2015年02月06日
阿刀田高に『俺には書けない』と言わせた作品たち[第2回]
ほり屋飯盛
阿刀田高に『俺には書けない』と言わせた作品たち
「女って表面上は仲良くするけど、裏では文句言っていて怖いよね」と言われるが、男同士のほうが充分怖いと思う。特に夏目漱石死後の門下生たちの争いは怖い。
久米正雄の『破船』に詳しいが、久米と夏目家の長女筆子の結婚を巡る男同士のバトルがこそこそ、ねちねちと繰り広げられている。『路傍の石』を書いた山本有三(作中は仮名)なんて、久米がいかに女にだらしないかを書いた怪文書を漱石の妻に送り付けたりして、道徳的な小説を書く作家も実生活ではおそろしいものだと感じた。
夏目家周辺の男たちは怖いということが私の記憶に残っていたが、第二回の短編小説講座は夏目漱石と芥川龍之介だ。
冒頭の阿刀田先生のお話によると、今回、夏目漱石の『夢十夜』と芥川龍之介の『藪の中』を選んだ理由は、「俺には書けない小説だと思ったから」だそうだ。19年間選考委員を務めてきた直木賞の選考基準でも、最終段階では、「自分にはこういう作品を書けるかどうか」を重視して選ばれてきたとのこと。
特に、『夢十夜』は一夜一夜に多彩なテーマを持ってきているので、一篇の長編小説を書くより、はるかに手腕のいることなのです、とまさに作家の視点で選ばれた小説だ。
先生は、漱石は「生まれることを期待されずに生まれてきた子ども」だったと言った。イギリスへ留学したが、下宿のおばちゃんにさえも英語が通じずに落ち込み、さらに成果のわかりにくい英文学を学び、ノイローゼになった。
私も高校生時代に留学した時、6歳の子供にさえも英語が通じなくて「今まで勉強してきたのは何だったのだ」と、大して勉強もしていなかったのに落ち込んだので、漱石のレベルだったら精神を病むと思う。
一方の芥川龍之介は幼い頃に母親が精神を病み、養子として育てられた。母の持っている狂気が自分にもあるのではないかと、ずっと悩んでいたそうだ。
『今昔物語』などの説話に、現代のモチーフを入れ込んだ作品で流行作家になった芥川は、阿刀田先生によると、「小説がどのようなものであるか」を広く、深く知っていた”Bookish”な作家だったのだそう。そして、読みやすく面白い短編小説を書く人だった。
しかし、すぐに売れっ子作家になってしまったので、人生経験が乏しく、生身の人間をちゃんと書けていないのだという。
夏目漱石と芥川龍之介の簡単な紹介の後で、小説の内容に入った。
まずは漱石の『夢十夜』から。「こんな夢を見た」という書き出しで始まっていて、第一夜から第十夜まで夢の内容を小説にしている。星新一の「ショートショート」の世界と同じで、短編小説の中でも、より短い小説が書かれている。
私はこの作品を初めて読んだ時、全く意味がわからなかったが、先生によると一夜一夜モチーフは違うものの、全体的には「生への不安や満たされなかった期待」が書かれているという。つまり「人間の生命に対して別れなければならない不条理=死」を詩的に書いているそうだ。論理の追及や結論はないが、ストーリーがしっかりしていて読みやすい珍しい作品だとのこと。
そう思って読み返してみると、一夜一夜書かれていることの違いがはっきりしてきた。幻想的な女や、父母のことが書かれているので、これも漱石の不幸な出生に関係あるのかななどと考えた。
参加者から「これは漱石が本当に見た夢ですか?」という質問が投げかけられた。しかしさすがに「そんなわけはない」。いくら文豪でも、そんな明確なストーリーのある夢は見ないとのこと。
私も以前、夢の中で宇宙人と交信する横尾忠則さんに憧れて、夢日記をつけたことがあるのでわかるが、夢というのはストーリーがない。当時の夢日記を読み返してみると、「佐々木蔵ノ介に『一緒に川や沼の調査をしてくれたら結婚してあげる』と言われた」とか、「岩倉具視と一緒におにぎりを食べた。待ち合わせまで時間があったから、一人でラブホテルに入って時間を潰した」など、意味不明なことしか書いていない。
阿刀田先生は、「小説をまるで見た夢のように書く」という点が「絶対自分には書けない」と思ったそうだ。
参加者から「第三夜の話はよく聞いたことがある」という感想が出ると、みんな大きく頷いていた。ストーリーはこうだ。六つになる自分の子供を負ぶっていると、どんどん重くなってきて「おまえが俺を殺したのは今からちょうど百年前だね」と子供が言うのだ。
