夕学レポート
2018年11月08日
人工生命研究からみる「わかり方」の未来 池上高志先生
ルンバはなぜ生命にならないのか?
ルンバは自身でゴミやほこりを探知し、自動で掃除をしてくれる。だが、あくまでルンバは掃除機であり、私たちはそこに生命が宿っているとは考えていない。なぜルンバが生命にならないのかについて、池上高志先生は以下4つの仮説をあげる。
- コンピューターの計算速度が遅い(CPUの問題)
- パラメーターが正しくない
- モデルが簡単すぎる
- まだ発見されていない理論がある
池上先生は第4の新しい原理の発見のために人工生命(Artificial Life)の研究をしているという。
2008年前後は特殊な年であり、それ以降大きく科学が変わった。数学上では22手だと思われていたルービックキューブの「神の数字」が、グーグルの社員によって20手であると論文や記事ではなくブログで発表されたのも、ビットコインやディープラーニングの登場も2008年前後である。この時から科学は線形で表されるものから、非線形へと変化した。
人間は非線形なデータをそのまま理解できない。その散在しているデータに近似線を引き、方程式にして物事を理解する。昨日も不幸で今日も不幸だったら明日もきっと不幸だと考えるのが人間であり、過去、現在、未来と今日は昨日の続きと線形に物事を考える。だが、実際は不幸が続いても、明日は幸せになるかもしれないし、幸せが続いても不幸になることだってある。世界は複雑だ。
このような線形でしか理解できない人類が科学においてボトルネックになっていると池上先生は言う。例えば、超巨大なデータがあるとして、コンピューターはデータをデータのまま理解できるが、人間が理解するためにはそれを関数や、論文にしなければならない。ここで人間の理解を超えたものは関数や論文にアウトプットすることができない。コンピューターが理解していても、人間の理解を超えたものは人間には理解されないので、人間を介することによって科学の発展が妨げられてしまう(human is bottleneck)。自分でもわかりにくいので、池上先生があげた例を拝借すると、博士論文の審査の際に、審査する教授の理解できるスポットに入れば良い研究とされ、入らなければ駄目な研究にされてしまう。そんな振り分けイメージである。
人間が科学進化のボトルネックになるのなら、人間はもう必要ないのであろうか。人間が研究開発したものに、居ると邪魔だと言われるのは、思春期の子どもと親の関係みたいで、なんだかもの悲しい。深刻な状況である。だが、池上先生は可能性を示す。人工生命が人間や環境と協力して完成する「オープンアルゴリズム」だ。今年7月に『Scary Beauty』 というアンドロイドオペラの初演が行われた。youtubeにアップされているので、ぜひご覧頂きたいのだが、不思議な夢のような世界である。顔と手だけのなんとも言えないロボットが指揮者になって、それに合わせてオーケストラが演奏しているのだ。このロボット(名前はオルタ2)には譜面がインプットされており、音の強弱やリズムは自発的にオルタ2が指揮している。表情も豊かで、自分で歌いながらうっとりした表情や急に目を見開いたりする。アシモとかアイボが出てきた時よりはるかに衝撃的であり、この動画を3回も繰り返し観てしまった。ここでの池上先生のメッセージは、ロボットにアルゴリズムを入れるだけでは未完成で、このようにオーケストラと協力することによって、演奏が生まれてはじめて完成するということだ。
また、オランダの彫刻家で物理学者のテオ・ヤンセンは風力で動く機械「ストランドビースト」を制作しているが、これもまた単体では動かないので巨大なオブジェみたいな感じでしかないのだが、風と協力してはじめて生命が宿った生き物のように動く。
前半では、人間は物事を線形でしか考えられないから、科学の発展が妨げられる(humanis bottleneck)というお話であった。人間にとって今日は昨日の延長で、明日は今日の延長である。だが、世界は線形ではなく、非線形である。例えば、経済学者は過去の膨大なデータから未来を予測しようとするが、明日のことなんて誰にもわからないし、普遍的なものだってあるんだかないんだかは誰にもわからない。しかし、人間にはこの世界を非線形にそのまま理解することができない。新しい理論がコンピューターはわかっているかもしれないが、人間の理解を超えているのかもしれない。もはやコンピューターだけで完結するなら、理論もいらないのかもしれないが。
前半は悲観的なお話であったが、後半では、人工生命が人間や環境と協力することではじめて完成するオープンアルゴリズムこそが、これからの「わかる」または「わかり方」ということだと池上先生は仰った。それは、人工生命を頭でわかろうとして邪魔しないであげて、視覚でわかればいいということなのだろうか。演奏のように協力することがこれからの「わかる」ということなのだろうか。それすらもわかろうとはしてはいけないのだろうか。線形でしか理解できない人間以前に、先生の話が理解できなくて苦しい。
ほり屋飯盛
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