KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2007年11月08日

会議に誰を呼ぶ?

あなたが日常参加している会議、だいたいどれくらいの人数が集められていますか?
そしてその参加者達は、本当に全員が会議に参加していますか? 居眠りしていたり、内職している人はいませんか? 会議中ヒトコトも発言していない人は?
こう考えると、集められている人たちが、「本当に全員必要なのか」疑問が湧いてくるはずです。
私も前職の時から、複数の部署が関わる案件で、部長・課長・主任・担当と、各部署から何人もぞろぞろ出席している会議をよく目にしました。
私もその中のひとりだったわけですが、その時はさしたる疑問も持たず、「会議というのはそういうもの」と思っていました。
しかし今になって考えると、そのムダの大きさに愕然とするばかりです。


人数がたとえ多くても、全員が自分の立場で意見を述べ、活発な議論が行われるなら良いのですが、一度も発言しない人がひとりでもいれば、それは完全な人件費の無駄遣いです。特に時間単価の高い部長や事業部長が、何人も黙って舟を漕いでいたとしたら、2時間の会議でジャラジャラと何万円も会議室の床にお金を捨てているようなものです。
会議のコストは、そのほとんどが人件費であることを、我々はもっと認識すべきです。
「いや、その場にいて睨みをきかしていることに意味がある」
という反論もあるかもしれません。
しかし、睨みをきかしているから言いたいことも言えず、自由かつ活発な議論ができない場合も多いはずです。
日産のように、「あえて意思決定者は参加させない」ことで議論を活性化させる会議すら存在するのは、こうした弊害がわかっているからに他なりません。
人件費をムダにして、かつ自由な議論を阻害する、考えるだけで恐ろしいことが我々の会議では日常的に行われているのです。
会議はヒトとヒトが関わる以上、“誰”を呼ぶかが重要です。ある部署(や会社)からの出席が必須であっても、無闇に「とにかくたくさん呼べばよい」では非合理的と言わざるを得ません。
初めて呼ぶ部署であっても、過去にその部署と会議(や仕事)を共にした人がいれば、誰を呼ぶべきかのアドバイスをもらうこともできるでしょうし、そういう人がいなくても、直接その部署に連絡して「誰に出席してもらうか」を相談することは可能なはずです。
これを面倒くさいと思ってしまうから、結果的にもっと人件費の無駄遣いをしてしまうのです。
会議開催通知を書く前に、「本当に必要なのは誰か?」「事後報告で問題ない人まで呼ぼうとしていないか?」と自分に問いながら人選しましょう。
そしてこの“誰”を呼ぶかという命題に対しては、単に専門や職種という[業務上の役割]だけでなく、ひとりひとりのキャラクターに着目した、[議論における役割]も考慮しなければなりません。
会議を「三人寄れば文殊の知恵」というコラボレーションの場にしたいのならば、ヒトとヒトの間の化学反応が重要です。
「この人は盛り上げ役、この人はクールなツッコミ役で」といった、あたかも合コンと同じ観点での人選と、具体的な役割分担も重要なのです。

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