夕学レポート
2017年11月06日
自分を育て、人を育てる 金原亭馬生さん、荻野アンナさん
今回は、私にとって初めての対談形式による講演。しかも講演後に落語が一席設けられるだなんて、なんともスペシャルな回である。
本講演の開催日は10月31日。仮装してあてもなく群れている渋谷の若者たちに自慢してやりたい。
開演時間になり、壇上にあらわれたのは落語家の金原亭馬生さん、そして作家であり大学教授の荻野アンナさん。全く異色の取り合わせに見えるが、おふたりの関係はなんと「師匠と弟子」だそうだ。
「なぜフランス文学者が落語を?」と不思議に思ったが、驚いたことにフランス文学と落語には共通点が多い。
わたしは不勉強で知らなかったが、かのモーパッサンの小説も落語になっている。三遊亭円朝作『名人長二』の原作は、モーパッサンの『親殺し』だとか。原作の登場人物「ジョルジェ」が転じて「長二」になったそうで、ちょっと苦しいが、頑張ればなんとか転じられる(笑)
それにしても、一冊の本を輸入するだけでも大変な時代に、本国で発売後すぐに翻訳し、さらに落語として成立させるには大変な苦労があったことだろう。
こういうエピソードを聞くと、先人たちの熱い思いを背景に、長い年月をかけて磨かれてきた芸術には積極的に触れていかないともったいないなあと、強く思わされる。
さて、本講演のタイトルは『落語家の人育て』。
部下を育てる立場の人が多いのか、会場はいつも以上にスーツ姿の男性が多いように見受けられた。しかし、馬生師匠の飄々とした佇まいと、アンナさんのチャーミングな合いの手のおかげで、壇上は”ビジネスマン向けの講演会”というより”楽しいトークショー”の雰囲気。
それにしても、師匠のお話は「さすが噺家さん」としか言いようがない。ついつい引き込まれてしまう独特のテンポ感。もちろん随所に笑いも取りまぜつつ、なんとも魅力的で知性あふれる語り口だった。
委ねることの難しさと覚悟
落語の世界は、入門するとまず4、5年の下積みを経験しなくてはいけない。下積み時代、寄席で働くときには門下は関係ないので、よその師匠から「バカヤロー!」と怒鳴られることもある。叱られ慣れていない現代人にとって、これははなかなか辛い修行で、中には小言を言われている途中でぽろぽろ泣いてしまうお弟子さんもいるとか。
師匠ご自身も、6人のお弟子さんそれぞれに叱り方を変えているそうだ。時代に合わせて柔軟に対応していかないことには、次の世代が育たないのだろう。ご苦労が偲ばれる。
……と、こう書くとまるで先代の師匠は声を荒げて指導していたように思われそうだが、実際はそんなことはなく、馬生師匠いわく「『なんでもいいんだよ、でもどうでもいいわけじゃないんだよ』という教えだった」そうだ。
これは一見ソフトで優しいようだが、実はなかなか難易度の高い教えだ。
経験の少ない目下の人に「自分で考え、判断しなさい」と委ねた瞬間、委ねた側と委ねられた側の双方に責任が生まれる。指導する側としては、いっそ頭ごなしに「ああしろ、こうしろ」と叱る方が楽かもしれない。
師匠は、「今の落語界には兄弟子がおとうと弟子の面倒を見る風潮が消えつつある」と話した。「面倒を見る」というのは、仕事を教えるだけじゃない。おとうと弟子が失敗したときに、兄弟子は代わりに叱責を受けるところまでを含む。これはそのまま企業の上司と部下にもあてはめることができるだろう。
余談だが、若かりし馬生師匠が悩んでいたときに先代の師匠が掛けてくれたという「たくあんポリポリ、お茶漬けサラサラだよ」という一言にまつわるくだりは、なんとも味わい深いエピソードとして心に残った。
私も、誰かに相談を持ちかけられたときにこんな風に返せる人になりたいものだ。
『百年目』に込められたメッセージ
対談がひと段落したところで、いよいよお楽しみの落語が始まった。
演目は『百年目』。落語のストーリーを解説するのは野暮だし、そんな力量も無いので控えさせてもらうが、このお話は今回のテーマ”人育て”に深くかかわる内容だった。
物語の主役は、いつも口うるさく奉公人を叱っている堅物の番頭さん。あるとき、ひょんなことから番頭さんの秘密が大旦那にバレてしまう。「もう少し頑張れば自分の店を持たせてもらえただろうに、もうオシマイだ」と頭を抱える番頭さんだが、いざ大旦那に呼ばれてみると叱責されることはなくむしろ誉められて……という流れだ。
馬生師匠の見事な演技を堪能し、オチではクスリと笑わされ、たっぷり楽しませていただいた。
ところで、講演も終盤になったこのあたりでようやく気づいたのだが、馬生師匠はトーク中にあえてピンポイントに”正解”を語らず、その後の落語を通して聴く人それぞれが自分なりの答えを導きだせるよう配慮されたのではないだろうか。たしかに、人を育てるのに確実な方法なんてあるわけがない。それをふまえた上での、なんとも見事な構成であった。
最後に、質疑応答で印象的だったお話を紹介したい。
「40の手習い」という言葉があるが、師匠はこれを「人間、年を取ると傲慢になる。しかし年を取ってから新しいことを始めると、自分よりずっとうまい人の存在を知り謙虚な気持ちになる。40の手習いは、人としての本質が成長するのに大切な行為と捉えている」とおっしゃっていた。
考えてみれば、アンナさんが金原亭の門を叩いたのも、まさに「40の手習い」の頃。
高名になってキャリアを積んで、それでも謙虚さを失わずにさらなる向上を目指す。そうやって自分自身を成長させ続けることも、”人育て”における大切な要素なのかもしれない。
(千貫りこ)
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