ファカルティズ・コラム
2019年06月03日
「屁理屈」とは何か
「屁理屈を言うな!」
こんなセリフを親/教師/上司から言われたことはありませんか?
私は何度もあります(笑)
そんな時、「まあそうだな」と思うこともありましたが、心の中では「そっちも相当な屁理屈だよね?」と口にはしないものの、そう感じたことも一度や二度ではありません。
私と同じような経験は、多かれ少なかれ誰しもあるのではないでしょうか。
しかしこの「屁理屈」とは何なのでしょうか。
さて、「屁理屈」について考えるのであれば、まずはその定義を明確にしておく必要があります。
「理屈」を辞書で引くと、「物事の筋道、道理」とあります。類義語だと「論理:ロジック」と言えるでしょう。
次に「屁理屈」の「屁」とはリアルな「おなら」の意味の他に「値打ちのないもの、つまらぬもののたとえ」という意味があります。「屁の突っ張りにもならない」とか「屁とも思わない」といった使い方がこれです。
そうすると「屁理屈」とは
「他者にとっては無意味の、つまり自分を有利にすることを目的とした、筋の通っていない(非論理的な)、あるいは強引にこじつけた(乱暴な論理の)考え・意見」と定義できるでしょう。
そしてその屁理屈を相手に伝えると、それが「詭弁」と呼ばれるわけです。
しかし、真に「非論理的な考え・意見」など無い。私はそう考えます。
具体例で考えてみましょう。
あなたが営業のマネージャーだとしましょう。重要な商談が順調に進んでいたのに、ある日顧客が急に「申し訳ないけどA社にお願いすることにしました」と言われてしまった。
要は商談に負けてしまったわけで、そこで担当していた部下である営業マンに「どういうことだ?」と尋ねると、「競合のA社が大幅な値引きをしてきたんだと思います」との答え。
その根拠を問うと、「営業マンの勘です」と返ってきた。
一見(一聴)、ただの思いつきの非論理的な意見に思えますが、これもまた論理的思考から出てきた答えです。
そもそも「論理的思考」とは、複数の情報から「これらのことから何が言えるか?」と考えることです。そうして出た答えが用いた情報と矛盾がなければいいのです。
だから「なんとなく」とか「勘です」と相手が言ったとしても、その答えが出た背景には必ず自分自身の経験や見聞きしたこと、つまり複数の情報があります。
先の例にしても、まさに「営業マンの勘」とは商談が上手くいかなかった経験や、顧客の特性など、様々な情報から出てきた答えに他なりません。
だから、いわゆる「直感」と呼ばれるものにしても、単に自分の論理、ロジックを説明できない(あるいは考えようとしていない)だけで、真に非論理的な思考など無いのです。
とは言え、「ロジックがあればみんな納得する」わけではないのも事実。
自分なりにロジックを考え、「今までの私の経験と、顧客の担当者の性格から考えると」などと根拠を述べたとしても、「それだけで競合が値引きしたとは言えないだろう」とあなたも言うのではありませんか?
このとき、私たちは相手の意見に対して「ロジックが弱い」とか「ロジックが甘い」と感じているわけで、これもまた「屁理屈」ととらえられてしまいます。
さらに相手が「でも、機能の点ではウチの方が上ですし、価格面しか考えられません。そもそも、これ以上の値引きは無理だって言ったのはマネージャーですよね?」などと反論してきたら、「自分の情報収集に問題があったとは思わないのか?」とか「話をそらすな」と言いたくなるはずです。
そして最後には、こう言うかもしれません。
「屁理屈を言うな」
そう、「ロジックが弱い」のは自分でもわかっているのです。しかし自分に非があるとは考えたくないし、他者にも思われたくない。だから自分に都合の良いロジックで押し通そうとしたり、また時には論点ずらしもやってしまう。
これらが「屁理屈」です。
しかし今ご紹介したのは、比較的「わかりやすい屁理屈」です。世の中には、会議や打合せ、そしてメールやSNSでのやり取りには、なかなかそれと気づかない「巧妙な屁理屈」が蔓延しています。
それが様々なヘイトスピーチやハラスメントで悪用され、感情的な言い争いや誹謗中傷合戦、そして炎上が生まれているわけで、これはひとつの「悲劇」です。
だからこそ今、私たちには「屁理屈を見抜く力」が必要なのです。
また、自分自身が使っていることに気づかない「無意識の屁理屈」もあります。
これは自分で気づいていないぶんタチが悪く、相手に誤解を与えて怒らせてしまったり、無用な論争を生み出す元となっています。そしてその結果、上司や顧客、友人たちからの低評価に繋がってしまうとしたら、それもまた「悲劇」です。
だから私たちは、無意識に屁理屈を言わないことも意識すべきなのです。
では、どうしたら「屁理屈を見抜く」ことができるのか、そして「無意識に屁理屈を使わない」ようになるのか。
それはまたの機会に、ひょっとすると次の私の著書の中でお伝えしたいと思います。
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