ファカルティズ・コラム
2014年03月13日
求められる「質」の変化
先月、『「幻想」からの脱出』というエントリーで、『「昔は良かった」幻想』を取り上げました。
本日は、それをもうすこし掘り下げてみたいと思います。
映画『Allways 三丁目の夕日シリーズ』のヒットからも明らかなように、人は過去を美化する生き物です。
もちろんそれが悪いわけではありません。
苦しかった、辛かった過去を懐かしむのは、ある意味「頑張ったよなあ」という自分自身への慰めや、癒しになるからです。
しかし、時としてこの「過去を美化する」行為は、現実を見る目を曇らせます。
そしてその代表が、「昔の方がすごい」という見方、考え方だと思うのです。
たとえばスポーツ・芸能に関して「昔の野球選手はもっとすごかった」「昔の芸人の方が面白かった」や、仕事では「俺たちの頃に比べて今の若い連中はダメだ」など、こうした「昔の方がすごい」という見方、考え方を、私たちはしばしばしてしまいます。
「だからゆとりは」などという暴言もそう。
しかし、冷静に考えてみてください。
世の中を眺めてみて、「今の方が進歩していない」モノゴトがどれだけあるでしょうか。
評価の確立した「芸術」の分野なら仕方がないかもしれません。
クラシックの名曲や、ダヴィンチの作品など、「昔の方がすごかった」と言えるものも多いでしょう。
しかし芸術分野でも、「だから今はレベルが低い」ということは決してないはずです。
たとえばビートルズが偉大なことは事実ですが、その後もポップスの名曲は数多く生まれています。
また、絵画やクラシック音楽も、先人の模倣をしても評価されませんから、必然的に新しい試みをするしかない。そしてその結果、過去の名作・名曲が好きな人からは、「近代絵画なんて」とか「現代音楽なんて」と言われてしまう、という現実があります。
では、スポーツ・芸能の分野ではどうでしょう。
往年の名選手である野球評論家は、しばしば「金田の方がダルビッシュや田中マー君より格段に上」などといった発言をします。
その根拠は、「実際にどちらも見た。金田のタマの方が何倍もすごかった」ですから、要するに経験に基づく主観で判断していることになります。
しかし、時間や高さ・距離などで定量的に優劣を測る陸上・スキー競技など、いわゆる記録競技では、現在の記録の方が全ての競技において優れています。
記録競技でなくとも、サッカーなどは見ているだけでその進歩は明らかであり、野球だけが「昔の方がすごかった」というのは、正直考えにくいはずです。
その背景には、科学的・戦略的なトレーニングや戦術などの進化があるのは明白。
「ダウンタウンはやすきよの足下にも及ばない」にしても、これまた「どちらも見たから正しい」という、経験に基づく主観的判断。
そうして過去を美化しているのです。
「昔見て仰天した/爆笑した」経験が、記憶が薄れるに従って「とにかくすごかった」になってしまうわけですね。
しかしビートたけしは、こうした主張に異を唱えています。
↓
『ビートたけし 昔よりも今の若手漫才の方が絶対面白いと語る』
彼も言うように、求められる「質」が変わったのです。
野球で言えば、「ボールの速さ」より「コントロール」。
お笑いであれば、「ストーリーの面白さ」から「一瞬の面白さ」へ。
だから、本来は「過去と現在を比べても意味がない」のです。
そして求められる質を変化させたのは…外部環境です。
それは社会情勢や経済状況など、いわゆる「マクロ環境」。
そして戦う相手の質と量、つまり「競争環境」です。
このふたつの変化が、「求められる質」を変化させたと言えるでしょう。
これはビジネスにおいても同じことが言えます。
さて、若手社員に求められている(いた)、「質」は何でしょうか。
確かに昔は「やる気」と「根性」、そして「従順さ」だったのかもしれません。
しかしそれらは今も重要でしょうが、それ以上に「問題解決能力」や「専門知識」の優先順位が高くなったのです。
そしてこの「求められる質の変化」を引き起こしたのは、やはり外部環境の変化です。
IT環境の変化により、若手がやって(やらされて)いた、単純作業は激減しました。
また、経済情勢の変化により、若手をじっくり育てている余裕が無くなりました。
社会はますます複雑化・グローバル化し、企業は多様なニーズに対応する必要を迫られました。
こうしたマクロ環境の変化によって、若手は「即戦力」であることを求められるようになったのです。
そしてマクロ環境が変化することで競争環境も変わりました。
「自分なりの武器」が無いと就職できない、「就活戦争」に突入しました。
同じ求職者というライバルは多いし、運良く就職しても昔のような年功序列は望めない、となれば、人材として「差別化」をするしかありません。
社会人教育の講師をやってる立場から断言します。
私の頃なんかより、今の若手の方が格段に能力は上です。
「でも俺たちの頃は、今の若手より実績を上げていた」という反論をする方もいますが、それは「たいした能力がなくても、実績が上がる幸せな時代」だっただけです。
高度成長期やバブル前の時代は、「言われたことを努力と根性で」やれば、誰でも成果を出せた、この現実を受け入れましょう。
これは人材だけでなく、企業も同じです。
「他社がやっていることを、努力と根性でちょっだけうまく」やれば、企業として成長できた時代は終わりました。
昔は競合も少なかったし、みんなレベルが低かったから、こちらもそれより少し上なら勝てただけ。
IT環境、社会/経済情勢など、マクロ環境は昔と今では全く異なります。
また、今までも考えてもいなかった外資系企業や、異業種の同じ価値を提供するサービスとも戦わなければいけなかったり、競争環境も様変わりしました。
それにより、やはり「求められる質」が変わったのです。
これが認識できていないリーダーが、「頑張りが足りん」とか言い出すのです。
さて…
あなたは過去を美化せず、どの環境がどう変化したのか、そしてそれによって人材としての自分や自社に「求められる質」がどう変化したのか。
それをちゃんと認識できていますか?
まさか部下や後輩に、「頑張りが足りん」とか言ってないですよね?(笑)
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