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ファカルティズ・コラム

2016年05月19日

「熱暴走」しやすい人々と、その原因について

使っている方ならご存じの通り、Facebookには「過去の思い出を振り返る」機能があります。
今朝、出社してPCを立ち上げると、私のFacebookのタイムラインに、4年前の自分の書き込みが現れました。
fb15.jpg
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危機感がある。
なんとかしなくちゃいけないと思う。
熱く語り、行動する。
ここで善意が暴走を始める。
一度「敵」と認定した相手の話に耳を傾けなくなり、攻撃する。
極端な二元論に陥り、なんでも「○か×か」「善か悪か」で判断するようになる。
「正義は我にあり」となかば自分に酔ってしまう。
そして批判される。
この『熱暴走』を起こしている人がとても多い。
一度シャットダウンしてコンセントも抜き、クールダウンしよう。
ネットから離れてのんびり自然に囲まれて何日か過ごすのもお薦めだ。
戻ってきたら一度全てのアカウントを解除し、bookmarkを消すのも良いだろう。
それが自分自身のOSの再インストールなのかもしれない。
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4年前と言えば東日本大震災の翌年。
私がなぜこれを書いたのか、それは憶えていないのですが、原発問題に熱くなる人々を念頭に置いていたのかもしれません。
今、放射線量は危険レベルではなく、福島をはじめ、被災地も復興が進んでいます。
しかしながら、原発問題は現在進行形。
それはなかなか進まぬ廃炉への道のりもありますが、『放射脳』などと揶揄される、過激な反原発派の人々の「熱暴走」が止まっていないからです。
いまだに福島産の農産物を「毒」と言い、著名人の死すら「放射能のせい」にする。
正直言ってこうした方々は、福島で放射能による重大な被害が出るのを心待ちにしているとしか思えません。
ここまでくると、怒りより哀れみすら感じてしまいます。
しかし熱暴走を起こしているのは、なにも放射脳の人々だけではありません。
「在日はカエレ」などと毎日毎日飽きもせずにネットの掲示板でヘイトスピーチを繰り広げる、いわゆる『ネトウヨ』と呼ばれる人々も、そしてネトウヨを嫌悪し、ヘイトスピーチにヘイトスピーチで対抗する『ブサヨ』もまた、同様に熱暴走しています。


彼らはなぜ、熱暴走するのか?
その背景には、Facebookで私が書いたように、彼らなりの危機感と善意があるのでしょう。
彼らなりの大義、義憤が熱暴走の「燃料」になっているわけです。
そしてもうひとつ私が感じている熱暴走の原因が、彼らの「思考システム」です。
私たちの思考システム、何かの情報をもとに、自分なりの答を出す仕組みは、基本的に「帰納法」と「演繹法」の2つで成り立っています。(○○法、と呼ばれていても、私たちはそれを意識してない場合がほとんどですが)
帰納法とは、複数の情報を元に「これらのことからこう言える」と答を出す思考システム。
それに対して演繹法は、ある大前提(ルール)に情報を照らし合わせ、答を出します。
いくつかのニュースを見て、「今は○○な時代だなあ」と考えるのが帰納法、社会の常識(と自分が思っている価値観)に誰かの言動を照らし合わせ、「あの人は××だ」と考えるのが演繹法です。
思うに、熱暴走する人々は、この「演繹法」が思考の「メインシステム」になっているのではないでしょうか。
「福島は汚染されている」「韓国人はキ○ガイ」「総理は戦争をしたがっている」といった、元々自分のアタマで考えたのではない言説を「真実」とし、それを大前提としてモノゴトを考えてしまう。
なぜ、自分が考えたことでもないのに、また自分の目と耳で確認したわけでもないこうした言説を疑いもなく「思考の大前提」にしてしまうのでしょうか。
「いや、自分の目で見た! だからこれは演繹法でなく帰納法だ!」
と反論したい方もいるかもしれません。
しかし申し訳ないですが、あなたが2、3回目にした事実など、このような大局的な結論を出すには、帰納法のサンプルとしては少なすぎます。
「狭い世界の常識が世間の常識とは限らない」のは当然のことです。
かく言う私も、演繹法で思考している時が当然あります。それ自体は何も問題はありません。
しかし、時としてこうした「偏った価値観を大前提とした」演繹法で答を出していることは否定できません。
そしてその結果「熱暴走」ギリギリの状態になっている場面があることも。
だからこそ、私たちは気をつけるべきです。
「その大前提は、本当に大前提として使っていいのか?」と。




さて、ここでお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。
上で私が使った、『放射脳』『ネトウヨ』『ブサヨ』といった「レッテル貼り」もまた、熱暴走の原因です。
そう、「十把一絡げ」でカテゴライズしてしまい、「レッテル」を貼る。
そしてそのレッテルを大前提として使い、演繹的に答を出す。
そして熱暴走してしまう。
レッテル貼りって、とても危険なのです。
私も気をつけなければ。

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