てに辿り着いたわしら。そのわしらの子は、こうして、有田焼の姿で大陸の西の果てに向かうことになったんだな。
いろんな宗教観が流れ込み、混ざり合い、和/環/輪の中で共生している、それが大和であり日本だ。そのことをあいつは、英国への道中でこの子らにさんざん言い聞かせていたが、果たしてどこまで伝わっていたかは覚束なかった。でもとにかく、あの子らがすっくと立った庭はコンテストで金賞に輝き、あの子ら自身も大英博物館に永久収蔵品として納められたよ。あの子らをコレクションすることを熱望した彼の地のキュレーターが言っとった。「片言の英語で、尻尾を振りながら寄ってきた」、と。生みの親の言葉を、あの子らはよくわかっとったんだな。
そう、わしら狛犬には、いろんな宗教観が混ざりこんでいる。そのキメラみたいな有り様が、 大和の「和」の力を体現している。イギリスにも、グリフォンという名の狛犬の親戚がいるとキュレーターも言ってたな。DNAのレベルで探りあった時に、お互いが勝手につながった瞬間を感じた、とあいつは言ったが、まあそれをつなげたのはあいつ自身だからな。
あいつは、もっと日本の中にある世界の片鱗を知りたい、と言ったな。世界の各地で見られる工芸品の中に、文化や宗教を越えた共通の何かを見つけ出しては、世界が、歴史が、命が、一つの大きな輪/環でつながっているのを感じ取っておった。そして自らが描く狛犬が、大陸のあちらとこちらをつなぐ存在としてそれぞれの文化を伝え、あの世とこの世をつなぐ存在として人間の目を開く、そこに秘められた「大和力」を嚙みしめていたな。
肉体の年齢は32歳でも、魂は何万年も生きておる。前世の前世のそのまた前世、あいつはエジプトの絵師だった。その前世の前世のそのまた前世では、大和の和に憧れる中国の陶工だった。魂のレベルで見れば、日本人なんていうちっぽけな枠にはめられる存在じゃない。アートという翼ですべてを越えていく、絵筆を持った魂だな。
大勢の観客の目の前に立ち即興で大作を仕上げるライブペイント。観客に絵を見られ、自分を見られながら描く。でもその実は、絵のほうが観客を見ているんだな。そしてその観客の精気を背中で吸い集めながら、あいつは絵に立ち向かっていく。絵師が神獣を描く、というより、神獣の方が絵師をその場に描き出しとるといったほうがよい。
去年、ニューヨークでのライブペイントで生まれた狛犬は、その勢いのままにワールド・トレード・センター4号棟の67階に今も飾られておる。言葉もろくに通じないままいきなり絵を見せられたタワーの社長は、この狛犬は来るべくして来た、そう言って自ら絵を抱えて階上に向ったそうだな。言葉は通じなくても心が通じあう。清らかな祈りで満たされているWTC、そこで祈りをこめて描くことの大切さ。個別の宗教ではなく、人の中に共通して流れている何か。それに対する畏怖を、あの時、あいつは知ったな。
今から500年後には、おまえの言うように、科学の力で誰もが「第三の目」を開くのかも知れん。しかしそれまでは、なまじ「第三の目」を持ったおまえのような存在には生きにくい時代が続くだろう。他人には見えないものが自分にだけ見える、その孤独に耐えるには、魂のつながりを手繰り寄せながら繰り返し繰り返し未来の記憶に辿り着くしかないからな。
日本の中から見ていたら大和力は単なる「和」に過ぎぬ。けれど宇宙から地球を俯瞰した時に、国境のないひとつの丸/円として見た時に、ぎゅっと詰まって感じるものがある。それが、地球を包むほんとうの大和力だ。
阿は吸う、悪いものを結界で粉砕する。吽は噤む、悪を逃がさず絡め取る。この世とあの世の狭間に立って、流れる色と線で魂を洗い流せ。いまだ大事なものを見ることができない人間たちの「第三の目」として、真に自由に美を求めよ。
そして、人よ。絵筆を持ったこの狛犬の導きに、しばし、身を委ねよ。さすれば道は、目は、いつか開かれん。
(聴き手・白澤健志)

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