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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2007年11月29日

ストーカー殺人のデータに思う

26日、函館でストーカー殺人がおこりました。
大学時代の同級生の女性につきまとっていた男が、女性が出勤するところを狙って、母親の目の前で刺殺したのです。
たいへんいたましい事件で、娘を持つ父親としても、なんともやりきれない気分です。
その事件を報じていたTVのニュースショーでは、ストーカー犯罪に関する1年間のデータを、こんな形で示していました。
(1)ストーカー発生件数      :約1万5千件(実際はもっと詳細な数字でした)
(2)うち殺人/殺人未遂に至った件数:6件
(3)うち警察に相談していた件数  :5件
さて、このデータを見て、あなたはどう思われますか?


その番組の女性キャスターは、このデータに対して「なぜ警察は防げなかったんでしょうか」という旨のコメントをしていたのですが、多くの方が同じ印象を持たれるはずです。
「警察はやっぱり役に立たない」と。
しかしこのデータは、「そう思わせる」ためのデータの見せ方をしています。
つまり『警察に相談していたにも関わらず、殺人(または未遂)を防げなかったのが6件中5件「も」ある』と読めるからです。内数で示しているため、5/6の83%もあるように見えてしまうのです。
『警察に相談していなくて、殺人(または未遂)事件になったのが1件』ということなので、「相談しても意味無い」「相談しない方が良かったのでは?」と考える人がいても、不思議ではありません。
しかしこれ、完全に数字のマジックです。
「警察が役に立たないように見せる」ための、非常に作為的な数字の見せ方と言えます。
これは本来、(1)と(2)の間に、『(事件になるならない関係なく)警察に相談していた件数』を提示すべきでしょう。
そしてできれば表形式で、傷害事件にとどまった(という言い方も不謹慎ですが)も示しながら、
『警察に相談してその後事件にならなかった件数』
『警察に相談したが、傷害事件はおこってしまった件数』
『警察に相談したが、殺人(または未遂)事件にまで発展した件数』(これは5件ですね)
などをキチっとを提示すべきです。
視聴者が、そこから自分なりの解釈を組み立てられるように、データは公正に見せるべきです。
こうした「自分の言いたいことに都合の良いデータだけを、都合の良い見せ方をする」ことは、日常茶飯事で行われています。今回のケースだけではありません。
メディアがデータを示しても、そこには作為が潜んでいる場合が多いです。
そして詐欺師達も、「ほらこんなにみんな儲かってますよ」と、同様の行為を行っています。
データとしては事実であっても、こうして簡単に我々の目をごまかす(「曇らせる」の方が適切かもしれません)ことが可能なのです。
だからデータには注意してください。
「見せ方に作為は潜んでいないか? いや、潜んでいるはずだ」、ぐらいの気持ちで読むことが、我々には必要だと思います。

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