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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2012年07月17日

ダイバーシティの本質

 『ダイバーシティ』
英語の”diversity”とは『多様性』を意味する言葉ですが、カタカナのままgoogleで検索をかけると、一番上には先頃お台場にオープンした『ダイバーシティ東京プラザ』が出てきます(笑)
こちらの方はスペルが”Diver City”ですから、場所であるお台場をかけているわけですが、「多様な店舗がある」という本来の”diversity”の意味も込めているのでしょう。
もちろんこのブログでショッピングモールについて論じるつもりはありません(笑)
企業でここ数年語られるようになった「多様性を認める」という意味で使われるダイバーシティについて、今日は少し考えてみたいのです。
研修などでもワークライフバランスなどと並んで、心構えの一つとして語られることの多いこの言葉。
しかしその本質を理解している人はどれくらいいるのでしょうか。

さて、この『ダイバーシティ』。
ここ数年でよく耳にするようになったのは、やはり企業の『グローバル化』と無縁ではないでしょう。
私自身も慶應MCCメルマガ『てらこや』でこう書きました。
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ダイバーシティとは「多様性を認める/活かすこと」と訳され、自分とは異なる性別・人種・言語・文化、そして価値観や考え方などを否定せず、それを受け入れ、活かしていこうとする概念です。
我が国では女性の人材登用の流れとともに広がってきた考え方ですが、これこそグローバルビジネスにおいて必須の概念と言えるでしょう。
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しかし、これを単に「差別はよくない」「みんなちがって みんないい((C)金子みすず)」のような倫理的・精神的な側面だけで考えるべきではありません。
むしろCSR(企業の社会的責任)とは切り離して語るべき言葉であり、自分でも書いておいて何ですが、グローバル化以前の課題とすら考えています。
では、ダイバーシティの本質とは何なのか。なぜこれが重要なのか。


それはヒトコトで言えば、この概念がイノベーションの必須条件だからです。


「多様性を認める」状態を具体的な例で示すとこうです。
◆自分と異なる常識や価値観を否定しない
◆自分と異なる(時に対立する)意見を否定しない
◆自分と異なる視点や思考特性を否定しない
「否定しない」という言葉を「参考にする」と言い換えた方が良いかもしれません。


金太郎飴のような人材が集まった組織を想像してください。
みんなが同じような常識を持ち、同じような考え方をする組織はある意味楽かもしれません。
対立も起きにくいでしょうし、効率的な組織運営は可能でしょう。
しかしそんな組織からはイノベーションは生まれません。
何より同質の集団は対立と変化を嫌いますから。
だからイノベーションのためには、多様な人材が集まっていることが必要条件なのです。
しかしせっかく多様な人材がいても、意志決定権者が自分と異なる常識・価値観・意見・視点・思考特性を否定してしまっては、やはりイノベーションは起きません。
だから「多様性を認める」ダイバーシティという概念が必要なのです。
その意味では、日産のゴーン改革を成功させる要因のひとつとなったCFT(クロス・ファンクショナル・チーム)と、そのCFTを運営する際のキーワードであったファシリテーターは、このダイバーシティを実現する手段と考えることができます。
「誰かが正しく、それ以外は間違っている」と考えずに、ひとまずは「誰も間違ってはいない」と考えること。
これは私がファシリテーションの研修でよく話す『ファシリテーターとしての中立性を保つポイント』ですが、これもまたダイバーシティの具体的テクニックのひとつと言えます。


「女性を差別するのは悪いことだ」ではなく、「女性ならではの視点を教えてくれるから、新商品の斬新なアイデアが出る」と考える。
同様に「障害者の目線で一緒に考えるから、新しい働き方が見えてくる」「外国人の常識を知ることで日本人の非常識に気づき、そこから新たなマネジメント手法が生まれる」と考えれば良いのです。
ダイバーシティで性別・国籍・人種・宗教などが論点として挙がるのは、単にこれらが多様性を語る際にわかりやすい切り口になるからに他なりません。
同じ性別・国籍・人種・宗教であっても、それこそ十人十色。常識・価値観・意見・視点・思考特性がみんな同じということはありえない。
真に金太郎飴の人材が集まった組織など存在しないのです。
だからイノベーション、変化/変革/改革が必要であれば、グローバル化やCSRなどに関係なくダイバーシティが必須です。
とはいえ、口で言うのは簡単ですが、これがなかなか難しいのも事実。
どうしても私たちは自分の経験や意見を肯定したくなりますし、そのためには別の何かを別の何か(誰か)を否定しようとするからです。
しかし、そもそもこの「肯定/否定」「正しい/間違っている」という二元論こそが、ダイバーシティとその先にあるイノベーションを阻害する最大の壁であることを認識すべきでしょう。
(昨今の原発や消費税、いじめに対する議論なども、このジレンマに陥っていると言えます)
だからまずは
「俺は間違っていない。でもお前も間違っていない。とすると・・・」
こう意識的に考える、ある意味弁証法的なアプローチがスタートラインなのかもしれません。

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