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ファカルティズ・コラム

2014年05月09日

伝達手段としての『物語』と、物語の表現手段としての『アニメ』

ここ最近、メディアの報道においても『物語』の問題点が、なかば事故批判的に語られるようになりました。
そのきっかけであり代表例が、あのゴーストライター問題です。
実際はマーラーなどのメロディとオーケストレーションを拝借、コラージュした、悪く言えばパクリとも言える作品を、「現代のベートーヴェン」というタイトルの物語を使って、素晴らしい作品だと錯覚させた、あの一件です。
確かに私たちは『物語』を求めています。
それも「わかりやすく、共感できる」物語を。
「わかりやすい」とは、「単純」あるいは「ベタ」と言い換えても良いでしょう。
クラシックの曲を、曲そのもので評価せず、作者の「悲運に負けぬ心と力」というベタな物語によって評価させられていた。
そしてそれは本件だけでなく、様々なコンテンツの評価において、同じ状況があることが今さらながらに見えてきた。
だから問題視されているわけです。



さらに言えば、STAP細胞問題にしても、その研究成果以上に「リケジョの物語」がメディアを賑わしていたのは、皆さんも記憶に新しいでしょう。
ゴーストライター問題も、そしてSTAP細胞問題も、『物語』を求める一般大衆のニーズと、それに応えようとするメディアによって引き起こされた問題です。
これは確かに伝達手段としての『物語』が持つ負の側面、つまり「罪」です。


しかし、物語にはプラスの側面、つまり功罪の「功」もあります。
「ベタな物語」によって、私たちの感情は動きます。「理不尽だ!」という怒りや、「すっげえ!」という驚き、「良かった!」という感動など、たくさんの笑いや涙が『物語』によってもたらされます。
こうして感情が動くことで、そして物語に必須の「登場人物と出来事」によって具体的に描かれることで、今まで他人事だと思っていたことや、興味のなかったことが「リアル」に、つまり自分の身近になってくる。
また「とするとこの前/先は・・・」のように、想像を膨らませることにも繋がります。
物語は、私たちのイマジネーションを刺激するのです。
そしてこのプロセスを経ることで、私たちは物語から多くの気づきや学びを得ます。
あなたも、小説やマンガ、あるいは映画を観ることで、生きる上で、あるいは仕事に関しての気づきを得た経験があるはずです。
これを応用したのが、『ストーリーテリング』というテクニックです。
たとえば自分の体験談や「もしもストーリー」を使って、より「わかりやすく共感しやすい」ように、他者に説明する場合に使われます。


そしてこの「物語にメッセージを埋め込む」のは、テレビなどのCMでもよく使われます。
今までも、寸劇仕立てで商品をアピールするのは行われてきましたが、最近では連続ドラマ形式にすることで、より「物語性」を強めたCMが増えてきました。
ソフトバンクの「白戸家」やトヨタの「トヨタウン」、P&Gの「ファブリーズ」などは、その代表例です。
連続ドラマ形式にすることで、本来のストーリーテリングの効用に加え、「続きが気になる」ように仕向けているわけですね。


ここで「物語仕立てのCM」に着目すると、もうひとつ別のことに気づきます。
最近、『アニメ』仕立てのCMも増えてきていると思いませんか?
これはつまり、CMにおける『物語』の表現手法として、役者さんが演じる『実写』でなく、二次元の『アニメ』が選択されるようになってきたということです。
評判になった2つのCMをご紹介しましょう。
 『東京ディズニーリゾート』
 『メルセデスベンツ新Aクラス』
ディズニーのCMは海外からも絶賛されましたし、ベンツは賛否両論あったものの、そのクオリティの高さと意外性が話題になりました。
さて、これらのCMがアニメでなく実写であったら、ここまで話題になったでしょうか。
そしてなぜディズニーやメルセデスはアニメを使うことを選択したのでしょうか。
「オタクに媚び始めた?」
うーん、「アニメ=オタク」という図式は今や古いです。
だいたい「彼女いない歴=年齢」のアニオタ(あくまでも一般的イメージですよ)に、ディズニーのこのCMを見せても、「リア充爆発しろ」となるだけです(笑)
また、ベンツを買えるアニオタが、ターゲットとするだけのボリュームがあるとも思えません。
「やはり若い人をターゲットにしたいから?」
はい、ベンツのCMはそれが大きいでしょう。
アニメに抵抗のない若い層に、「オヤジ臭くなくてカッコいい」と感じてもらいたいという意図は、明確にベンツサイドも言っています。
しかしディズニーは?
元々のターゲットを変える/広げる意味はありませんし、そんな意図はこのCMからは感じられません。
「実写ではできない表現が可能だから?」
これもベンツのCMなら外れてはいません。しかし実写でもCGを使えば今や「表現できないものはほとんどない」時代ですから、これも理由としては少し弱いです。
また、この回答もディズニーのCMには当てはまりません。
あのCMで描かれていることは、実写でも問題なく撮影が可能です。


ここからは私の仮説になりますが、CMにアニメを使うのは、「よりメッセージを強く伝えるため」だと思われます。
「なんでアニメの方が、よりメッセージが強く伝わるの?」と思われたでしょうから、少し説明させてください。
ある意味当たり前のことですが、アニメと実写の大きな違いが「情報量」です。
当然実写の方が情報量が多いです。
たとえば人物ひとつとっても、アニメは「誇張と簡略化」、つまりデフォルメされていますから、顔の小さなシワなど、多くの情報が省略されています。
モノクロの絵よりカラーの絵、カラーの絵よりカラー写真の方が情報量が多いのは当然ですよね。
しかし他者に何かを伝える際、情報量は多ければ良いというものではありません。
情報量が多いと、受け手は処理しきれなくなるからです。
あなたも人から何かを頼まれたとき、「そんなにいっぺんに言われても憶えきれないよ!」と言った経験がありませんか?
商談のプレゼンテーションで、情報を詰め込みすぎたために、重要なポイントが埋没してしまい、「で、結局どこがポイント?」と言われてしまうのも、これが原因です。
本来のメッセージと関係のないところに着目されては、送り手として正しくメッセージを伝えることができないのです。
ディズニーのCMが実写になった場合を想像してみてください。
情報量が多くなることで、「この女優さん誰だろう?」などという疑問を受け手が持ってしまったら、それはCMとしては失敗です。
あのCMで重要なのは、あくまでも「夢と魔法の国が世代を超えて受け継がれていく」というメッセージを伝えることなのですから。
ベンツのCMにしても、「未来でもクルマってカッコイイぜ」というメッセージこそが、彼らが伝えたいことなのです。
だから彼らはあえて情報量の少ないアニメを選択した。
そう私は考えています。
こんな視点でCMを観るのも楽しいものですよ。

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