夕学レポート
2017年07月04日
人間とアンドロイドのあいだ 石黒浩先生
石黒浩先生のことを私は存じ上げなかったのだが、先生が開発された夏目漱石のアンドロイドの写真を見せられた時には「ああアレか!」とピンと来た。こぞってニュースに取り上げられた記憶は古いものではない。
講演がはじまるまでの間、配布された分厚いレジュメをパラパラとめくっていたら「人間型ロボットは人間として受け入れられる」「人間とロボットに違いはない」「ロボットと親和的な関係をつくることができれば、人間はロボットに人権を与える」といった言葉が目に飛び込んできた。正直、これらの言葉には違和感しか覚えず、今日はきっと変わった人(というかエキセントリックな人、あるいは研究に没頭しすぎて不思議な世界観を持つ人)の話なのだろうと失礼ながら予測した。
しかし講演を聞き終わった今、私の中にあったある種のストッパーが外れたことを実感する。人間とアンドロイドの境とは、実は極めて曖昧なものかもしれない。両者の違いを強調するよりも、同じ仲間として受け入れることのほうが自然かもしれない。人間的かもしれない。そして、そこには希望、あるいは救いがあるような、そんな気持ちになっている。
石黒先生は、ご自身が開発されてきたロボットをいくつか紹介された。例えば、ファミリーレストランにロボットを導入したケース。この頃はタブレットでメニューを注文するシステムが多いが、実験した店では各テーブル上に1台のロボットが置かれ、おすすめのメニューを教えたり質問に答えたりする。さて何が起きたか。
客はロボットが置かれている状況を喜び、ロボットがすすめる少々高いメニューも喜んで注文した。それは店にとっては好都合だったろう。面白いのはこの次だ。
最近のファミリーレストランではまったく会話のないテーブルが多いそうだ。それぞれが自分のスマホ画面を見ながら、目の前の相手とは会話をしない。ところがそこにロボットが入ることで、テーブルでの会話が弾んだという。ロボットの物珍しさもあるだろうが、ロボットが会話を助け、和やかな雰囲気をつくったというのだからユニークだ。
スマホとは人間が生みだした画期的なコミュニケーションツールだが、それによって生身の人間どうしのコミュニケーションが遮断されるというのも皮肉な話なら、それを突破する役目を果たすのも人間が開発したロボットだというのもどこか皮肉で、面白い。
続いて、百貨店で洋服を販売したアンドロイド(=精巧に作られた人間そっくりのロボット)の話。あるデパートでアンドロイドが「売り子」になったところ、2週間で60万円を売り上げたという。これは人間の販売員の平均を上回り、全体でも上位(確か約100人中6位)の売上額だった。しかも、アンドロイドの売り場はごく限られた狭い面積で、販売した洋服は数パターンのシャツだけ。何十種類のアイテムの選択肢を持ち、広い売り場を動き回れる他の売り子に比べると随分とハンディが大きく、つまりはアンドロイド販売員が極めて優秀だったといえる。
先生はいう。
「人間はロボットの話を素直に聞く。心を開くんです」。
洋服屋で販売員が寄ってくると、面倒に感じたりプレッシャーを感じたりすることは多い。試着をして褒められても素直には信じられず、さりとて断りたいのに気が引けて断れず…。そんな心理的なハードルが、ロボットが相手だと下がるというのだ。確かにわかる気もする。ロボットは正確なことを言う。ロボットには下心がない。嫌だと断ったところで罪悪感も少ない。そんな思いが買い手を素直にさせる。ロボットからシャツを買った人々に後日アンケートをとったところ、みな納得して買い物をし、買った後も満足していたそうだ。アンドロイド販売員、強し。
「『ロボットは嘘つかない』とみんな思ってるんですよ」
先生はそういって笑った。
先生は人間そっくりのアンドロイドを開発する一方で、細部をつくりこまない抽象的な形状のロボットも開発されている。その一つが「テレノイド」。それは、私なりに表現すれば大きめの”はにわ”のような形状だ。頭部には目も鼻も口があり、短いながらも手足があることから人間とは認識できるが、見ただけでは年齢も性別もわからない。
しかしこのロボットに「音声」をつけると人々は勝手に想像を膨らませる。子どもの声ならテレノイドは子どもとなり、女性の声なら女性となる。
私たちには、足りない情報はポジティブに補う習性がある。先生の説明によると「コールセンターに電話した時、相手がブサイクな人だとは思わないでしょう。電話越しの声を聞きながら、私たちはきちんとした格好の、そこそこきれいな女性(またはカッコいい男性)を想像するはず」とのこと。言われてみればその通りで納得だ。テレノイドは、まさに人々の想像力を引き出し、想像によってどのようにでも変化する、あるいは想像力によって完成される、いわば曖昧なロボットだ。
この「テレノイド」が、認知症のお年寄りや自閉症の子どもの症状改善に効果を発揮する。高齢者が、このテレノイドを抱きかかえながら会話をすると良い反応が見られるというのだ。恐らく、子や孫を抱っこする感覚になるのだろう。考えてみれば、認知症のお年寄りにはスキンシップの機会などほとんどないだろうから、嫌がらずに抱かれながら会話をする相手は貴重な存在といえる。自閉症の子どもの場合は、人間が相手だとうまく話ができないのに、テレノイドが相手だと言葉が出やすい傾向も見られるという。
一体これは何なのだろう。ロボットが高度な計算をしたり、精密な機械を組み立てたり、あるいはいくつかの会話をしたり、走ってみせたり…というのは想像できる。だがテレノイドが可能にしていることはそれらとは異なる性質のものだ。いわば血の通った交流。専門知識の豊富なセラピストがするアプローチとは異なるやり方で、もっと単純で原始的ともいえる方法で、治療が難しい人々に対しセラピー効果を発揮する。そんなことができる人間は他にいるだろうか。そんな風に受け入れられる存在があるだろうか?