他にも第六夜の、運慶が仁王を刻んでいるのを見物に行く話が読みやすいという感想が多く出て、私もこれが一番読みやすかった。先生によると「第六夜はストーリーがしっかりしている」のだそうで、作家に分析してもらうと、自分がなぜわかりやすかったのかが、理解できた。第十夜の豚に舐められるところが面白いと言う人もいて、どの夜が好きかで性格がわかるかもと、皆の感想を聞いていて楽しくなってきた。
『夢十夜』は幻想的な話や豚で笑いあえるのに対し、芥川の『藪の中』では個々真剣な感想が述べられた。ストーリーは、藪の中で男の死体が見つかり、その目撃者や妻、犯人と思われる男が尋問に答えている。しかし、皆証言が違う。
阿刀田先生曰く、殺人事件というのは暗くて重いテーマになる。
さらに、妻が夫の目の前で、犯人に手込めにされたかも?だけど真相は藪の中、という状況も話の中に含まれていて悲惨だ。
『藪の中』は参加者の読み方も真二つに割れて、証言から誰が言っていることが本当かにスポットを当てて読む人と、夫を守るために犯人に身を任せる女はどうなのかという人に分かれた。
「全員が嘘をついているのではなくて、全員が記憶を修正しているのではないか?」という意見も出て、乳母から何度も同じ話を聞かされたがために、実際は起きていないことを起きたと思い込んでしまった心理学者ピアジェの話を思い出した。
夫の目の前で犯されている妻なんて、よく考えてみるとおそろしい話で、記憶を塗り替えたくなるのもわかる。
改めて読んでみると、じわじわとこの話の深さが伝わってきた。
講座も二回目になると、その人の読み方に癖がでていることに気づく。分析する人や、どんな話でも自分に置き換える人がいる。参加者同士の感想を聞くことは、知識だけでなく感性の勉強にもなる。
阿刀田先生の話では、夫が見ている前で妻を犯したという話は、女性がそういう局面になった時どうするかに人間の真実が現れるという。
短編小説家自らの視点によると「ショートショート」に出てくる登場人物はパターン化されやすいそうだ。泥棒は泥棒のビヘイビアだし、金持ちは金持ちのビヘイビアをしていて、生身の人間を書くことはない。だから短い小説の中に、色々な要素が持ち込める。
それを聞いた後に読み返してみると、芥川はこの妻の行動も生身の人間ではなく、パターンで書いている気がしてきた。妻本人、犯人、夫(巫女の口を借りて証言)が当時の様子を語るから、「こういう時人間はどうするか?犯人は?夫は?そして、妻がとった驚きの行動!!!」という3パターンが読めるのだ。なかなか面白いではないか。
繰り返し読めるのも短編小説の良いところで、他人の意見を聞いた後に読み返すと、今までとは全く違った読み方が出来る。
この作品を阿刀田先生が「俺には書けない」と思った理由は、『今昔物語』の中でも現代にアレンジが効く説話は、全部芥川が使い果たしてしまったからだそうだ。
すべて食い潰してしまい、作品が書けなくなってしまったので、芥川は自殺してしまったとも言える。
「なぜ作家はそこまでして物語を書くのだろうか?」と言う質問が出た。阿刀田先生は「『書くなら今でしょ』があるから」と答えて笑いを誘っていたが、かなり本気なようだ。
「〆切と、『書くなら今でしょ』があるから書ける。〆切がなければ一生書かない」そうだ。短編小説を味わうだけでなく、小説家の意見を聞ける貴重な時間で、それを楽しみに参加している人もいる。
次回は玉川上水で女と心中した太宰治の『きりぎりす』だ。参加者の中には太宰が嫌いと、すでに公言している人もいる。
しかし、先生曰く「小説なんて自分の好きなように読めば良い」とのこと。嫌いなら嫌いで、それで良いとのことだ。私は大好きな作家なので、今から楽しみにしている。
(第3回レポートへ続く)
講座詳細: 『阿刀田高さんと楽しむ【短編小説と知的創造】』 講師:阿刀田高
ほり屋飯盛
1980年生まれ。小田嶋隆先生曰く底意地の悪い文章を書く人。文学好き。古典好き。たびたび登場する10歳下のT君に夢中。「夕学リフレクション」のレビューも執筆している。
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