ファカルティズ・コラム
2013年04月25日
「正しい」って何だろう
問題です。
英単語の “right” と “correct” 。
どちらも「正しい」と訳される形容詞ですが、この2つの違いは何でしょう?
「どのように使い分けるのが適切か」という視点でお答えください。
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では解答です。
“That’s right!” 「そのとおり!」のような使い方をする “right” はも、「正しいと思う」のような『主観的』に正しいと言いたい場合に主に使うようです。
それに対し “Your answer is correct.” 「あなたの答は合っている」のような使い方をする “correct” は、『客観的』に見て正しいという場合に使うのが適切なんだとか。
また、”correct” は “right” のような「道義的、道徳的に」正しいという場合には使えないそうです。どうも “right” の方が汎用性は高そうです。
ちなみに「正しい」にはこの他にも、 “accurate(時計など、定量的に正確)” “exact(事実として定性的に正確)” などがあります。
さて、私は今回、実のところ英語の知識について語りたいわけではありません。
「これが正しい」と安直に考える(言う)ことの問題点を提示したいのです。
そもそも「正しい」とは何でしょう。
先の英単語の比較からも、私は以下のように考えています。
まず、「彼が手を上げた」のようにそれが事実であれば、「正しい」、つまり “exact” でしょう。
次に、「1+1=2」というルールが明確に存在し、「1+1は?」と訊かれて「2」と解答した場合も “correct” 、正解と言えます。
ルールという点では法律や常識、モラルなども社会的ルールですから、「お年寄りに席を譲った」子供にに “You are right.” と言うのも「正しいことをしたね」となります。
この「ルールに照らし合わせて」正しいかどうか、というのは典型的な演繹的論理展開と言えます。
しかしこの演繹的論理展開、実は注意が必要です。
それは、「ルールそのものが正しくないと、結論も正しくない」ということです。
「何言ってるの? ルールなんだから正しいに決まっているだろ?」と思われるかもしれません。
しかし考えてみてください。
そのルールは完璧に万国共通ですか?
そして歴史的にすべての時代で通用するルールですか?
悲しいことではありますが、多くの人間が信じている「殺人は良くない」という常識、ルールを「大義のためには殺人は許される」と書き換えた人々がテロリストと呼ばれているはずです。
現実的な話をすると、あなたという個人の価値観に根ざすマイルールであったり、ひとつの会社や業界、地域などに限定されたローカルルールに照らし合わせて「正しいかどうか」を判断しているのではありませんか?
そう、実は演繹的に「正しい」と考える(言う)時には、「自分が照らし合わせようとしているルールは、今、この場面において使っても問題のない(正しい)ルールなのか?」を考えなくてはならないのです。
ルールが正しければ結論も正しい、シンプルな演繹的論理展開ですらこうですから、複数の情報から結論を導き出す帰納的論理展開の場合は、もっと注意が必要です。
たとえば「去年Aという施策を打ったら上手くいかなかった」「一昨年Bという施策を打ったら上手くいった」のが事実だとして、この2つの情報から「今年はBという施策を打とう」と考えたとして、さて、これって「正しい」と言えるでしょうか?
そんなわけありませんよね。
状況は日々刻々と移り変わりますから、今年Bという施策が上手くいくという保証はどこにもありません。
また、確かに一昨年はBで上手くいったかもしれませんが、実はCという別の施策だったら「もっと上手くいった」という可能性も捨てきれません。
しかし私たちは、このように経験則、それも自分ではなく他者の経験であったり、事実かどうかすら確認が取れていない情報から、安直に「これが正しい」と決めつけてしまいます。
これは危険なことです。
だから「正しい」と考える前に、「これらから他に言えることはないか?」を考えるべきです。
何度もこのブログで言ってきたように、オプション、選択肢を挙げるのです。
そしてその中からどれが正しいのか・・・
いや、そもそもこの「正しいかどうか」という『考え方』そのものに問題があります。
「どれが正しいか/どれが間違っているか」のような『正解探し』をすること自体が、自分も含めた様々な可能性をスポイルしているのです。
会議などのコミュニケーションにしてもそう。
「俺は正しい、お前は間違っている」と考えるから、前向きな議論にならないし、挙げ句の果ては「だからお前は~」のような人格攻撃にまで発展してしまうのです。
「俺もお前も間違ってはいない」というところからスタートし、「しかしこの場面においては、どれが適切か?」を議論する。これが必要です。
そう、私たちは「正しいかどうか」でなく「適切かどうか」という視点で、様々な答(意見/考え)に向き合うべきなのです。
英単語に話を戻せば、 “right” でなく、 “appropriate” な答を見つけようとすることが大事です。
そして、たとえある答と真っ向から対立する答があったとしても、その両方を満足させる答を出す、つまり[テーゼ→アンチテーゼ→アウフヘーベン]の弁証法的な議論や思考を行うことが理想なのではないでしょうか。
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