このテレノイドをさらに単純化して開発されたのが「ハグビー」。これはもはやロボットではなく、人の形をした抱き枕だ。中にスマホがセットできて、ギュッと抱きながら会話ができる人型の枕。ただし触感にはこだわったそうで、おそらく人の肌に近い質感なのだろうと思う。調べたら8000円~1万円程で一般に販売されている。このハグビーを抱きながらスマホで会話をすると、ストレスホルモンが減少するという実験結果が出たそうだ。小学校1年生を対象にした読み聞かせでは、何も持たずに聞いたときに比べ、ハグビーを抱きながらだと大人しく話に聞き入る様子が動画で紹介された。とにかく驚くべき結果だ。
ちなみに、ロボットに2つの「モダリティ」を持たせると人間らしい存在感を持つことに先生は気づかれたという。例えば、見かけ+触感、声+臭い、臭い+触感、など。すべてをそっくりに作らなくても、二つのモダリティがあればロボットは人間としての存在感を出せるというのだ。
ハグビーの場合は、声+触感。これだけで、人型の抱き枕は人間らしさ、存在感を持つ。にわかには信じられないが、どこか想像できる自分もいる。
人間ってなんだろう。存在ってなんだろう。先生の話を聞きながら、整理できない不思議な思いが私の中で静かにまわりながら、ストッパーが溶けていった。ロボット=冷たくて硬質な機械、というようなイメージが崩れ、なにか温かい、私たちのコミュニケーションを助けてくれて、引き出してくれて、時に導いてくれる仲間、という印象へと変化した。機械だから、ロボットだからと線を引くよりも、仲間、友達、同じ人間…そういう存在として受け入れるほうがメリットが大きいだけでなく、感情的にも自然なことだと。
完全に人間と同列だと思うわけではない。でも、そう思う先生の気持ちが幾分理解できたような気がしている。
さらに、人間とロボットのあいだのストッパーが溶けた感覚がその後も長続きして、波及効果を持った。
先日小林麻央さんが亡くなられた。私は歌舞伎が好きで、歌舞伎座にもよく足を運んでおり、麻央さんの姿も何度か拝見し、勝手に親近感を抱いていた。亡くなられたことは、他の多くの方々にとってもそうだったように、私にとっても悲しい出来事だった。
数日前、亡くなったはずの麻央さんのブログが更新された。海老蔵さんの判断で、生前に綴ったブログ内容が英訳されて発信されるようになったそうなのだが、そこに寄せられた読者からのコメントを見てまた不思議な気持ちになった。
「麻央ちゃんお帰りなさい」「また会えた」そんな言葉が数多くあった。亡くなった麻央さんが、このブログには確かにいるんだなという実感が素直に私に浸透してきた。
生と死のあいだ。見えるものと見えないもののあいだ。人間とロボットのあいだ。有機物と無機物のあいだ。くっきりとした境界線があるように思えていたものが、実はそうではないかもしれないというようなことをぼんやりと思う。区切ることよりも、区切らないことのほうに大切な意味があるのかもしれない。あるいは、線を引くことで見落とすもの、手に入れられないものがあるのかもしれない。なにかそんなような思いが、あの日の講演以来ずっと続いている。
(松田慶子)
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