夕学レポート
2019年07月19日
信長がわかれば日本史がわかる 安部龍太郎さん
日本史の三大謎は何か、と問われた時、「邪馬台国と卑弥呼」「坂本龍馬の暗殺」と並んで挙げられるのが「本能寺の変」であろう。
信長が光秀に討たれた理由については諸説があり、いまだに多くの謎を秘めている。
デビューから30年余り、戦国時代を舞台とする歴史小説を数多く著してきた安部龍太郎氏にとっても、信長は最大の謎である。
信長がわかれば日本史がわかる。
安部氏はそう言う。私なりに注釈させていただければ、信長がわかれば、一般的な歴史理解では捉えられない、大きな視野で戦国時代を捉えられる。そう考えているのかもしれない。
信長、ひいては戦国時代を考えるうえで、一般的な歴史理解では不十分な点として安部氏が指摘するところは下記の2点である。
1.時代の決定要因として外交・貿易問題がきわめて大きかった
2.戦国は、高度経済成長、重商主義の時代であった
まずは、1の外交・貿易問題について。
戦国の合戦を語るうえで鉄砲隊の活躍は欠かせない。鉄砲伝来からまもなくして火縄銃の国産化がはじまり、近江の国友、紀州の根来、和泉の堺など、鉄砲の主要生産地が栄えていた。しかし、鉄砲の主要資材の多くは日本にはなかったという。
砲身の内側に使う軟鋼。引き金のカラクリに不可欠な真ちゅう。火薬の硝石。鉄砲玉の原料となる鉛。いずれも輸入品か、国内ではわずかしか産出できない材料であった。すべて南蛮貿易によって外国から輸入する必要があった。
そこには、イエズス会の介在、キリシタン大名の躍進、堺の豪商の活躍があった。長篠の戦いでは90万発、10トンの鉛が、信長の鉄砲隊から武田軍に放たれたという。戦国最強と言われた武田騎馬軍団は、外国貿易の賜物である鉄砲によって敗れ去った。
続いて、2の経済的側面について。
戦国大名は領土の奪い合いをしていた、というイメージがあるが、彼らが覇権を争ったのは領土ではなく、流通拠点であったという。海運・河川舟運、陸運、港湾を支配することで莫大な関税(関銭、津料)を手にすることができた。この利権を巡る戦いが戦国時代の本質だと、安部氏は言う。
流通を抑えることで得た富は、空前のバブル経済を生んだ。安土城、聚楽第、大坂城などの巨城が築かれ、各大名による築城ラッシュが起きた。巨城を飾る襖絵、屏風絵には絢爛豪華な絵画が描かれ、狩野永徳、長谷川等伯等に代表される安土桃山文化が花開いた。
信長は、それらの変化と重要性にいち早く気づき、行動した人物であった。安部氏によれば、織田家は父信秀の代から尾張津島と熱田を抑え、伊勢湾の海運を支配していた。商業型の大名であったという。
信長は、やがて安土を拠点とし、長浜に秀吉、坂本に光秀を置いて、琵琶湖の水運を支配した。伊勢湾、東海道、若狭道、淀川水系をつなぐハブでもある琵琶湖を抑えることで、日本海、東海道、伊勢湾、大坂の一円支配が可能になった。
90万発、10トンの鉛は、こうした財力が支えたいうことだ。
信長の天下布武の目的は、律令制復活による中央集権体制づくりではなかったかと言われているようだ。自らは太上天皇(上皇)になって国を動かそうという計画である。
次期天皇である誠仁親王の子五の宮を猶子(養子)に迎え入れ、太上天皇となる道筋を着々と整えていた。
しかし、信長の野望を阻む内と外の敵がいた。
ひとつは、重臣達の屈折した思いである。
秀吉、光秀、丹羽長秀などの古参は、信長の下で懸命に働いていたが、やがては九州などの地に追いやられ、明国出兵の先兵として使い捨てにされるのではないか、という猜疑の念を抱いても不思議ではなかった。
もうひとつは京都の朝廷・足利幕府勢力の反発である。
その代表が五摂家筆頭近衛家の当主近衛前久であり、備後の鞆の浦に逼塞していた足利義昭である。二人はいとこ同士であり、かつては信長と手を握っていたが、やがて信長の野望を許せなくなったという点でも共通点がある。
いまひとつは外交問題である。
1580年、本能寺の変の二年前にスペインによるポルトガル併合が行われた。南蛮貿易はイエズス会の仲立ちのもとポルトガルとの交易が主であったので、わが国は南蛮貿易体制の再構築を迫られることになった。
大航海時代に世界の強国となったスペインは、明国征服の意図を隠さなかった。イエズス会を通じて、信長に対して明国出兵を迫った。日本を先兵として使おうという算段である。
信長は、この要求を拒否。外交関係は緊張フェーズに突入していた。間に入ったイエズス会の当惑、影響を受けるキリシタン大名の思惑。さまざまな要素が錯綜していたのが本能寺の変前夜の国際情勢であったという。
信長を取り巻く内外環境と関係者それぞれの思いが信長誅伐で一致した、というのが安部氏の見解である。
全容を知らぬままに、いわば押し出されるようにして討伐の主役を務めた光秀。黒幕の近衛前久。漁夫の利を得んと動いた秀吉。彼を策動した黒田官兵衛。信長が葬られた背景にはいくつもの問題と登場人物が絡み合っていたことは間違いない。
安部氏も、本能寺の変の全貌はまだわかっていないようだ。謎はまだたくさん残されている。
ここで書き足りないこともたくさんある。
しかし、少し紙面が長くなり過ぎた。ここから先は、『信長燃ゆ上・下』『信長はなぜ葬られたのか』をお楽しみいただきたい。
(慶應MCC 城取一成)
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