ファカルティズ・コラム
2008年05月25日
前提条件の省略
「電車の中では携帯電話での通話は控えてください」
よく耳にする鉄道会社からのお願いです。
では、このお願い(携帯での通話を控える)が正当だと我々が感じるのはなぜでしょうか。
考えるまでもありませんね。
「周りの人に迷惑がかかるから」です。
つまり「他人に迷惑をかけるのは良くないこと」という“前提条件”が、我々の共通認識として成立しているため、「まったくその通り」と我々は考えるわけです。
この共通認識があるから、わざわざ「他のお客様の迷惑になりますので」と言わなくても、我々は「電車の中で携帯で話すのはやめよう」と、お願いを聞き入れます。
しかし、同じ事をあなたが小学校低学年の子供(最近は小学生の携帯持ちも多いですよね)に言う場面を想像してください。
その時は、「周りの人の迷惑になるから、電車の中で携帯で話すのはやめようね」と言いませんか?
さて、この違いは何なのでしょうか。
実はこのお願い、演繹法で構成されています。
「電車に乗っている」という事実(専門的にはこれを観察事項と呼びます)を、「他人に迷惑を掛けてはいけない」という前提条件(ルール)に照らし合わせて、「携帯で話すのは良くないこと」と結論づけているのです。
そして演繹法において、この前提条件はしばしば省略されます。
この鉄道会社からのお願いも、その一例です。
では、なぜ前提条件を省略するかというと、それが『ルール』だからです。
「みんなの共通認識」という暗黙の了解があるから、省略しても相手は理解できるのです。
だから、「ひょっとすると、社会のルールをまだわかっていないかもしれない」子供に対しては、省略せずに説明するのです。
この「前提条件を省略するかしないか」という判断を、我々はほとんど無意識的におこなっているわけですから、人間とはやはりたいしたものだと思います。
別にこの例だけでなく、家族や同僚、同業種の中でのコミュニケーションにおいて、我々はこの『前提条件の省略』をしばしば行います。
「わかりきっているはず」の前提条件をわざわざ言うのは、非効率的だからです。
特に『阿吽の呼吸』という言葉もあるように、我々日本人は「前提条件をいちいち言わない」ことを、ある種の美学とすら考えていました。
しかしよくよく考えてみれば、夫婦であろうが同僚であろうが、「相手と自分の前提条件がいつも同じ」なわけがないのです。
たとえば、「電車の中でお化粧する」ことについてあなたはどう思いますか?
「おかしい」「考えられない」と思ったあなた、それはどんな前提条件に照らし合わせて出た答(結論)でしょうか。
「化粧を人前でやるのはみっともない」
という前提条件をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。
しかし堂々と電車でお化粧している女性には、この前提条件が無いのです。人からみっともないと思われている自覚が無いわけです。
ひょっとすると同じ前提条件を持っていながら、人前で化粧をしても平気な女性もいるかもしれません。
しかしたぶん、その女性の考える「人前」の“人”とは、“知人”なのかもしれません。つまり電車に乗り合わせた他人は、人ですらないのです。これではまわりに気を遣わなくても当然でしょう。
だからこうした女性に、「化粧は家でしてこようよ」と言うだけでは、その行為をやめさせることはできません。「誰にも迷惑かけてないでしょ!」と言われるのがオチです。
前提条件が違う相手には、ちゃんと自分の前提条件を伝えなければ、永遠に納得させることはできません。
「こんなことあたりまえ」と前提条件を省略してしまい、それによって説得や相互理解が不調に終わるとしたら、それは伝える側のミスです。
元々ひとりひとりは違う考えを持っていますし、それに拍車をかけるように価値観も多様化しています。
「省略して良い前提条件なのか?」を今一度自分に問いかけることを、我々はもっと意識すべきでしょう。
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